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*22* 間違いのない答え合わせ
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ㅤたとえば、「かっぱがすんでるよ!」と、丸文字が躍ったイラスト看板。
橋から見下ろすせせらぎは、川底まで澄みきり、きらめいている。
ㅤあるいは、「動物飛び出し注意!」の標識。
あっちでは牛だったり、向こうでは鹿だったり。
猪のシルエットを見つけたときは、留守番を言いつけたわんぱくなうり坊にも釘を刺しておかなきゃと、硬く心に誓った。
ㅤそして、T字路の突き当たりにポツンと佇む郵便局。
銀行と併設してやっと一軒家くらいの規模になるそこは、赤いポストと、鈴蘭型のガス灯が、目印なんだって。
ㅤ小一時間くらい歩いただろうか。ようやく折り返し地点。
片側一車線の車道脇で、歩道は、あるんだかないんだかよくわからない。
消えかけのラインと草むらの曖昧な境界を、はとちゃんは足取りも軽く進んでゆく。
「よーし、とうちゃーく!ㅤ休憩しよっか。ちょっと待っててね!」
ㅤするりと指先の離れる仕草は、ごく自然なもの。
一瞬の沈黙を挟んで、「うん」と、なんでもないように右の手のひらから視線を上げてみせた。
ㅤ軒下の影に身を寄せたところで、はとちゃんが慣れた手つきで和傘を閉じ、外壁へ立て掛ける。
持ち手が下。洋傘と逆向きなんだな。
妙に目を引いた光景にぼんやりと思考を巡らせながら、うっすらと額ににじむ汗を拭った。
「咲くーん、お水もらってきたよー」
ㅤそうこうしていると、両手に紙コップを持ったはとちゃんが、器用に手動の自動ドアを開けて、郵便局の中から戻ってくる。
細い肩越しに、郵便局員らしきおじさんと目が合ったので、会釈を忘れずに。
「はいっ、どうぞ!」
「ありがとう。……なんだか、悪いな」
「かまへんかまへん。ひと仕事の後の一杯は、格別ですもの。……っぷはー!ㅤつめたーい!」
ㅤはとちゃんにならって、壁に背を預けたら、紙コップに口をつける。
のどを滑り落ちる、キンと冷えた液体。身体の芯にこもった熱をスゥッと吹き飛ばされる感覚は、まさに生き返るって感じ。
「結構歩いたけど、疲れてない?」
「平気。まだ歩ける。余裕」
「それは頼もしいですなぁ。お兄ちゃんに聞かせてあげたいくらい。あっはっは!」
「ひょっとして葵、運動が苦手だったりする?」
ㅤ何気ない会話の、なんでもない質問だった。
ㅤだけど、からころと硝子を奏でていたはとちゃんが、とたんに肩をすぼめた。決まりが悪そうに。
「あー……お兄ちゃんはねぇ……」と彼女にしては煮えきらない言葉をつぶやいて、やがて観念したように苦笑した。
「お兄ちゃんね、足がわるいの。右のほう」
ㅤその告白は、少なくない驚愕と衝撃を、俺にもたらす。
「そんな風には、全然見えなかった……」
「日常生活をする分には問題ないんだけどね、走ったり、長時間歩いたりができないの」
「……どうして?」
「生まれつき、かなぁ」
ㅤ手元の紙コップへ視線を落とすついでに、ふと記憶を辿り、そういえば、と思い当たる。
葵は、いつもゆったりと歩を進めていた。俺より長身ながら、歩くスピードは遅くて。
「だから、かけっこも遠足もできなくて。それを気にして、まわりの人を遠ざけたり、友達も作らなかったんだ」
ㅤ俺の知る限り、〝脱・友達いない歴=年齢!〟を掲げていたのは、ほかでもない葵本人だった。
ネタにされているのも、いまだから。俺なんかじゃ到底想像もできない葛藤を、幼い頃から背負って生きてきた。
はとちゃんの話しぶりから、おのずと見て取れる。
「なんやかんやあって、ミヤ姉のところでお世話になることに決まって、まぁ、ご存じの通り。しょっぱなから馬が合いませんでねぇ。ほら、ミヤ姉って放浪癖があるでしょ?ㅤ探しに行きたくても、行けないんだよ」
ㅤコンプレックスを逆なでされるようなもの。
反感や、不信感。ほかにも様々な負の感情が、葵の心を掻き乱したことだろう。
ㅤじゃあ、みやびさんは?ㅤ葵の機微にも気づかず、好き勝手に歩き回っていたというのか。
ㅤ――俺は、違うと思う。
「〝答え合わせをしているんです〟って、みやびさんが言ってた」
ㅤたしか、ひと口に師匠と弟子と言っても、具体的にどんなことを教えているのか、と訊いたときだった。
ㅤ山頂からながめた八重霞を、小川の清流とたとえたり。
ㅤはたまた、はらはら舞う雪結晶を、桜吹雪だと。
ㅤ見たもの、聞いたもの、感じたもの。
思い描いたそのままを表現し、持ち寄っても、彼はそこに、まったく違った景色を描いているのです。
わたくしだけの感性。彼だけの感性。
間違いなどない、面白い答え合わせでしょう?
