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教会からの帰りついでにいつものごとくバランの執務室を覗くと珍しくアリシヴェートはいなかった。
「アリスならちょっと席を外しているぞ」
バランの言葉にちょっとがっかりして、でもバランと二人きりでお茶をするのもまあいいかと思って向かいのカウチに座ろうとしたらバランに止められた。
「アリスはすぐ戻ると思うからヒナコはこっちで」
そう言われていつものようにバランの隣に座って紅茶を出してくれたメイドさんにお礼を言っていたらアリシヴェートがやってきた。手には何か封筒を持っている。
「ヒナコ」
「はい!」
思えばこれが初めて彼に名前を呼ばれた瞬間だった。
彼は封筒の中から数枚の羊皮紙を取り出すと私の前に置いた。
「お前ならこれを読めるか?」
それは日本語だった。日本語で何かが綴られている。
「これって……」
「おばあさまの日記だ。形見分けでいただいたのだが私には読めなくてな。おじいさまの名前が時折出てくることしかわからん」
どれどれ?私は一枚手に取って目を通す。
「帝国暦千二百二十五年八月十日。今日もアデミル様は私の隣にいない。私はいつになったらアデミル様の死を受け入れられるのだろう。アデミル様が亡くなってもう二十年経つのに毎日目を覚ますと隣にその姿を探してしまう。寂しい」
そこまで読んで私は言葉を止めた。
「……先も読みます?ずっとこんな感じですけど」
「……いや、いい。わかった。もう十分だ。ありがとう」
他のもパラパラと見ておやと思った。
一枚だけ書き殴ったような乱れたものを見つけたのだ。
それに目を通して私は思わず笑ってしまった。
「どうした」
「なんか、神様に怒ってます。神様がおじいさまの魂を確保していたのにそれを神様がずっとおばあさまの死の間際まで黙っていたらしくて死んだら覚えておけ、一発殴ると書いてあります」
アリシヴェートは苦笑しておばあさまらしいなと視線を伏せた。
「とても仲の良い夫婦だったと聞く。そのふたりが神のもとで幸せにしているならそれで良い」
彼は少し黙った後、そういえば、と顔を上げて私を見た。
「キンパとやらはどうだったんだ」
「あー、あれね」
昨日、味見してもらったキンパをここの帰りに教会に供えて来たのだが。
「美味しいって言ってもらえました。なので保温の仕方も教えてもらったんですけどまだ試してないです。火の呪文に水の呪文を組み込んだものらしくて今の私にはまだ制御が難しいそうです。あとこれをやるには火と水の属性持ちじゃないと出来ないそうなんですが火と水の属性持ちってほとんどいないそうじゃないですか。だから商品化は難しいって」
私のへなへなした声にバランが確かに、とうなずく。
「火と水の属性持ちは聖女でもない限りなかなかいないな。少なくとも私は聞いたことがない」
「もー、せっかくお供えしたのに無駄骨ですよ」
「まあ、分かってよかったじゃないか」
苦笑するバランに私はそうですけど、と紅茶を飲みながら言う。
「難しいなら難しいって最初に教えて欲しかったです」
「それも込みでの情報料なのだろうよ」
アリシヴェートの淡々とした言葉に私はむすくれる。
「まあまあ、甘いものでも食べなさい」
バランが宥めてくるので仕方なく私はマカロンを摘んで食べた。美味しい。
「このマカロンも先代の?」
「そうだ」
あ、アリシヴェートが少しだけ誇らしげな顔をした。
「美味しいー。羨ましいー。私ももっとお菓子作りとかお料理とか頑張っておけばよかった」
「ヒナコの得意なことは何だ?」
バランの言葉にうーんと唸って、泳ぐこと?と返した。
「泳ぎ?」
「うん、泳ぎの先生やってたんだ。って言っても小さい子向けだけど。こっちって泳ぎ事情ってどんな感じなの?四泳法とかある?」
「ヨンエイホウ?」
「平泳ぎに背泳ぎ、バタフライにクロールのこと」
「平泳ぎと立ち泳ぎはあるがそれ以外は聞いたことがないな。そもそもこの辺りでは泳ぐ習慣がない。川や湖は基本的に立ち入り禁止だしな」
「え、じゃあどんな人たちが泳ぎを習うの?」
「我々のような軍人だな。一般人はほぼ泳げないと言っていい」
