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本編
*3* 小動物とあたし
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「ユキさん、こんにちは~」
絶対に来てやるものか。ふにゃふにゃした笑顔を前に、それはムダな意地にすぎなかった。
そういや家路だったわとも気づいて、早数日。
今日もバイト帰りに、セツという小動物の相手をしてやっている。
「真冬ですねぇ」
「ソダネ」
空は茜。場所は相も変わらず噴水広場。この極寒で、なにが悲しくて巨大オブジェをバックに並び座るのか。
理由は簡単。あたしがお礼を断ったから。傘返しただけで大げさだし。
けどセツは違った。それっきりになることを、妙に拒んだ。
さすがにナンパされたとか、うぬぼれちゃいない。セツだってそんな性分じゃないだろう。
現に、連絡先なんて訊かれやしない。あたしたちをつなぐのは、いついつの何時頃に、天気が悪くなかったら来るかもね、みたいに、不確かな口約束だけだ。
それでも、あたしがここに来たとき、セツは必ずいて、「いらっしゃい」って笑いかけてくる。
どうしてそこまでして、あたしと会いたがるわけ? おしゃべりのかたわら真意を探ってみたものの、なにもわかりゃしない。
なにを考えているのか。いやむしろ、なにも考えてなかったりして。……あり得る。こいつなら。
「寒いですねぇ」
「真冬だからね」
「……ユキさん、ぎゅってしましょうか」
「やろう、あたしの体温強奪する気か」
「そんなつもりは! 冬は、人肌が恋しくなるって言うじゃないですかぁ……」
「つまりは自分がぬくぬくしたいだけだろ、慢性冷え症患者」
セツは、極度の冷え症である。マフラーや手袋、ダッフルコートは必需品。
だからかもしれない、スキンシップを求める言動がやたら多い。やつが小動物たるゆえんだ。中坊のたわむれと、受け流してきたが……
「もう歳かなぁ」
「ジジくさいこと言うな」
「あはは。人間って、20歳すぎると老化する一方ですからねぇ」
「そんなのんきな……ハタチ?」
「ぼくの脳細胞なんか、あとは死滅するだけです」
「ちょ、セツ……」
「若いころに、もっと頭使ってればなぁ~」
「ちょっと待て、セツ!」
「はいっ! なんですか、ユキさん?」
「あんたさ、何歳?」
「ぼくですか? 今年は、う――――ん……」
「そこ即答! 自分のことでしょ!?」
「でもぼく、忘れっぽいし…………あ、大学は、卒業できたような気がします」
大学、だと。小でも中でも高でもなく大。マジで。じゃあ。
「大丈夫、ぼくと違ってまだ2年は余裕があります。いまのうちに元気な脳細胞をたくさん作ってくださいね、ユキさん!」
まさか、この史上最強ゆるふわ小動物が、歳上だって……?
「ないわー……」
「え、ユキさん?」
「ユキ。さん付けやめて。あと敬語も」
「そんなっ! おこがまし」
「くない! 歳上ならそれなりに威張れや! まぎらわしい!」
童顔だし、いい具合に背も高くないし。大人って、子供とあれば理不尽に小言垂れるやつらだと思ってたわけ。うちの担任みたいにさ。
……こんなの、反則以外のなんだってんだ。
「ユキさん、怒らないでくださいぃ……」
「…………」
「ユキさーん」
「…………」
「……ユキ」
「っ!」
「ちゃん」
「……なんだそれ」
「う、すみませ……ごめ、ん。女の子とこんな風に話すの、慣れてない、です、はい」
おい待て、それが散々ハグだのなんだの要求してきたやつのセリフか。
振り返ると、セツは足元に視線を落としていた。ココアカラーのシューズを見つめる瞳が、泳いでいる。
いっつもぽわぽわお花畑浮かべてるくせに、シャイにもほどがあんだろ。こっちが恥ずかしくなるわ……!
