上 下
9 / 65

8.夕影に嗤うピエロ

しおりを挟む
 
 うちの高校は、男女が外泊するだけで、不純異性交遊とみなされるらしい。
 なら、俺らなんかモロアウトじゃん。
 なんせ俺は高校生。愛しの二葉ふたば先生は教師だ。
 まぁ、このご時世だしね。

「ごめんなさいね、須藤すどうくん」
「いいっていいって。使うの俺らだし!」

 休み時間。俺は二葉のお手伝いで、並んで廊下を歩いていた。
 ひとまずは、地道な好感度アップってね。

「あ、そだ。数学の課題でわかんないとこあったから、放課後質問に行っていい?」

 で、シチュエーション作りも、ぬかりなく。

「わたしでよければ……」
「うんうんっ、ありがと!」

 気恥ずかしげに頬を赤らめる二葉が、どうしよう、ものすごくかわいい。なでたい。
 くっそジャマしやがって、古語辞典!

「あ、ソレも俺が教室に運んどくよ。フタバっちも授業あるでしょ?」
「ありがとう。お願いしますね」
「どーいたしまして!」

 最上級のマイナスイオンを振りまいて、二葉から古語辞典を受け取った俺。
 その山を教卓にどっかりと下ろして、内心おかしくておかしくて、たまらなかった。

(津村のババア……二葉パシりやがって)

 2年目だからナメてんのか?
 国語係の生徒使うなり何なり、もっと方法はあっただろうが。ざけんな。
 古語辞典を適当に1冊わし掴んで、自分の席に直行した。
 教材を並べて、シャーペンを右手に握れば、予習にいそしむ優等生の一丁あがり。

「……二葉」

 授業用とは別の、緑の大学ノートに書かれているのは――


  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉
  二葉 二葉 二葉 二葉 二葉


 どのページにも、綺麗な、魔法のふた文字。
 二葉の授業じゃないときの安定剤だ。
 この1年間、これだけで、よくもったと思う。

(俺と二葉は、男と女……)

 愛し合いたい。
 身体を重ねたい。

「……っ」

 俺は、おかしい。
 そんなのわかってる。
 だけど、一度好きだと自覚したら、二葉への欲望が止められないんだ。

 ……ズキン。

(……あぁ、まただ)

 昔から悩まされていた頭痛が、最近は酷い。
 理由は――ひとつだ。


  ◇ ◆ ◇ ◆


 部活仲間に別れをすませた夕暮れ、ソレは始まる。

『学校オツカレサマ。今日もステキな愛想笑いだったわね。ねぇ……ムシはよくないわ。ホントはきこえてるんでしょ?』

 ……うるさい、俺は疲れてんだ。
 じゃなきゃ、きこえるわけない。
 三毛猫が話しかけてくる幻聴なんて。

『最近楽しそうね。好きなヒトができたんでしょ? あきらめなさいな。アナタなんて、眼中にないわ』
「っせぇなぁッ!」

 ガマンの限界だった。
 心底気色悪くて、足にまとわりつく三毛猫を振り払う。
 結果として蹴り飛ばされたメス猫は、アスファルトに叩きつけられ、きゃん、と鳴いた。

「毎日毎日、何なんだよ……いい加減に――!」

 ゴ、リッ。

 すべてが、真っ白になった。
 ヘッドライトの不意打ちで、目がくらんだんだ。

「……あれ」

 誰だよ、道路ちらかしたヤツ。
 ペンキぶちまけやがって、しかも赤とか。あのメス猫並みに悪趣味だな。
 で……ヤツはどこだ? なんて。
 そこにいるじゃん。
 アスファルトに、スタンプされて。

「っ……ソ、だろ」

 トラックに轢かれて……しん、だ?
 いや……ころした。
 コロサレタ。俺に。

「ちがう……俺は、ころすつもりなんてっ!」
『もう、乱暴なんだからぁ』

 ……俺は、相当気が動転してるのか。
 鮮血を散らした猫が、骨を砕かれた猫が、悠々と立ち上がる幻覚まで見るなんて。

『ふふ……イジメ甲斐があるわ、アナタ』
「まて……」
『欲望を抑えることはないわ。それは本能だもの』
「来んな……」
『愛されたいんでしょ? 快感も欲しいんだわ。奪っちゃえばいいのよ。本能のままに……アナタは、ケモノなんだから』
「うるさい……うるさいうるさいうるさいッ!!」

 昔から、よく頭が痛んだ。
 幻聴がきこえた。
 悪いほう悪いほうへと、考えるクセがあった。
 これが本能? ざけんな。

「……俺は、ケモノなんかじゃねぇ」

 なぜなら、二葉に恋をしているから。

「そうだ……俺の子供、産んでもらおう」

 どうあがいたって、ヒトとケモノは交われないから。

「俺と二葉は、男と女だから、大丈夫……できる……」

 まだ17? もう17だ。
 俺の身体は、充分に、二葉を悦ばせてあげられる。

「っふふ……あはははははっ!」

 アスファルトに散らばる勉強道具。
 血に濡れた左手のカッター。
 メス猫は、もうなにもしゃべらない。
 高らかな嗤い声がきこえる。
 脳内麻薬にやられた、ユカイな俺の。

「愛してるよ、二葉っ!」

 あぁ……愉しい、気持ちイイ。
 想像するだけでこうなら、実際のきみは、どんなにやわらかくて、あまいことだろう。

「かわいいかわいい、二葉ちゃん……俺といっしょに、しあわせになろーね……」

 闇をまとった、血みたいな夕焼けだった。
 揺らめく影。
 俺の中の〝ナニか〟が、ピエロみたいに、嗤ってた。
しおりを挟む

処理中です...