聖女と騎士

じぇいど

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誓約

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 このイケオジが王弟! この国の王族!? ふおお。


 王族なんて生まれて初めて見たよ。
 息してるよ! 動いてるよ! 確実にパンダより稀少。オカピとか八丈島のキョンレベルかな。
 ほとんど珍獣扱いで思わずちらちら眺めてしまったけど、それも仕方ないと思う。だって、あちら様だって私のこと絶滅危惧種観察するみたいな目で見てるもん。

 私がこそこそ視線を投げてるのに気づいたのか、ここで初めてイケオジが口を開いた。

『この娘が本当にスフィーダなのか?』

 うわ、しっぶい声だなー。響くバリトン。
 でも、続けてなんちゃらかんちゃら言ってるのはどうも、そうは見えないとか、信じられないとか、こんな小娘が、とかいう感じの否定の言葉っぽい。
 いや、別に私が自分で『スフィーダ』です、って手を挙げたわけじゃないんですがねー。

 けど、イケオジは私に向かって言っているわけではないのはわかる。その視線がちらり、と横へ流れた。


 え。

 彼が気にしてるのって、ひょっとして――。


 私が首をかしげたその瞬間。まさか、と思った当の相手が静かに口を開いた。

『間違いなく、スフィーダです』


 ……どうして、ギルフェールドさんが断言するんだろ。
 しかも、どうして王弟であるイケオジは、ギルフェールドさんに尋ねたかったんだろう。


 そのまま二人の会話はしばらく続いた。
 声を荒げることもなく、激しくもないけど、なんとなく目に見えない火花が散っているのがわかる。
 この二人って仲悪いの? そもそももとから知り合いなの? 

『私ははっきりと見ました』
『確かか』
『はい』
『ならば、確かにスフィーダなのだろう』

 私にはわからないやりとりのあげく、ようやくイケオジが頷いた。


 なに? ギルフェールドさんが見たのって、なんなのいったい?
 私が『スフィーダ』だって確認したのはギルフェールドさんなの? って、いったい目覚める前に私になにがあったの?
 スタイン先生たちと一緒に護衛役としてここにきた以前に、ギルフェールドさんは私を見たことがあったんだろうか。

 だったら、ギルフェールドさんは私がここへやってきたときのことを知ってるかもしれないんじゃない?
 ひょっとしたら、なぜ私がここにいるのか、その事情も。


     *


 これまで、目覚めたらいきなり知らない世界にいたのはなぜか、ことさら問うことはしなかった。
 言葉が通じなかったのもあるし、必要なことなら嫌でも誰かが教えてくれるはずだと思ったから。

 正直、怖かった。

 私の乏しい知識と想像力から考えて、異世界転移の原因なんて、世界の摂理で意味もなくたまたまの事故パターンか、誰かが召喚もしくは送還した人為パターンか、夢落ちの三本しかない。
 あ、もちろん神様失敗系とかバーチャルゲームから逃げられなくなったとか派生パターンはあるだろうけど、これだって事故パターンの変形だし。

 だったら、私の場合は、なに?

 私が『スフィーダ』だと彼らは言うけど、それが異世界人を表す単語なのかはわからない。
 もし、私がこの世界へ落ちてきた原因が事故だとしてよ? ここの人たちにはただのゆく当てのない行き倒れだと思われてたとしたら? 
 異世界なんて匂わせたりしたら、少し頭がおかしいヤツだと思われるかもしれない。異世界人なんて得体のしれないヤツだと怖がられるかもしれない。

 そう考えると、下手に動くのは怖かった。
 ましてや、誰かに召喚されたなんてパターンだったとしたら、そいつが私になにをさせたいのか知らされるまでに、できる限り言葉をわかるようになっておきたいと思ったの。邪魔が入らないよう、なるべく従順にして。自衛です自衛。


 けど、ギルフェールドさんが、なにか手がかりを知っているかもしれない、というなら――。


     *


 私が物思いにふけっている間にも、話し合いは続いていたようで。
 不意に、辺りから大きな声がいくつも上がって、びくっとする。なになになに?

『それは――』
『少しお待ちを』

 スタイン先生とか、宰相 (たぶん)とかが慌てて引き留めてる。なんか、イケオジがすごい挑戦的な目つきでギルフェールドさんを眺めていた。
 うわー。すっごい上から目線。ふふん、って擬音がイケオジの背後に浮かんでいるようだよ。
 これはあれか。やれるならやってみな、みたいな発言でもしたんだろうか。私が『スフィーダ』だということを証明してみせろ、だとか。

 そんなイケオジに対して、ギルフェールドさんは一瞬目をみはったあと、わずかに視線を落とした。そして、静かに頷く。

『わかりました』

 そう言ったかと思うと、扉の定位置から離れて、まっすぐ私に向かって近づいてきた。なになになに――!?
 
