塔を目指す冒険

阿波野治

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 再び腰を上げかけたのと、階下で聞き捨てならない物音が立ったのは、ほぼ同時だった。
 渡りに船とはこのことだ。朔也は大股でごみを踏み締めごみを踏み越え、実に久しぶりにトイレと風呂以外の目的から自室を出た。
 一歩外に出ると、自分の家ではないみたいだった。しっかりした足取りで歩けているのが逆に違和感があった。階段の終盤から駆け足に移行し、リビングのドアを開ける。

 声にならない悲鳴が喉の奥から迸った。
 猫脚のローテーブルのかたわらで、輝夜が仰向けに倒れている。口角から一筋の鮮血が垂れ、左胸のシャツは広く赤に染まっている。不規則に聞こえる呼吸音はいかにも苦しげだ。

「姉ちゃん……!」
 駆け寄り、少し血がついたカーペットの上に片膝をつく。抱き起そうとしたが、間近で顔を見た瞬間に触れがたさを感じ、上から覗き込む体勢で硬直してしまう。
 近くから見ると思いのほか長いまつ毛が、朝露を受けとめた緑葉のように微震した。ゆっくりと瞼が開かれ、とろけたような瞳が出現した。黒色が薄くなったように感じる。視線は弟のほうを向いているが、焦点はこの世界に存在するどんな存在にも定まっていないと気がつき、涙が込み上げた。

「朔也、私はもう死ぬわ。見れば分かると思うけど」
 なんで? どうして? 誰にやられたの? なにがあったの?
 クエスチョンマークつきの想いが滾々と湧き上がるが、なに一つ言葉に変換できない。代替として、姉の体を抱きしめることすらも。

「亡骸は、お母さんとお父さんが眠る墓に埋葬して。何度かお墓参りに行ったことがあるから、場所は分かるよね。朔也、お姉ちゃんの頼み、聞いてくれる?」
「ちょっと、お姉ちゃん。お母さんとお父さんが眠る墓って、どういうこと? 家の墓がある場所は知っているけど、そこで眠っているのはおじいちゃんとおばあちゃんでしょ。お母さんとお父さんは仕事でロンドンに行ったはずでしょ」
「私が勘違いしていると言いたいの? 勘違いしているのは、朔ちゃん。……忘れちゃった? お父さんとお母さんは、ロンドンの地下鉄で起きたテロ事件に巻き込まれて、二年前に亡くなったじゃない。飛行機に乗せられて日本に戻ってきた遺体を見たし、葬儀も済ませたし、一周忌にも参列した。覚えていないの?」

 朔也は素早く過去を検索したが、該当する記憶はデータベースのどこにも存在しなかった。父親と母親は同じ会社に勤めていて、ロンドン支社に赴任することがこの春に決まって、三か月前に空港で別れたのが最後。それが彼の所有している記憶の全てだ。
 間違っているのは、僕? お姉ちゃん? ……どっちなんだ?
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