「よし決めた。セツ、歳上らしくもっと堂々として。あたしも子供扱いやめるから」
「あ、ぼく子供扱いされてたんだ」
「気づいてなかったんかい。ったく……こう見えてね、歳上はそれなりに敬う主義なの」
「っはは!」
「……なに」
「ユキちゃんは、真っ直ぐだなぁと思って」
「敬う相手は選ぶけど」
「でも、少なくともその中に、ぼくは入れてくれてるんでしょ?」
ああ言えばこう言う。そうだ、セツは揚げ足取りのスペシャリストだった。
「舞い上がりたくもなるよ」
挙句、頭をなでる、とか。
「とりゃっ」
「あたっ!」
「たかだか小娘ひとりに持ち上げられて、バッカじゃないの?」
歳上らしくしてとは言ったが、子供扱いを許可した覚えはない。抗議の意味でデコピンしてやった。……のだが。
「そうだね。おめでたいって、よく言われる」
「あんたねぇ……」
「ユキちゃんだからだよ?」
「なっ」
「ユキちゃんだから。素っ気ない言葉でも、ちゃんと聞いてればわかる。真っ直ぐな女の子なんだって」
あたしが、真っ直ぐ? どんなフィルターかかってんのよ、あんたの目は。
「ユキちゃんはね、恥ずかしがりやさんなんだよ」
「はじめて聞きました。ご本人様ですけど」
「ふふ、気づいてないだけ。だからユキちゃんは真っ直ぐで、すごく優しい女の子なんだ。ぼくにはわかるのです」
得意げに胸張っちゃって。あぁ、これは末期だわ。
「あっそ。学校行こっかな」
「あれ、もうそんな時間? 行ってらっしゃーい」
「……セツ、あたし、学校に行くんだよ?」
期待してるわけじゃない。セツのことだから、いつもみたく「そんなー!」って、泣きついてくる予定だったんだ。
だから、いつものふわふわなだけじゃない、穏やかな笑みを返されるなんて、思いもするはずがなくて。
「引きとめないよ。また会えるから」
なんだこれは。耳が、胸が、無性にこそばゆい。
「言うようになったな」
「オトナの余裕というやつです」
「にわか仕込みが。明日寒いらしいから、あたし来ないからね」
「うん、お待ちしております」
「おねがいだから、言葉のボールをキャッチして」
「待ってる。優しいユキちゃんのことだから、きっと来てくれるんだよね?」
有頂天にもほどがあるんじゃなかろうか。いや調子に乗っているからこそ、いまのセツになにを言ってもムダなのか。
「……気が向けばね」
ほぼ敗北宣言を置き土産に、背中を向ける。
「行ってらっしゃい!」
冬風に運ばれてきた言葉は、あたしの髪を舞い上げ、耳朶をかすめた。
妙なくすぐったさに空をあおげば、宵の空が茜を染めつくす直前。
髪をなびかせる夜気に、少し耳の熱を冷ます。
やがて白い息を吐き出し、灯りをともした街灯のシルエットへ、1歩、影を溶け込ませた。
絶対に来てやるものか。ふにゃふにゃした笑顔を前に、それはムダな意地にすぎなかった。
そういや家路だったわとも気づいて、早数日。
今日もバイト帰りに、セツという小動物の相手をしてやっている。
「真冬ですねぇ」
「ソダネ」
空は茜。場所は相も変わらず噴水広場。この極寒で、なにが悲しくて巨大オブジェをバックに並び座るのか。
理由は簡単。あたしがお礼を断ったから。傘返しただけで大げさだし。
けどセツは違った。それっきりになることを、妙に拒んだ。
さすがにナンパされたとか、うぬぼれちゃいない。セツだってそんな性分じゃないだろう。
現に、連絡先なんて訊かれやしない。あたしたちをつなぐのは、いついつの何時頃に、天気が悪くなかったら来るかもね、みたいに、不確かな口約束だけだ。
それでも、あたしがここに来たとき、セツは必ずいて、「いらっしゃい」って笑いかけてくる。
どうしてそこまでして、あたしと会いたがるわけ? おしゃべりのかたわら真意を探ってみたものの、なにもわかりゃしない。
なにを考えているのか。いやむしろ、なにも考えてなかったりして。……あり得る。こいつなら。
「寒いですねぇ」
「真冬だからね」
「……ユキさん、ぎゅってしましょうか」
「やろう、あたしの体温強奪する気か」
「そんなつもりは! 冬は、人肌が恋しくなるって言うじゃないですかぁ……」
「つまりは自分がぬくぬくしたいだけだろ、慢性冷え症患者」
セツは、極度の冷え症である。マフラーや手袋、ダッフルコートは必需品。
だからかもしれない、スキンシップを求める言動がやたら多い。やつが小動物たるゆえんだ。中坊のたわむれと、受け流してきたが……
「もう歳かなぁ」
「ジジくさいこと言うな」
「あはは。人間って、20歳すぎると老化する一方ですからねぇ」
「そんなのんきな……ハタチ?」
「ぼくの脳細胞なんか、あとは死滅するだけです」
「ちょ、セツ……」
「若いころに、もっと頭使ってればなぁ~」
「ちょっと待て、セツ!」
「はいっ! なんですか、ユキさん?」
「あんたさ、何歳?」
「ぼくですか? 今年は、う――――ん……」
「そこ即答! 自分のことでしょ!?」
「でもぼく、忘れっぽいし…………あ、大学は、卒業できたような気がします」
大学、だと。小でも中でも高でもなく大。マジで。じゃあ。
「大丈夫、ぼくと違ってまだ2年は余裕があります。いまのうちに元気な脳細胞をたくさん作ってくださいね、ユキさん!」
まさか、この史上最強ゆるふわ小動物が、歳上だって……?