 私の前で、流れるような優雅な仕草で膝をつく。そしてゆっくりと手を伸ばすと、私のスカートのすそに触れた。

「!?」

 叫び出さないようにするのが精一杯だった。な、なにしてくれちゃってんですかこの人。まるで騎士みたいな――あ、騎士か。
 けど、いきなり姫君に誓いをたてるみたいな真似することないと思うの。いくら護衛だってさー、と恥ずかしさで沸いた頭でぼんやり思ってたら――あろうことか、スカートの裾をつかんで唇を落とした!

 !!!

 ちょっ、ちょ、ちょっと待って! これはあれよね? 私の中の常識だと、あなたの騎士になりますとか、命をかけて貴女をお守りします、とかそういう意味だけど、こっちの世界ではきっと違うんだよね!? これでお役目返上いたしますとか、これからさらに精進します、とか、そんなもっと軽い意味だよね? ね? ね!!!

 わたわたしていると、ギルフェールドさんは、今度は腰にいた剣をすらりと抜いた。ひ、と私が怯えた声をあげる前に、くるりと向きを変えると、つかの方を私に差し出す。剣先を自分の肩において。

 低い美声が部屋に響いた。

 正直、このときの私に彼がなにを言っているかはわからない。でも、たぶんこういう意味だろうということだけは理解できた。


 騎士の誓約。


 剣で生きている人が、自らに剣先を向けてみせる、ということは、そうとしか思えない。たとえどんな世界でも。

 後で、スタイン先生に確認したところによると、これはやはり騎士の誓約で間違いなく、ギルフェールドさんがこのとき述べていたのは、こんな台詞だったらしい。


『このときより、我が命は汝に捧げ。
 我が血は汝のもの。我が吐息は汝のもの。
 汝の敵は我が敵として、このすべての血を流し尽くそうとも滅ぼさんことを誓う――』


 そう言って、呆然としている私の手に剣を握らせ、わずかにこちらを見上げた彼の目は。

 
 ただ、くらかった。


 息が止まりそうになった。
 絶対、この人、私の騎士になんてなりたくないんだろう。
 たぶん、イケオジが無茶をふっかけてそれを受けざるをえなかっただけだろー!
 もー! くそイケオジのやろー、なにしてくれちゃってんの! こんなの認めたら、ギルフェールドさんに一生死ぬほど恨まれるじゃん!
 慌ててぶんぶんぶんぶんとちぎれそうなくらい首を振る。
  

『だめ。いけない。違う。いらない』


 テンパりすぎて、最後のほうは日本語も混ざったけど、とにかく必死。なにはともあれ、拒否しないと。がんばれ、ノーといえ私! 
 でないと、ギルフェールドさんに心底嫌われる!

 やっと最近、態度が軟化してきたのに。
 野生の肉食獣が、ちょっとは近づくのを許してくれるようになった、そんな気がしてたのに。


 また、遠くなっちゃう――。


 ダッシュで部屋の隅に逃げたかったけど、不安定な姿勢でギルフェールドさんの剣を持たされてるから、下手に動くこともできない。首切っちゃいそうで怖い。
 だからただ、壊れたみたいに首を振り続けてると、そうかそんなに嫌か、みたいな言葉が聞こえてきて、今度はイケオジが近づいてきた。やだもー。今度はなによー。

 イケオジは、ひざまづいているギルフェールドさんの横へしゃがみ込むと、ニヤニヤしながら彼の顔をのぞき込んだ。うわあ。悪い顔。どんびきだわー。
 そして、無造作に手を伸ばすと――ギルフェールドさんの肩についていた記章をぷちり、とむしり取った。
 スタイン先生たちの喉から驚きの声が上がる。

 悲鳴のような嘆願の端々と、イケオジが悪役の捨て台詞っぽくつぶやく言葉から、どうやらその記章が、ギルフェールドさんの役職を表しているらしいことが理解できた。
 取り上げられるということは、その地位を追われる、ということが――。


 ちょっと待って、待ってよ、そんな。

 
 私の騎士にならないんなら、そんな地位についてても仕方ないだろう、なんて感じのことを蕩々とうとうと述べてるらしいイケオジの頭をしばき倒してやりたい。
 救いを求めて辺りを見回しても、スタイン先生は視線をそっと伏せ、お爺ちゃんは首を振り、宰相 (推定)は顎で、剣を受け取るように示唆してきた。
 だって、待って。そんなことしたら――。

 途方にくれていると、手の中の剣の束がかすかに揺れた。
 視線を上げると、ギルフェールドさんが、刀身を掴んでさらに私に押しつけてくる。


『言ってください――許す、と』

 
 たぶん、私たち二人にしか聞こえないだろう、小さな声。

 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
 そう、たぶん他に道はないのだろう。たとえ、彼にとっては、死ぬほど嫌なことだとしても。
 ええい、女は度胸!


『許す――です』  

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