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水をワインに変える魔法は意外と簡単に出来た。
ひとくち飲んでみたけどお酒に強くない私にはよくわからない。ただ、口当たりはいいな、と思った。これならうっかりぐびぐび飲んでしまいそうだ。
私は翌日、神様にワインを供えて味を見てもらった。
結果は合格。よし、と思って私は初めてバランではなくアリシヴェートの執務室を訪ねた。
「何の用だ」
書類に目を通していたアリシヴェートは訝しげな目で私を見た。
「水をワインに変えることができたんです!ぜひ飲んでもらいたくて!」
すると彼は手を止めて書類を机の上に置いた。
「聖女のワインか?」
「そうです!」
「……そうか」
彼は立ち上がるとメイドに指示を出してワイングラスを持って来させた。
カウチに向かい合って座り、私が注ごうとすると手で制して自分で注いだ。
「……」
すん、と匂いを嗅いでそしてひとくち飲む。
「……」
「……どう?」
沈黙に耐えきれなくなった私が問うと、彼は小さな声で美味いな、と言った。
「だが、これはおばあさまのワインとは違う」
「え!そうなの?神様は何も言ってなかったけど……」
「なんと例えればいいのだろうな。限りなく近い品種の、だが違うブドウで作ったワイン、という感じだ」
「おばあさまのワインより劣る?」
劣るとか優れているかという話ではない、と彼は言う。
「どちらも美味い。ただ似て非なるものだというだけの話だ」
そうか、と彼は自嘲気味に笑う。
「私はもう、あのワインは飲めないのだな」
「ご、ごめんなさい……」
「謝る必要はない。これも十分に美味い。お前は良くやってくれたよ」
「アリシヴェート様……」
「様はいらない。敬語もいらない。気軽に話しかけてくれ」
「じゃあ、アリシヴェート。神様に頼んで同じ味にしてもらおうか?」
そんなことしなくていい、と彼は苦笑した。
「おばあさまの味はおばあさまの味として覚えておく。それでいい。これからはヒナコのワインを飲ませてくれ」
「うん!」
私が笑うと彼も柔らかく笑った。
それはとても幸せなことだった。
そのあと、ふたりでバランの執務室を訪ねて彼にもワインを飲んでもらった。
「そうだな、美味いが先代とはまた少し違った味だな」
と、やはり同じように言われてしまった。
「だがこれも美味いな。ヒナコ、君さえ負担でなければ定期的に届けてくれないか」
「わかった!届けてもらうよう言っておくね」
そう言うとアリシヴェートも何か言いたげにしていたので彼にも同じように届けることを約束した。
すると彼は照れくさそうにありがとう、と目を細めたのだ。
ああ、好きだなぁ。そう思う。
きっとアリシヴェートは私のことなんてまだまだ良くは思ってくれてないだろう。それでも。
一歩一歩、彼に近づいていけたら良いと思った。
私の水泳を広めようプロジェクトはまずは水着の素材選びから始まった。
伸縮性のある生地を何点か見繕ってもらい、サンプルを作ってもらった。
形はタンクスーツにした。水泳の文化がないということは人前で肌を出すことに抵抗があるだろうから布面積の広いものをと思ったのだ。
ついでにゴーグルの開発にも着手した。プラスチックがないのでガラスでレンズを作って、ゴムも調達できたので色々試してみる。
お風呂で潜ってみて浸水しないか試したりして。
熱中していたら一ヶ月なんてあっという間に過ぎて。
「調子はどうだ?」
熱が入るとバランの執務室にもあまり寄り付かなくなってしまって借りさせてもらっている工房にバランが訪ねてきた。
「あ、バラン!最近行けなくてごめん!」
「いや、熱中しているならいいことだ」
バランは笑って近づくとトルソーに着せられた水着の試作品をふうん?と眺めた。
「この服で泳ぐのか?」
「うん。一応私のサイズで作ってるけどゆくゆくは男女ともにいろんなサイズを展開していくつもり」
「それは?」
私が手にしているゴーグルを見て指さす。
「これはね、ゴーグルって言って水の中でも目が開けていられるようにっていう道具」
「ああ、たしかに水の中だとすぐ目が痛くなるからな」
それでね、と私はバランを見上げる。
「プールで試してみたいから使わせてもらえないかな」
バランはいいぞ、と快く受け入れてくれた。
「使用許可を出しておく。ただし、私も立ち会うからな」
「もちろん!」
「いつがいい?」
「もうテストできる段階まで来てるから明日でも全然大丈夫だよ!」
「では善は急げと言うし、明日の午後使えるようにしておくよ」
「了解!」
善は急げということわざは共通しているんだな、と変なところで感心した。
そして翌日。更衣室を貸し切らせてもらって着替え、プールサイドに出る。
そこにはバランとアリシヴェートが待っていた。
