23 / 65
21.名取り
しおりを挟む
〝絶命します〟
四紋さんの声が、どこか遠くで響いています。
「四紋」
「……これは失礼いたしました」
東雲さんの言葉を受け、四紋さんは深々と頭を垂れます。
「ごめんなさい。彼も〝九生猫〟に違いはありませんから。心中お察しします」
〝はぐれ猫〟が戻らなければ、死ぬ。
事実上の、余命宣告でした。
「〝この世に存在しない生命〟の片鱗を身に宿していることで、日野先生、あなたを、世界が拒絶しています」
「それが〝拒絶反応〟……ですか」
「えぇ。近頃の体調不良の原因です」
「……あと、どれだけもちますか」
「長くて1週間……いえ、数日かと」
なんて現実味のない話なんでしょう。
悲しいのか、どうなのか……それすらわかりません。
「わたしは……どうすればいいのでしょうか」
「〝はぐれ猫〟の戻る保証がない以上、原因を取り除くほかありませんね」
「それは……〝命〟を捨てるということですよね」
「あなたの身体には、零の〝命〟が在ります。どうかためらわないで。〝あなた〟という〝命〟は、ひとつしかないのですから」
零……わたしは、本当になにも知らなかったみたい。
そんな中でも、あなたのことだからきっと、わたしのために走り回ってくれていたんですよね。
「…………わかり、ました。わたしを、二葉に戻してください」
ごめんなさい、〝はぐれ猫〟さん。
こんなわたしを、愛してくれた子。
わたしは、わたしの大事な飼い猫のために……顔も名前も知らないあなたのことを、裏切ります。
ですから、今度はどうか……こんな酷い女よりも、いいヒトを見つけて。
「あなたの願い、たしかに聞き届けました」
静かにつぶやいたのち、そっと、東雲さんがまぶたを下ろします。
「四紋、おまえに任せます」
「かしこまりました、お嬢さま」
そう、ですよね……〝九生猫〟のことでなにかできるとしたら、四紋さんですよね。
そんなふうに、東雲さんと四紋さんのやり取りを、どこか他人事のようにながめていたときです。
おもむろに、四紋さんが黒ぶち眼鏡を外しました。
「失礼いたします」
呆けている間に歩み寄られていたよう。
しかも背中を抱かれ、身体が密着しては、長身な彼の表情をうかがうことはできません。
「あの……」
「私の眼を、見ていただけますか」
穏やかな声にいざなわれるがまま、グッと、首を反らします。
……金縛りに遭ったようでした。
ヒトならざる細長い瞳孔が、中央を突き抜け、優しげだった碧眼は、ゾクリとするような妖しさをはらんでいました。
「そう……どうかそのままで」
身体中の力が抜け、四紋さんの腕に全体重を預ける形となります。
なのになぜか、わたしの両腕は、彼の背中にしっかりと回されていて。
「すみません。私の〝名取り〟は少々独特でして、少なからず、驚かせてしまうかもしれません」
ナトリ……?
聞き返したくとも、身体が言うことを聞きません。
「いまから私が、貴女の中に在る〝はぐれ猫〟を、引きずり出します」
一体、なにをされるんだろう……
考えたって答えが出るはずもない思案を巡らせているうちにも、わたしの視界は、四紋さんで埋めつくされます。
「最大限まで痛覚を麻痺させましたが……もしものときは、爪を立てていただいてもかまいませんので」
互いの吐息がふれるところまで、顔が近づきました。
これじゃあキスされるみたいだわ、なんて自惚れは、自嘲で笑い飛ばします。
そんな直後でした。
「では、行きますよ」
振り払った幻を、現実として見せつけられたのは。
「……っ!?」
悲鳴は声になりません。
やわらかい唇が、わたしのそれを覆っているから。
「……んっ」
たしかに、痛覚はありません。
ですが、触覚は健在。身体に侵入してきた違和感を、しかと感じ取れます。
(探られてる……)
ふれているのは唇だけなのに、脳に伝わるたしかな違和感……
さほど大きさのない入り口を、じわじわと押し広げられているような感覚は……正直のところ、怖いです。
わたしを抱く腕に、ギュッと力が込められます。
なだめられたようでした。
ホッと気の抜けた瞬間を、四紋さんは見逃しません。
「――っ!」
つながりが深くなりました。と同時に、違和感が強まります。
それだけでなく、嫌悪感にも似た感情が、わたしの意思に関係なく、身体の芯からにじみ出ます。
まるで、突っ込まれた手に、心臓を鷲づかみにされたような感じ。
痛みよりも、ただただ、嫌悪感があふれて――
(いや……イヤッ……!)