「え、じゃあ水着は?」
「ミズギ?」
「泳ぐ時に着る専用の服のこと」
バランは少し考えた後、そういったものは無いな、と答えた。
「我々が訓練するときは今着ているこの軍服を一枚脱いだ姿でやるからな」
「え、じゃあプールは?」
「演習場にひとつあるだけだな。貴族の屋敷になら風呂のような小さめのプールがあるがあれは泳ぐには向かない」
じゃあ、と私は前のめりに提案する。
「私が泳ぎを広めてプールを娯楽にするってのは?水着も考えるし!」
バランはそれはいい考えかもな、と言ってくれた。
「よっし!新しい目標ができた!がんばろ!」
ぐっと拳を握るとバランは良かったな、と笑ってくれたがアリシヴェートは無言で紅茶を飲んでいた。
保冷の水筒の件は最初は二重底にして、と思っていたのだがこれがまた水筒というものが竹のような木を節ごとに切って使うもので細工がしにくい構造になっていた。
だからもういいや、と直接水魔法をかけた魔石を放り込んで様子を見てみた。
うん、ちゃんと冷たいままだ。
使っている魔石が水筒に入るくらいの小ささなので効果がだいたい一日で切れる。
なので毎日使うならその都度魔法をかけてやる必要性があるがそれはそう手間ではない。
一般人にこの使い方を広めて、水属性を持つ人の小遣い稼ぎになればいいと思う。
と言っても冷やすだけでシエリア銅貨一枚は高いので一シエリア銅貨で一週間チケットを配って使用を促すのもいい。
店を経営している人なら幾ら買ったら一回サービス、とか良いかもしれない。
そんなことを思いながら私はレーネに頼んで水の入ったワイングラスを用意してもらった。
こっそりと光魔法の水をワインに変えるやつを試してみようと思ったのだ。
そして上手くできたらアリシヴェートに飲んでもらおうと思っていた。
バランが懐かしんでいるくらいだからアリシヴェートだって懐かしいと思ってくれるはずだ。
少しでも彼との接点を増やしたかった。点数稼ぎがしたかった。
私だってあなたの力になれるんだよ、と知って欲しかったのだ。
私はワイングラスを手に試行錯誤を始めたのだった。
(続く)
「アリスならちょっと席を外しているぞ」
バランの言葉にちょっとがっかりして、でもバランと二人きりでお茶をするのもまあいいかと思って向かいのカウチに座ろうとしたらバランに止められた。
「アリスはすぐ戻ると思うからヒナコはこっちで」
そう言われていつものようにバランの隣に座って紅茶を出してくれたメイドさんにお礼を言っていたらアリシヴェートがやってきた。手には何か封筒を持っている。
「ヒナコ」
「はい!」
思えばこれが初めて彼に名前を呼ばれた瞬間だった。
彼は封筒の中から数枚の羊皮紙を取り出すと私の前に置いた。
「お前ならこれを読めるか?」
それは日本語だった。日本語で何かが綴られている。
「これって……」
「おばあさまの日記だ。形見分けでいただいたのだが私には読めなくてな。おじいさまの名前が時折出てくることしかわからん」
どれどれ?私は一枚手に取って目を通す。
「帝国暦千二百二十五年八月十日。今日もアデミル様は私の隣にいない。私はいつになったらアデミル様の死を受け入れられるのだろう。アデミル様が亡くなってもう二十年経つのに毎日目を覚ますと隣にその姿を探してしまう。寂しい」
そこまで読んで私は言葉を止めた。
「……先も読みます?ずっとこんな感じですけど」
「……いや、いい。わかった。もう十分だ。ありがとう」
他のもパラパラと見ておやと思った。
一枚だけ書き殴ったような乱れたものを見つけたのだ。
それに目を通して私は思わず笑ってしまった。
「どうした」
「なんか、神様に怒ってます。神様がおじいさまの魂を確保していたのにそれを神様がずっとおばあさまの死の間際まで黙っていたらしくて死んだら覚えておけ、一発殴ると書いてあります」
アリシヴェートは苦笑しておばあさまらしいなと視線を伏せた。
「とても仲の良い夫婦だったと聞く。そのふたりが神のもとで幸せにしているならそれで良い」
彼は少し黙った後、そういえば、と顔を上げて私を見た。
「キンパとやらはどうだったんだ」
「あー、あれね」
