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謁見
しおりを挟む『風呂場だっこ事件』。
個人的にそう名付けたお姫様だっこされたあの日から、約束通りギルフェールドさんの態度が柔らかくなった。
といっても別にぺらぺら話しかけてくるとかそんなんじゃないけど。
明らかに無関心無表情無気力無視の四無状態から、いちおうこっちの存在を認識してくれてるってわかるまでに進化してる。
私の行動にちゃんと表情で感情を見せてくれるようになった。私が無茶をしたらわずかに顔をしかめるし、へまをしたらやれやれと肩をすくめる、ってそんな感じ。
ちなみに笑顔まではいかないけど、かすかに唇の端が上がることはある。はい、主に私が愉快でおもしろげなドジを踏んだときですがなにか。
えー、お姫様だっこされてたときの、腕の感触とか、温もりとか、肌越しに伝わる腰に響く美声音とかの記憶についてですが――その件につきましては綺麗さっぱりデリートしております。
いや、デリートというより、脳内トランクに詰めて頑丈な鍵かけてその上から鎖でぐるぐるまきにしたうえで忘却の海に沈めたよ! 思い出したりなんかしないよ! そんなことしたら、日常生活に悪影響が出るもん。絶対。必ず。
とにかく、ギルフェールドさんのことはよく出来た置物だと思うことにすると決めたのだ。目の保養専用。睨まれなければそれでよし! でないと心臓が持たない! 息止まる!
彼がむやみと話しかけてくる友好的なタイプでなくてほんとよかった。
けど、そういうタイプなら、ここまで格好良く見えたりしなかったかもしれないけど。
*
この世界で目が覚めて十二日目。スタイン先生たちの来訪から四日目のことだった。
きわめて論理的かつ効率的に、ここの言葉を教えてくれていたスタイン先生の授業の様子がちょっと変わった。
これまでは、単語の意味とか、文法とか、私が理解し完全に納得するまで説明してくれてたんだけどね。おかげでようやく「~の」とか「~と」なんかの助詞が使えるようになってきたよ!
けど、今日はなんだか慌てた様子で、とにかくこれから教える文章をまるっと覚えろ、って言われた。
意味の説明はまた今度ゆっくり、だって。
なにかあったのかな。
ちょっときな臭い感じがする。
意味とかわからなくてもいいから覚えろ、って、きっと近々どこかでこのフレーズ言わされるってことだよね? なんかの儀式に出されるとかそういう感じがひしひしするよ!
ひょっとしてこれ、生け贄コース? 邪神様への呪文? それとも、隣国との政略結婚式に必要な誓いの言葉かなんか?
さすがに不安になって、うまく覚えられない。
そんな私の様子に気づいたか、スタイン先生は短く、『偉い人への挨拶』と言った。
なんですと。
ということは、誰か偉い人に引き合わされるということですか?
なるほど、問答無用で覚えさせられてるこの文章は、「本日はご尊顔を拝し恐悦至極に存じ……」みたいな定型文の挨拶だとみたね。とりあえずこれ述べてニコニコしてればなんとかなる、みたいな。
不安はだいぶ減ったけど、うへえ、という気分は否めない。
偉い人への拝謁なんて、失礼があったらどうしよう。即、スタイン先生への評価につながったりするんだろうか。だったら死ぬ気で覚えなくちゃ。
いや、それ以上に、こんな常識のない失礼な女をこれ以上養っても仕方ない、放り出せ、なんて言われたら困る。否応なしに真剣味が増すわー。
誰が来るのか、告げられたような気もするんだけど、位や職業を表す単語が理解できないから結局わからなかった。
まあ、そのほうがいい気もする。今から緊張してたら、身が持たないから。
*
午後。お茶の時間に、その人たちはやってきた。
どうやら、予定されていた時刻よりかなり早かったようで、スタイン先生もメイドさんたちも大慌てしていた。メイドさんのひとりがブラシをを手に私にだーっと駆け寄ってきたかと思うと、客人と私の髪とを交互に眺めて、ため息をついて肩を落としていたのが笑える。うん。いまさら手遅れですね。
訪問者は今度もまた三人組だった。初対面は三人で、とかいう決まりでもあるのかなほんと。
まずは、以前来たことのあるダーレント様に雰囲気の似た、でも彼よりもっと地位が高そうな白髪の老人。
白いローブの上に、大きくて立派な装飾品をつけてるし、スタイン先生が転がるように御前に進み出た後膝をついて挨拶していたから、実際かなり偉い御方なんだと思う。
国王――いやいや、まさかね。領主様とか、神官長とか、その辺りかな。
二人目は、苦虫を噛みつぶしたように、難しい顔をしたおじさま。
スタイン先生よりも結構上。五十代くらいだろうか。髪にずいぶん白いものが混じり始めている。鋭い眼光といい、すごく切れ者!という感じがぷんぷんするよ。なんか、政の実務を一手に取り仕切ってるって雰囲気。
そして最後は、二人目のおじさまよりびみょーに若い? くらいの渋いイケオジ。
色気と迫力と眼光半端ない。けど、それを綺麗に押し隠して、飄々とした笑みを浮かべながら、他の二人よりちょっと退いたところから私を見つめていた。
うわあ、うさんくさい。ぜったいこのおっさん、ただ者じゃないでしょう!