限界は、目前でした。
「――触ルナッ!!」
四紋さんの声が、どこか遠くで響いています。
「四紋」
「……これは失礼いたしました」
東雲さんの言葉を受け、四紋さんは深々と頭を垂れます。
「ごめんなさい。彼も〝九生猫〟に違いはありませんから。心中お察しします」
〝はぐれ猫〟が戻らなければ、死ぬ。
事実上の、余命宣告でした。
「〝この世に存在しない生命〟の片鱗を身に宿していることで、日野先生、あなたを、世界が拒絶しています」
「それが〝拒絶反応〟……ですか」
「えぇ。近頃の体調不良の原因です」
「……あと、どれだけもちますか」
「長くて1週間……いえ、数日かと」
なんて現実味のない話なんでしょう。
悲しいのか、どうなのか……それすらわかりません。
「わたしは……どうすればいいのでしょうか」
「〝はぐれ猫〟の戻る保証がない以上、原因を取り除くほかありませんね」
「それは……〝命〟を捨てるということですよね」
「あなたの身体には、零の〝命〟が在ります。どうかためらわないで。〝あなた〟という〝命〟は、ひとつしかないのですから」
零……わたしは、本当になにも知らなかったみたい。
そんな中でも、あなたのことだからきっと、わたしのために走り回ってくれていたんですよね。
「…………わかり、ました。わたしを、二葉に戻してください」
ごめんなさい、〝はぐれ猫〟さん。
こんなわたしを、愛してくれた子。
わたしは、わたしの大事な飼い猫のために……顔も名前も知らないあなたのことを、裏切ります。
ですから、今度はどうか……こんな酷い女よりも、いいヒトを見つけて。
「あなたの願い、たしかに聞き届けました」
静かにつぶやいたのち、そっと、東雲さんがまぶたを下ろします。
「四紋、おまえに任せます」
「かしこまりました、お嬢さま」
そう、ですよね……〝九生猫〟のことでなにかできるとしたら、四紋さんですよね。
そんなふうに、東雲さんと四紋さんのやり取りを、どこか他人事のようにながめていたときです。
おもむろに、四紋さんが黒ぶち眼鏡を外しました。
「失礼いたします」
呆けている間に歩み寄られていたよう。
しかも背中を抱かれ、身体が密着しては、長身な彼の表情をうかがうことはできません。
「あの……」
「私の眼を、見ていただけますか」
穏やかな声にいざなわれるがまま、グッと、首を反らします。
……金縛りに遭ったようでした。
ヒトならざる細長い瞳孔が、中央を突き抜け、優しげだった碧眼は、ゾクリとするような妖しさをはらんでいました。
「そう……どうかそのままで」
身体中の力が抜け、四紋さんの腕に全体重を預ける形となります。
なのになぜか、わたしの両腕は、彼の背中にしっかりと回されていて。
「すみません。私の〝名取り〟は少々独特でして、少なからず、驚かせてしまうかもしれません」
ナトリ……?
聞き返したくとも、身体が言うことを聞きません。
「いまから私が、貴女の中に在る〝はぐれ猫〟を、引きずり出します」
一体、なにをされるんだろう……
考えたって答えが出るはずもない思案を巡らせているうちにも、わたしの視界は、四紋さんで埋めつくされます。
「最大限まで痛覚を麻痺させましたが……もしものときは、爪を立てていただいてもかまいませんので」
互いの吐息がふれるところまで、顔が近づきました。
これじゃあキスされるみたいだわ、なんて自惚れは、自嘲で笑い飛ばします。
そんな直後でした。
「では、行きますよ」
振り払った幻を、現実として見せつけられたのは。
「……っ!?」
悲鳴は声になりません。
やわらかい唇が、わたしのそれを覆っているから。
「……んっ」
たしかに、痛覚はありません。
ですが、触覚は健在。身体に侵入してきた違和感を、しかと感じ取れます。
(探られてる……)
ふれているのは唇だけなのに、脳に伝わるたしかな違和感……
さほど大きさのない入り口を、じわじわと押し広げられているような感覚は……正直のところ、怖いです。
わたしを抱く腕に、ギュッと力が込められます。
なだめられたようでした。
ホッと気の抜けた瞬間を、四紋さんは見逃しません。
「――っ!」
つながりが深くなりました。と同時に、違和感が強まります。
それだけでなく、嫌悪感にも似た感情が、わたしの意思に関係なく、身体の芯からにじみ出ます。
まるで、突っ込まれた手に、心臓を鷲づかみにされたような感じ。
痛みよりも、ただただ、嫌悪感があふれて――
(いや……イヤッ……!)
限界は、目前でした。
「――触ルナッ!!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる