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21.名取り

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〝絶命します〟

 四紋しもんさんの声が、どこか遠くで響いています。

「四紋」
「……これは失礼いたしました」

 東雲しののめさんの言葉を受け、四紋さんは深々と頭を垂れます。

「ごめんなさい。彼も〝九生猫きゅうしょうねこ〟に違いはありませんから。心中お察しします」

〝はぐれ猫〟が戻らなければ、死ぬ。
 事実上の、余命宣告でした。

「〝この世に存在しない生命〟の片鱗を身に宿していることで、日野ひの先生、あなたを、世界が拒絶しています」
「それが〝拒絶反応〟……ですか」
「えぇ。近頃の体調不良の原因です」
「……あと、どれだけもちますか」
「長くて1週間……いえ、数日かと」

 なんて現実味のない話なんでしょう。
 悲しいのか、どうなのか……それすらわかりません。

「わたしは……どうすればいいのでしょうか」
「〝はぐれ猫〟の戻る保証がない以上、原因を取り除くほかありませんね」
「それは……〝命〟を捨てるということですよね」
「あなたの身体には、れいの〝命〟が在ります。どうかためらわないで。〝あなた〟という〝命〟は、ひとつしかないのですから」

 零……わたしは、本当になにも知らなかったみたい。
 そんな中でも、あなたのことだからきっと、わたしのために走り回ってくれていたんですよね。

「…………わかり、ました。わたしを、二葉ふたばに戻してください」

 ごめんなさい、〝はぐれ猫〟さん。
 こんなわたしを、愛してくれた子。
 わたしは、わたしの大事な飼い猫のために……顔も名前も知らないあなたのことを、裏切ります。
 ですから、今度はどうか……こんな酷い女よりも、いいヒトを見つけて。

「あなたの願い、たしかに聞き届けました」

 静かにつぶやいたのち、そっと、東雲さんがまぶたを下ろします。

「四紋、おまえに任せます」
「かしこまりました、お嬢さま」

 そう、ですよね……〝九生猫〟のことでなにかできるとしたら、四紋さんですよね。
 そんなふうに、東雲さんと四紋さんのやり取りを、どこか他人事のようにながめていたときです。
 おもむろに、四紋さんが黒ぶち眼鏡を外しました。

「失礼いたします」

 呆けている間に歩み寄られていたよう。
 しかも背中を抱かれ、身体が密着しては、長身な彼の表情をうかがうことはできません。

「あの……」
「私の眼を、見ていただけますか」

 穏やかな声にいざなわれるがまま、グッと、首を反らします。
 ……金縛りに遭ったようでした。
 ヒトならざる細長い瞳孔が、中央を突き抜け、優しげだった碧眼は、ゾクリとするような妖しさをはらんでいました。

「そう……どうかそのままで」

 身体中の力が抜け、四紋さんの腕に全体重を預ける形となります。
 なのになぜか、わたしの両腕は、彼の背中にしっかりと回されていて。

「すみません。私の〝名取り〟は少々独特でして、少なからず、驚かせてしまうかもしれません」

 ナトリ……?
 聞き返したくとも、身体が言うことを聞きません。

「いまから私が、貴女の中に在る〝はぐれ猫〟を、引きずり出します」

 一体、なにをされるんだろう……
 考えたって答えが出るはずもない思案を巡らせているうちにも、わたしの視界は、四紋さんで埋めつくされます。

「最大限まで痛覚を麻痺させましたが……もしものときは、爪を立てていただいてもかまいませんので」

 互いの吐息がふれるところまで、顔が近づきました。
 これじゃあキスされるみたいだわ、なんて自惚れは、自嘲で笑い飛ばします。
 そんな直後でした。

「では、行きますよ」

 振り払った幻を、現実として見せつけられたのは。

「……っ!?」

 悲鳴は声になりません。
 やわらかい唇が、わたしのそれを覆っているから。

「……んっ」

 たしかに、痛覚はありません。
 ですが、触覚は健在。身体に侵入してきた違和感を、しかと感じ取れます。

(探られてる……)

 ふれているのは唇だけなのに、脳に伝わるたしかな違和感……
 さほど大きさのない入り口を、じわじわと押し広げられているような感覚は……正直のところ、怖いです。

 わたしを抱く腕に、ギュッと力が込められます。
 なだめられたようでした。
 ホッと気の抜けた瞬間を、四紋さんは見逃しません。

「――っ!」

 つながりが深くなりました。と同時に、違和感が強まります。
 それだけでなく、嫌悪感にも似た感情が、わたしの意思に関係なく、身体の芯からにじみ出ます。
 まるで、突っ込まれた手に、心臓を鷲づかみにされたような感じ。
 痛みよりも、ただただ、嫌悪感があふれて――

(いや……イヤッ……!)

 限界は、目前でした。

「――触ルナッ!!」
 
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