それに、スタイン先生といつもの定位置についているギルフェールドさんを加えたら、この部屋はもういっぱいいっぱい。温度が二、三度上がって、空気が薄くなった気がするよ。
メイドさんたちはお茶をサーブした後部屋を出されたから、とにかく潤いの少ない殺風景な光景であることは否めない。
おじさんたちは、私を見ながら三人で口早にぺらぺらぺらっと語り合った後、スタイン先生に声をかけた。
どうも、私のお勉強の進捗状況とか、理解力なんかを尋ねてるっぽい。三人が納得したらしき様子を見て、スタイン先生が私に合図する。
はいはい。わかってますとも。芸のお時間ですね。
私は立ち上がると、左手で足首まであるスカートの裾を引いた。そして右手を胸にあて、ゆっくりとお辞儀する。
45度の角度で前傾。あくまで優雅に、しとやかに。さっき泥縄でメイドさんたちに叩き込まれた淑女の作法を見ろ!
そしてまたゆっくりと身体を起こすと、穏やかな笑みを浮かべながら、とっておきのおすまし声で丸暗記した台詞を述べた。
途中、ちょっと噛みかけたのはご愛敬。
いやー、早めに来てくれてかえってよかったかもしんない。でなきゃ頭から抜けてたかも。
なんとか最後まで言い終わると、再度優雅に一礼。ほーっと漏れたため息は、私のかそれともスタイン先生のものだろうか。
やりきった! やりきったよ私!
顔を上げると、どことなく満足そうなお爺ちゃんと、一応合格だな、ぎりぎりだが、とでも言いたげなおじさまと、にやにやと完全におもしろがってるイケオジの顔が目に入った。
うーわー、なんかむかつくけど、とりあえずスタイン先生に迷惑はかからなさそうだからよしとするかー。
実務なら私が、とばかりに、しかめ面おじさまが私になにか話しかける。
あー、ちょっとスピード速すぎ……と思ったら、その様子がすぐに伝わったらしく、今度はゆっくりかみ砕くようにして話し出した。
これならわかる。さすが、仕事出来るねおじさま!
『私の話が理解できるか?』
『はい。ゆっくり、嬉しいです』
『君は言葉が話せなかったと?』
『私、は、ここの人、違います。別の、ところの人。言葉、違います』
だから、まずは言葉を習おうと思ったこと。
スタイン先生をつけてくれて嬉しいということ。
メイドさんたちに親切にしてもらえて感謝しているということを、身振り手振り交えてなんとか伝える。
おじさまは頷いた。そして横のお爺ちゃんとぺらぺら話し出した。
話に熱が入って結構長くなったけれど、そのあいだ私は完全放置。途中、『大丈夫』とか『問題ない』とかそんな単語が聞こえた。
大丈夫、ってなにが? 私の会話の能力? それとも噛みついたりしそうにない温厚な性格、ってことですかね。
完全にわからないって質悪いな。なんか一方的に観察、評価されてるみたいで、居心地悪いことこのうえない。
こっちはぜんぜん大丈夫じゃないよ。毎日いっぱいいっぱいなのに。
思わず横目でスタイン先生に救いを求めると、わかってる、というように頷いてくれた。そして、解説を挟んでくれる。
先生の解説によると、どうやらこの人たちは、私をどこかへ連れて行きたいらしい。
人がいっぱいのところ。歌ったり踊ったりするって言ってるから、舞踏会とかなにかの会なんだと思う。
私がちゃんと対応できそうか、それを判断しに来たらしい。
ふむ、それで大丈夫、問題ない、なんですか……。
あー、だったら大丈夫じゃない、って判断されたほうがよかったかなあ。大勢の人の前に出るのは荷が重いよ。気疲れ半端なさそう。
思わずため息を押し殺す。スタイン先生が見抜いたかのように苦笑した。
『貴女はスフィーダだから』
出たよ、『スフィーダ』。よくわかんない単語。
すると。
これを聞いたお爺ちゃんの様子が変わった。
急にしゃんと背筋を伸ばし、私に一歩近づく。
え? え? なに?
慌てて辺りを見渡すと、お爺ちゃんの背後からスタイン先生がものすごい表情でわたわたとジェスチャーゲームを繰り広げていた。
ふむふむ、跪いて、頭を垂れろ、とな。
先生の勢いに押されるように、膝をついて下を見る。すると、お爺ちゃんがさらに近づいてくると、私の頭の上に手を置いた。
そのまま、嗄れた声で、なにかを謳うように呟き出す。意味はわからなくても、なにをやっているのかははわかった。
これ、祝福とか、呪文とか、そんなヤツだ。きっと。
ということは、このお爺ちゃん、やっぱり絶対宗教関係の人だ。
『スフィーダ』という単語を聞きつけて、いきなり祝福を垂れだした、ということは――。
私が下げた頭の中で必死に考えをまとめている間に、祝福は終わった。感に堪えたように、スタイン先生が感謝を述べる。
『ありがとうございます。スフィードラム・ラレンディ』
……スフィードラム?
*
その後、いつものごとく、くねくねジェスチャーを多用して知り得た驚愕の事実!
お爺ちゃんはラレンディ様。
『心を救う人』『空にいるなにかに近い』『なかでもいちばん偉い』お立場らしい。
これってどう考えても神官様だよね。それも長。神官長。
でもって、敬称は『スフィードラム』。むむむ。
おじさまは、『いちばん仕事ができる』『人々の上に立つ』『頭がいい』けど『二番目に偉い』。
二番目、仕事、というキーワードから、宰相ポジションとみた。
宰相・フェルトバル様。
でもって。
その二人よりもびっくり! だったのは。
これまでニヤニヤしながらこの状況を眺めてただけのイケオジ――
――王様の弟、だったわ。
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