昨日、味見してもらったキンパをここの帰りに教会に供えて来たのだが。
「美味しいって言ってもらえました。なので保温の仕方も教えてもらったんですけどまだ試してないです。火の呪文に水の呪文を組み込んだものらしくて今の私にはまだ制御が難しいそうです。あとこれをやるには火と水の属性持ちじゃないと出来ないそうなんですが火と水の属性持ちってほとんどいないそうじゃないですか。だから商品化は難しいって」
私のへなへなした声にバランが確かに、とうなずく。
「火と水の属性持ちは聖女でもない限りなかなかいないな。少なくとも私は聞いたことがない」
「もー、せっかくお供えしたのに無駄骨ですよ」
「まあ、分かってよかったじゃないか」
苦笑するバランに私はそうですけど、と紅茶を飲みながら言う。
「難しいなら難しいって最初に教えて欲しかったです」
「それも込みでの情報料なのだろうよ」
アリシヴェートの淡々とした言葉に私はむすくれる。
「まあまあ、甘いものでも食べなさい」
バランが宥めてくるので仕方なく私はマカロンを摘んで食べた。美味しい。
「このマカロンも先代の?」
「そうだ」
あ、アリシヴェートが少しだけ誇らしげな顔をした。
「美味しいー。羨ましいー。私ももっとお菓子作りとかお料理とか頑張っておけばよかった」
「ヒナコの得意なことは何だ?」
バランの言葉にうーんと唸って、泳ぐこと?と返した。
「泳ぎ?」
「うん、泳ぎの先生やってたんだ。って言っても小さい子向けだけど。こっちって泳ぎ事情ってどんな感じなの?四泳法とかある?」
「ヨンエイホウ?」
「平泳ぎに背泳ぎ、バタフライにクロールのこと」
「平泳ぎと立ち泳ぎはあるがそれ以外は聞いたことがないな。そもそもこの辺りでは泳ぐ習慣がない。川や湖は基本的に立ち入り禁止だしな」
「え、じゃあどんな人たちが泳ぎを習うの?」
「我々のような軍人だな。一般人はほぼ泳げないと言っていい」
「え、じゃあ水着は?」
「ミズギ?」
「泳ぐ時に着る専用の服のこと」
バランは少し考えた後、そういったものは無いな、と答えた。
「我々が訓練するときは今着ているこの軍服を一枚脱いだ姿でやるからな」
「え、じゃあプールは?」
「演習場にひとつあるだけだな。貴族の屋敷になら風呂のような小さめのプールがあるがあれは泳ぐには向かない」
じゃあ、と私は前のめりに提案する。
「私が泳ぎを広めてプールを娯楽にするってのは?水着も考えるし!」
バランはそれはいい考えかもな、と言ってくれた。
「よっし!新しい目標ができた!がんばろ!」
ぐっと拳を握るとバランは良かったな、と笑ってくれたがアリシヴェートは無言で紅茶を飲んでいた。
保冷の水筒の件は最初は二重底にして、と思っていたのだがこれがまた水筒というものが竹のような木を節ごとに切って使うもので細工がしにくい構造になっていた。
だからもういいや、と直接水魔法をかけた魔石を放り込んで様子を見てみた。
うん、ちゃんと冷たいままだ。
使っている魔石が水筒に入るくらいの小ささなので効果がだいたい一日で切れる。
なので毎日使うならその都度魔法をかけてやる必要性があるがそれはそう手間ではない。
一般人にこの使い方を広めて、水属性を持つ人の小遣い稼ぎになればいいと思う。
と言っても冷やすだけでシエリア銅貨一枚は高いので一シエリア銅貨で一週間チケットを配って使用を促すのもいい。
店を経営している人なら幾ら買ったら一回サービス、とか良いかもしれない。
そんなことを思いながら私はレーネに頼んで水の入ったワイングラスを用意してもらった。
こっそりと光魔法の水をワインに変えるやつを試してみようと思ったのだ。
そして上手くできたらアリシヴェートに飲んでもらおうと思っていた。
バランが懐かしんでいるくらいだからアリシヴェートだって懐かしいと思ってくれるはずだ。
少しでも彼との接点を増やしたかった。点数稼ぎがしたかった。
私だってあなたの力になれるんだよ、と知って欲しかったのだ。
私はワイングラスを手に試行錯誤を始めたのだった。
(続く)
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