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22.狂気の怪物

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 怒号と、鈍い衝突音。

「……っつ……」
「大丈夫ですか、四紋しもん
「はい、大事ありません」
「手応えは」
「難敵ですね。さながら、幾重にも絡んだツルのようです」

 口端ににじんだ血をぬぐう四紋さん。
 アレは、わたしが噛みついた跡……
 正気の回復とともに、記憶がフラッシュバックします。

「……っあ……わたし」

 すみませんという口グセは、遮られました。
 突如として身体を襲った、激痛によって。

「……あぁああっ!!」
日野ひの先生!」

 事切れたかのごとく崩れ落ちる身体を、四紋さんが抱きとめてくださいました。

「麻痺が切れたか……日野先生、いまの貴女は、むき出しの神経をえぐられた状態です。お身体に障ります。あまり無理はなされませんよう」
「〝はぐれ猫〟……は……」
「申し訳ありません、逃しました。ですが、次は必ず成功させますので」
「その必要はありません」

 凛と響いた声の主は、東雲しののめさん。
 遅ればせながら理解し、やっとのことで首をかたむけます。
 碧眼を見開いた四紋さんの横顔が、視界に飛び込んできました。

「四紋、おまえは先ほど、〝幾重にも絡んだツルのようだ〟と言いましたね。それは、彼女という存在に執着した者の成れの果て。どこに転移したとも知れない、ガン細胞のようなものです。闇雲に抗ガン剤を打ち込んでみなさい、彼女を殺します」
「お嬢さま……では」
「打ち止めです」

 東雲さんは、オブラートに包むのがとてもお上手ですね。
 至らないわたしでも、理解できました。
 抗ガン剤投与を中止した末期患者の、たどる道を。

「日野先生、あなたにひとつ、お伝えしていなかったことがあります」

 ぐったりと四紋さんにもたれかかるわたしの目線まで、アメシストの瞳が下りてきました。

「〝はぐれ猫〟が戻らなかった場合に死ぬ、そこに至るまでの過程です」
「か、てい……?」
「えぇ。〝九生猫〟の〝命〟を宿したあなたは、普通のヒトではありません。このまま世界に拒絶され続けた行く末は――ヒトでも〝九生猫〟でもない、狂気の怪物と化します」
「…………え」
「お嬢さま……」

 なにかを言いかける四紋さん。
 彼を一瞥した東雲さんは、こう続けます。

「〝銀猫ぎんねこ〟の目的は、ヒトと〝九生猫きゅうしょうねこ〟の共存。それを脅かす危険因子は、排除する必要があります」

 彼女の声音は単調です。冷たいほどに。
 言葉選びが巧みなひとですから、なにを言いたいのか、なんとなくわかっていました。

「あなたの授業を受けることができず、残念です……日野三葉みつば先生」

 ですから、そう続けられて、別段驚きはしませんでした。
 ただ……悲しく、寂しかっただけです。
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