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11 紀州灘沖海戦

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開陽丸に乗った土方たち新選組は、旅客船なら一等船客の部屋に当る同艦士官室を与えられた。
平隊士は三、四人で一室だが。

開陽丸は備砲二十六門(後に三十五門)、 16センチクルップ砲十八門、16センチライク滑空砲六門、9インチダールクル砲九門を搭載したオランダ製の中型軍艦である。主砲クルップ砲の射程距離は三千九百メートルである。

艦長は榎本武楊、兵員三百数十名からなるれっきとした旧幕府の新鋭艦で、これまで官軍側の薩摩艦平運丸などと何度か死闘を展開してきた。

速度は十二ノットだが、国内の海戦で破れたことはこれまで一度もない。艦長榎本の力量に負うところが大きいのだ。新選組全員に士官室をあてがったことから見ても、榎本は隊長土方に心酔していた。

何度か食事でテーブルで同席することはあっても、親しく話したことはなかった。夕方、その榎本が土方の部屋へ現れた。厳しい顔をしている。

「薩摩の春日丸と翔風丸が、我が艦を追尾してきている」
「戦闘になりますか」
「こっちの出方次第だ。相手は貴公と新選組の引き渡しを要求している」

「なるほど。どうします」
「答えるまでもない。貴公は当艦の賓客だ。渡せるはずがない!」
「相手は二艦です。勝算は!」

「我が開陽丸は十数度の海戦を経験しているが、一度として破れたことはない」
「我々が協力できることは」

「ない!海戦を見物でもしていたら良い」
それだけ言って、榎本は部屋を出て行った。
相手は二艦である。どうやって戦うのか。

突然、艦に重い振動があって、開陽丸の主砲16センチクルップ砲が火を吹いたことがわかった。
舷窓から見たが、見えるのは暗い海だけ。敵艦の姿はない。

榎本は相当腹の据わった男だ。
平然と敵二艦の間を進んでいるのだ。
二艦の他に、前方から三番目の薩摩の僚艦が現れてもしたらどうするのか。
暗い空が光った。

敵艦が砲撃したのだ。
開陽丸に衝撃はない。
外れたのだ。

土方は部屋を出て、上部甲板へ出て見た。
目の当たりにする海戦は、想像を絶するものだった。
紀州灘の荒い波に揉まれて、二丈(約六メートル)近くも不規則に敵味方三艦は上下する。

開陽丸は左を春日丸、右を祥鳳丸に挟まれている。
双方の距離は二海里(約三千六百メートル)もあろうか。
開陽丸の主砲の射程内だ。
また主砲が唸った。

後方の甲板から、続けざまに巨大な火線が走る。
闇の中につんざく轟音。
左舷の春日丸に爆発光が見えた。

一弾が命中したのだ。
二弾、三弾、四弾・・・。
急に艦の揺れが激しくなった。

開陽丸が速度を上げたのだ。
土方はデッキ手すりに激突し、危なく海中へ落下するところだった。
主砲が命中した敵艦の姿は、急速に後方へ移動していく。
機関を停止したのだ。

「これが海戦です。暗いので何も見えんでしょう」
いつの間にか背後に榎本が立っていた。
「敵艦に命中ですね」

「春日丸が走行不能に陥った。翔風丸一艦だけで戦闘を挑んで来る度胸はない」
「翔風丸の射撃は、一回も見えなかった」

「海が荒いせいです。凪いでいれば双方はもっと接近して、戦闘は苛烈なものになりました」
「しかし、これだけの距離で、機関撃破とは見事です!」

「まぐれです!この艦は最初アメレカへ製造を依頼したが南北戦争中で断られ、結局オランダに頼んだものです」
「アメレカにはその余裕はなかった」」

「わずか十年の間に、我々は十回以上の海戦を経験している。薩摩、長州とばかりですが、エゲレスやアメレカの艦船相手では多分こうはいかない」

「外国艦の方が手強い」
「その通り!我が国は戦闘艦を手にして、まだ十年と経っていない」

「操艦も射撃も外国艦が上か」
「だが、追いつき追い越すのは、時間の問題です!この艦をオランダから操艦してきたのは日本人です。外国の士官たちは驚いていた」

「まだ経験不足で、外国艦相手の海戦はできないわけか」
「支那や朝鮮艦なら、いつでも相手になるが先方がこない」

榎本は豪快に笑った。






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