「水着というのは身軽そうでいいな」
「でしょ?服で泳ぐよりよっぽど楽だよ」
準備運動をしてパチャパチャ水を体にかける。お、ぬるい。
「ここって温度あったかめなんだね?」
「冷水の中は泳ぎたくないからな」
それは訓練になるのだろうか。
まあ実際に湖やら川に入る機会はないのだろうからこれでいいのか。
「深いから気をつけろよ」
「はーい」
どぼん、と入って二メートルくらいかな、と思う。
久しぶりの立ち泳ぎでゴーグルをしっかり付けて、ぐるりとプールを見回す。
五十メートル四方くらいのプールだな。私はとんと壁を蹴って水の中を泳ぎ始めた。
まずはクロールで端まで泳いで水中でターンをして平泳ぎ。またターンをして背泳ぎで向こうまで行って最後はバタフライで戻ってきた。
うん、水着も破れたりしないしゴーグルもズレない。
プールサイドに体を預けると、ふたりが歩み寄ってきた。
「凄いな。どれもものすごく速かった」
「久しぶりだからそんなに速くないよー」
「平泳ぎも我々がやっているものより型が違うしかなり速い。これは教えてほしいな。最後のはどう泳いでいるのかすらよくわからなかった」
「バタフライはちょっとむずかしいからね。でも練習すれば子供でも泳げるから大丈夫だよ」
もう少し泳いで良い?と尋ねるといくらでも、と返ってきたので遠慮なく泳ぎ始めた。
うんうん、水着いい感じ。本当はもう少し伸びる生地があるといいんだけど。
化学繊維のないこの世界ではこれが精一杯だろう。
「ぷあっ」
思う存分泳いでプールから上がるといつの間にかバランとアリシヴェートは椅子とテーブルを用意してもらってお茶を飲んでいた。
「待たせてごめん!」
「いや、水を得た魚とはこういうことだなと思いながら見ていたよ」
「……」
朗らかに離してくれるバランとは対象的にアリシヴェートはどこか不機嫌そうだ。
待たせたのを怒っているのだろうか。
「あ、お待たせしました……」
しゅんとして言えば彼はいや、と少し慌てた声を出した。
「別に怒っているわけではない。君の泳ぎは凄かった」
「じゃあ、なんでそんな怒った空気出してるの?」
私がズバリと聞くと彼はあ、いや、ともごもごと言葉を濁す。
バランが何故かニヤニヤし始めて私はますますわけが解らなくなる。
「いや、それは、その」
「その?」
「こ、紅茶が熱かったんだ」
バランの大爆笑が響き渡り、私は一層頭にはてなマークを飛ばしたのだった。
(続く)
ひとくち飲んでみたけどお酒に強くない私にはよくわからない。ただ、口当たりはいいな、と思った。これならうっかりぐびぐび飲んでしまいそうだ。
私は翌日、神様にワインを供えて味を見てもらった。
結果は合格。よし、と思って私は初めてバランではなくアリシヴェートの執務室を訪ねた。
「何の用だ」
書類に目を通していたアリシヴェートは訝しげな目で私を見た。
「水をワインに変えることができたんです!ぜひ飲んでもらいたくて!」
すると彼は手を止めて書類を机の上に置いた。
「聖女のワインか?」
「そうです!」
「……そうか」
彼は立ち上がるとメイドに指示を出してワイングラスを持って来させた。
カウチに向かい合って座り、私が注ごうとすると手で制して自分で注いだ。
「……」
すん、と匂いを嗅いでそしてひとくち飲む。
「……」
「……どう?」
沈黙に耐えきれなくなった私が問うと、彼は小さな声で美味いな、と言った。
「だが、これはおばあさまのワインとは違う」
「え!そうなの?神様は何も言ってなかったけど……」
「なんと例えればいいのだろうな。限りなく近い品種の、だが違うブドウで作ったワイン、という感じだ」
「おばあさまのワインより劣る?」
劣るとか優れているかという話ではない、と彼は言う。
「どちらも美味い。ただ似て非なるものだというだけの話だ」
そうか、と彼は自嘲気味に笑う。
「私はもう、あのワインは飲めないのだな」
「ご、ごめんなさい……」
「謝る必要はない。これも十分に美味い。お前は良くやってくれたよ」
「アリシヴェート様……」
「様はいらない。敬語もいらない。気軽に話しかけてくれ」
「じゃあ、アリシヴェート。神様に頼んで同じ味にしてもらおうか?」
そんなことしなくていい、と彼は苦笑した。
「おばあさまの味はおばあさまの味として覚えておく。それでいい。これからはヒナコのワインを飲ませてくれ」
「うん!」
私が笑うと彼も柔らかく笑った。
それはとても幸せなことだった。
そのあと、ふたりでバランの執務室を訪ねて彼にもワインを飲んでもらった。
「そうだな、美味いが先代とはまた少し違った味だな」
と、やはり同じように言われてしまった。
「だがこれも美味いな。ヒナコ、君さえ負担でなければ定期的に届けてくれないか」
「わかった!届けてもらうよう言っておくね」