「ないわー……」
「え、ユキさん?」
「ユキ。さん付けやめて。あと敬語も」
「そんなっ! おこがまし」
「くない! 歳上ならそれなりに威張れや! まぎらわしい!」
童顔だし、いい具合に背も高くないし。大人って、子供とあれば理不尽に小言垂れるやつらだと思ってたわけ。うちの担任みたいにさ。
……こんなの、反則以外のなんだってんだ。
「ユキさん、怒らないでくださいぃ……」
「…………」
「ユキさーん」
「…………」
「……ユキ」
「っ!」
「ちゃん」
「……なんだそれ」
「う、すみませ……ごめ、ん。女の子とこんな風に話すの、慣れてない、です、はい」
おい待て、それが散々ハグだのなんだの要求してきたやつのセリフか。
振り返ると、セツは足元に視線を落としていた。ココアカラーのシューズを見つめる瞳が、泳いでいる。
いっつもぽわぽわお花畑浮かべてるくせに、シャイにもほどがあんだろ。こっちが恥ずかしくなるわ……!
「よし決めた。セツ、歳上らしくもっと堂々として。あたしも子供扱いやめるから」
「あ、ぼく子供扱いされてたんだ」
「気づいてなかったんかい。ったく……こう見えてね、歳上はそれなりに敬う主義なの」
「っはは!」
「……なに」
「ユキちゃんは、真っ直ぐだなぁと思って」
「敬う相手は選ぶけど」
「でも、少なくともその中に、ぼくは入れてくれてるんでしょ?」
ああ言えばこう言う。そうだ、セツは揚げ足取りのスペシャリストだった。
「舞い上がりたくもなるよ」
挙句、頭をなでる、とか。
「とりゃっ」
「あたっ!」
「たかだか小娘ひとりに持ち上げられて、バッカじゃないの?」
歳上らしくしてとは言ったが、子供扱いを許可した覚えはない。抗議の意味でデコピンしてやった。……のだが。
「そうだね。おめでたいって、よく言われる」
「あんたねぇ……」
「ユキちゃんだからだよ?」
「なっ」
「ユキちゃんだから。素っ気ない言葉でも、ちゃんと聞いてればわかる。真っ直ぐな女の子なんだって」
あたしが、真っ直ぐ? どんなフィルターかかってんのよ、あんたの目は。
「ユキちゃんはね、恥ずかしがりやさんなんだよ」
「はじめて聞きました。ご本人様ですけど」
「ふふ、気づいてないだけ。だからユキちゃんは真っ直ぐで、すごく優しい女の子なんだ。ぼくにはわかるのです」
得意げに胸張っちゃって。あぁ、これは末期だわ。
「あっそ。学校行こっかな」
「あれ、もうそんな時間? 行ってらっしゃーい」
「……セツ、あたし、学校に行くんだよ?」
期待してるわけじゃない。セツのことだから、いつもみたく「そんなー!」って、泣きついてくる予定だったんだ。
だから、いつものふわふわなだけじゃない、穏やかな笑みを返されるなんて、思いもするはずがなくて。
「引きとめないよ。また会えるから」
なんだこれは。耳が、胸が、無性にこそばゆい。
「言うようになったな」
「オトナの余裕というやつです」
「にわか仕込みが。明日寒いらしいから、あたし来ないからね」
「うん、お待ちしております」
「おねがいだから、言葉のボールをキャッチして」
「待ってる。優しいユキちゃんのことだから、きっと来てくれるんだよね?」
有頂天にもほどがあるんじゃなかろうか。いや調子に乗っているからこそ、いまのセツになにを言ってもムダなのか。
「……気が向けばね」
ほぼ敗北宣言を置き土産に、背中を向ける。
「行ってらっしゃい!」
冬風に運ばれてきた言葉は、あたしの髪を舞い上げ、耳朶をかすめた。
妙なくすぐったさに空をあおげば、宵の空が茜を染めつくす直前。
髪をなびかせる夜気に、少し耳の熱を冷ます。
やがて白い息を吐き出し、灯りをともした街灯のシルエットへ、1歩、影を溶け込ませた。
応援ありがとうございます!
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