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はぁ~~、食べた食べた!!



「ここは天国のようなお家ですね」

ごろっと床に寝転がり、母さんの簪に語り掛けた。

真斗様に案内された部屋の内装も西洋風と呼ぶらしい異国のベッドと家具。壁に飾られたのはその国の風景なのかな、色鮮やかでとても繊細なタッチで描かれていた。

(幸せだぁ…)

けれど、やっぱり俺は何か理由があって……一時的に婚約者になっただけの存在だと思う。そうでもないと、こんな上等な部屋を与えられるわけがない。

それでもいい。
夕食でだされた料理は頬が落ちそうなくらい美味しくて、一生分の贅沢をした気がした。
ううん、部屋や食事だけじゃない。風呂場も両手両足を広げてもじゅうぶんあって…久しぶりにたくさんお湯を使った。

藍之助様はとても朗らかで優しい。
つい話が可笑しくて笑ってしまったけれど、食事中に下品だと思われなかったかな…。
真斗様は、無口すぎてまだ分からない。
けどあの方なら、いつか鬼崎家から出て行かなきゃならない日が来ても婚約者を失った俺が榊家に帰れない事情を話せば、どこか働き口を紹介してくれるかもしれない。


(いくら受け入れると決めていても……)

さすっと無自覚に触る自分の胎。

俺は、お父様やお兄様方と同じであって同じじゃない。
唯一できることがなるだけ元気な子を産み、お父様のような立派な当主を支えるよう努めることだけ。
その為に必要な教育は受けてきた。

だから俺は、こんなことを考えちゃいけないのに―――――…



ガチャ


「へ?」

突然開かれた扉に驚き、まるで猫が飛び跳ねるように身を起こした。

「き、鬼崎様!?申し訳ございません。大変見苦しい恰好をっ」
「……いい。声もかけずに扉を開けたのは俺のほうだ。邪魔するぞ」

反応できず呆然する俺を横目に、真斗様はカチャと小さな音を立てながらお盆に乗せた茶器を運んできた。
そして絨毯が敷かれているとはいえ床に腰を下ろし、異国の湯呑を俺に差し出してきたのだ。

……っ、あぁ、これはそうゆうことなんだろう。
何を暗い気持ちになるのか。
無言のまま受け取ろうとした俺に、はぁと何故かため息をついた真斗様。

「ただの漢方薬だ。腹の具合が悪いんだろ?」

……え?
あまりの衝撃にピタリと手が止まった。

「いつからだ?」
「っ、いえ!不調などありません。私の腹など、それはそれは頑丈で何日も日切れのモノを食べても元気なのが自慢でして…!」
「無理をするな、馬鹿者。軍で鍛えた俺の洞察力をあまり舐めないほうがいい」
「…っ!」

とても厳しい言い方なのに、あぁなんて表現すればいいのかわからない。
―――――泣いて、しまいそうだった。

本当は、ずっと痛かった。
家を追い出されると分かった時から今日まで、吐き気とキリキリと痛む胃を我慢していた。

だけど、こんなもの時間が来れば治ってくれる。
病は気からというじゃないか
痛いだの、苦しいだの……。ましてや食事をいただいておいてそんな訴えをするなど…。

「もったいないです…」
「既に薬を溶かした湯だ。お前が飲まない方が勿体無い」

ほら、と焦れたように差し出される。
謝りながら両手でそっと湯呑を受け取ると、やや苦みのあるぬるま湯をゆっくりと飲み干した。

「明日の朝食は粥にさせよう。つらければ残して昼に食べるといい」
「っ、大丈夫です」
「それより具合が悪いのに何故ベッドを使わない?慣れない寝床では寝付けないか?」

お前の話など聞かない、とばかりの切り返しだ。
困った…。
もはや俺が何を言っても真斗様を呆れさせてしまうんじゃないのか。

「また、だんまりか」
「! もうしっ、」
「いい。榊雪路、お前はもう俺に謝罪をするな」

あぁ、どうしよう…!
俺がはっきりしない性格だから、不機嫌にさせてしまった。

「待ってください、違うんです」

弁解する気持ちで顔を上げれば、"仕方ない奴だ"。なんて不器用にも笑う真斗様の顔があった。

「き、鬼崎様?」
「真斗でいい。婚約者だろ?」
「……でしたら、私の事も雪路と呼んでください」

榊雪路と呼ばれたくないなんて、今日の俺は本当にどうしてしまったんだろ?
この時、ただじっと「雪路」と呼ばれるのを待っていた気がする。


「………ちゃんとベッドで寝ろ」
「え?」

ふっと息吐いて真斗様は茶器を片付け始めた。

――――まさか、なにも……しないのだろうか?

夕飯前。鬼崎家の洗礼を受け入れるよう言われたのに…
だから、あたふたと慌てる俺の様子を見た真斗様が微笑まれていたなど知らない。


「雪路、漢方は苦かっただろ。これは褒美だ」


そっと優しく俺の髪に触れた手と、俺の手に置かれた小さな包み紙。
そして真斗様は部屋から出ていった。


「………」


カサッと包み紙を開くと握らされていたのは、ガラス色をした琥珀糖が一つ。


(母さん……ここは本当の天国です)


とたん、カァッと沸騰したように熱くなった耳を掻いた。
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