そう言うとアリシヴェートも何か言いたげにしていたので彼にも同じように届けることを約束した。
すると彼は照れくさそうにありがとう、と目を細めたのだ。
ああ、好きだなぁ。そう思う。
きっとアリシヴェートは私のことなんてまだまだ良くは思ってくれてないだろう。それでも。
一歩一歩、彼に近づいていけたら良いと思った。
私の水泳を広めようプロジェクトはまずは水着の素材選びから始まった。
伸縮性のある生地を何点か見繕ってもらい、サンプルを作ってもらった。
形はタンクスーツにした。水泳の文化がないということは人前で肌を出すことに抵抗があるだろうから布面積の広いものをと思ったのだ。
ついでにゴーグルの開発にも着手した。プラスチックがないのでガラスでレンズを作って、ゴムも調達できたので色々試してみる。
お風呂で潜ってみて浸水しないか試したりして。
熱中していたら一ヶ月なんてあっという間に過ぎて。
「調子はどうだ?」
熱が入るとバランの執務室にもあまり寄り付かなくなってしまって借りさせてもらっている工房にバランが訪ねてきた。
「あ、バラン!最近行けなくてごめん!」
「いや、熱中しているならいいことだ」
バランは笑って近づくとトルソーに着せられた水着の試作品をふうん?と眺めた。
「この服で泳ぐのか?」
「うん。一応私のサイズで作ってるけどゆくゆくは男女ともにいろんなサイズを展開していくつもり」
「それは?」
私が手にしているゴーグルを見て指さす。
「これはね、ゴーグルって言って水の中でも目が開けていられるようにっていう道具」
「ああ、たしかに水の中だとすぐ目が痛くなるからな」
それでね、と私はバランを見上げる。
「プールで試してみたいから使わせてもらえないかな」
バランはいいぞ、と快く受け入れてくれた。
「使用許可を出しておく。ただし、私も立ち会うからな」
「もちろん!」
「いつがいい?」
「もうテストできる段階まで来てるから明日でも全然大丈夫だよ!」
「では善は急げと言うし、明日の午後使えるようにしておくよ」
「了解!」
善は急げということわざは共通しているんだな、と変なところで感心した。
そして翌日。更衣室を貸し切らせてもらって着替え、プールサイドに出る。
そこにはバランとアリシヴェートが待っていた。
「水着というのは身軽そうでいいな」
「でしょ?服で泳ぐよりよっぽど楽だよ」
準備運動をしてパチャパチャ水を体にかける。お、ぬるい。
「ここって温度あったかめなんだね?」
「冷水の中は泳ぎたくないからな」
それは訓練になるのだろうか。
まあ実際に湖やら川に入る機会はないのだろうからこれでいいのか。
「深いから気をつけろよ」
「はーい」
どぼん、と入って二メートルくらいかな、と思う。
久しぶりの立ち泳ぎでゴーグルをしっかり付けて、ぐるりとプールを見回す。
五十メートル四方くらいのプールだな。私はとんと壁を蹴って水の中を泳ぎ始めた。
まずはクロールで端まで泳いで水中でターンをして平泳ぎ。またターンをして背泳ぎで向こうまで行って最後はバタフライで戻ってきた。
うん、水着も破れたりしないしゴーグルもズレない。
プールサイドに体を預けると、ふたりが歩み寄ってきた。
「凄いな。どれもものすごく速かった」
「久しぶりだからそんなに速くないよー」
「平泳ぎも我々がやっているものより型が違うしかなり速い。これは教えてほしいな。最後のはどう泳いでいるのかすらよくわからなかった」
「バタフライはちょっとむずかしいからね。でも練習すれば子供でも泳げるから大丈夫だよ」
もう少し泳いで良い?と尋ねるといくらでも、と返ってきたので遠慮なく泳ぎ始めた。
うんうん、水着いい感じ。本当はもう少し伸びる生地があるといいんだけど。
化学繊維のないこの世界ではこれが精一杯だろう。
「ぷあっ」
思う存分泳いでプールから上がるといつの間にかバランとアリシヴェートは椅子とテーブルを用意してもらってお茶を飲んでいた。
「待たせてごめん!」
「いや、水を得た魚とはこういうことだなと思いながら見ていたよ」
「……」
朗らかに離してくれるバランとは対象的にアリシヴェートはどこか不機嫌そうだ。
待たせたのを怒っているのだろうか。
「あ、お待たせしました……」
しゅんとして言えば彼はいや、と少し慌てた声を出した。
「別に怒っているわけではない。君の泳ぎは凄かった」
「じゃあ、なんでそんな怒った空気出してるの?」
私がズバリと聞くと彼はあ、いや、ともごもごと言葉を濁す。
バランが何故かニヤニヤし始めて私はますますわけが解らなくなる。
「いや、それは、その」
「その?」
「こ、紅茶が熱かったんだ」
バランの大爆笑が響き渡り、私は一層頭にはてなマークを飛ばしたのだった。
(続く)
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