ㅤ――ここだけの話ではありますが。葵ちゃんは、わたくしより、ロマンチストなんです――と。
人差し指を口元に添える表情は、穏やかそのものだった。
「目にした綺麗な光景を、共有できなくても、共感はできる。みやびさんが色んなところに行くのは、満足に出歩けない、葵のためなんじゃないか…………って、思ったりするんだけど、俺は!」
ㅤ言いながら、瞳を白黒させるはとちゃんに気づき、ハッと我に返る。
知った風な口が過ぎただろうか。冷や汗がこめかみを伝っても、時は巻き戻せない。
橋から見下ろすせせらぎは、川底まで澄みきり、きらめいている。
ㅤあるいは、「動物飛び出し注意!」の標識。
あっちでは牛だったり、向こうでは鹿だったり。
猪のシルエットを見つけたときは、留守番を言いつけたわんぱくなうり坊にも釘を刺しておかなきゃと、硬く心に誓った。
ㅤそして、T字路の突き当たりにポツンと佇む郵便局。
銀行と併設してやっと一軒家くらいの規模になるそこは、赤いポストと、鈴蘭型のガス灯が、目印なんだって。
ㅤ小一時間くらい歩いただろうか。ようやく折り返し地点。
片側一車線の車道脇で、歩道は、あるんだかないんだかよくわからない。
消えかけのラインと草むらの曖昧な境界を、はとちゃんは足取りも軽く進んでゆく。
「よーし、とうちゃーく!ㅤ休憩しよっか。ちょっと待っててね!」
ㅤするりと指先の離れる仕草は、ごく自然なもの。
一瞬の沈黙を挟んで、「うん」と、なんでもないように右の手のひらから視線を上げてみせた。
ㅤ軒下の影に身を寄せたところで、はとちゃんが慣れた手つきで和傘を閉じ、外壁へ立て掛ける。
持ち手が下。洋傘と逆向きなんだな。
妙に目を引いた光景にぼんやりと思考を巡らせながら、うっすらと額ににじむ汗を拭った。
「咲くーん、お水もらってきたよー」
ㅤそうこうしていると、両手に紙コップを持ったはとちゃんが、器用に手動の自動ドアを開けて、郵便局の中から戻ってくる。
細い肩越しに、郵便局員らしきおじさんと目が合ったので、会釈を忘れずに。
「はいっ、どうぞ!」
「ありがとう。……なんだか、悪いな」
「かまへんかまへん。ひと仕事の後の一杯は、格別ですもの。……っぷはー!ㅤつめたーい!」
ㅤはとちゃんにならって、壁に背を預けたら、紙コップに口をつける。
のどを滑り落ちる、キンと冷えた液体。身体の芯にこもった熱をスゥッと吹き飛ばされる感覚は、まさに生き返るって感じ。
「結構歩いたけど、疲れてない?」
「平気。まだ歩ける。余裕」
「それは頼もしいですなぁ。お兄ちゃんに聞かせてあげたいくらい。あっはっは!」
「ひょっとして葵、運動が苦手だったりする?」
ㅤ何気ない会話の、なんでもない質問だった。
ㅤだけど、からころと硝子を奏でていたはとちゃんが、とたんに肩をすぼめた。決まりが悪そうに。
「あー……お兄ちゃんはねぇ……」と彼女にしては煮えきらない言葉をつぶやいて、やがて観念したように苦笑した。
「お兄ちゃんね、足がわるいの。右のほう」
ㅤその告白は、少なくない驚愕と衝撃を、俺にもたらす。
「そんな風には、全然見えなかった……」
「日常生活をする分には問題ないんだけどね、走ったり、長時間歩いたりができないの」
「……どうして?」
「生まれつき、かなぁ」
ㅤ手元の紙コップへ視線を落とすついでに、ふと記憶を辿り、そういえば、と思い当たる。
葵は、いつもゆったりと歩を進めていた。俺より長身ながら、歩くスピードは遅くて。
「だから、かけっこも遠足もできなくて。それを気にして、まわりの人を遠ざけたり、友達も作らなかったんだ」
ㅤ俺の知る限り、〝脱・友達いない歴=年齢!〟を掲げていたのは、ほかでもない葵本人だった。
ネタにされているのも、いまだから。俺なんかじゃ到底想像もできない葛藤を、幼い頃から背負って生きてきた。
はとちゃんの話しぶりから、おのずと見て取れる。
「なんやかんやあって、ミヤ姉のところでお世話になることに決まって、まぁ、ご存じの通り。しょっぱなから馬が合いませんでねぇ。ほら、ミヤ姉って放浪癖があるでしょ?ㅤ探しに行きたくても、行けないんだよ」
ㅤコンプレックスを逆なでされるようなもの。
反感や、不信感。ほかにも様々な負の感情が、葵の心を掻き乱したことだろう。
ㅤじゃあ、みやびさんは?ㅤ葵の機微にも気づかず、好き勝手に歩き回っていたというのか。
ㅤ――俺は、違うと思う。
「〝答え合わせをしているんです〟って、みやびさんが言ってた」
ㅤたしか、ひと口に師匠と弟子と言っても、具体的にどんなことを教えているのか、と訊いたときだった。
ㅤ山頂からながめた八重霞を、小川の清流とたとえたり。
ㅤはたまた、はらはら舞う雪結晶を、桜吹雪だと。
ㅤ見たもの、聞いたもの、感じたもの。
思い描いたそのままを表現し、持ち寄っても、彼はそこに、まったく違った景色を描いているのです。
わたくしだけの感性。彼だけの感性。
間違いなどない、面白い答え合わせでしょう?
ㅤ――ここだけの話ではありますが。葵ちゃんは、わたくしより、ロマンチストなんです――と。
人差し指を口元に添える表情は、穏やかそのものだった。
「目にした綺麗な光景を、共有できなくても、共感はできる。みやびさんが色んなところに行くのは、満足に出歩けない、葵のためなんじゃないか…………って、思ったりするんだけど、俺は!」
ㅤ言いながら、瞳を白黒させるはとちゃんに気づき、ハッと我に返る。
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