4 / 4
4
しおりを挟む
ようやく銃声が鳴りやみました。
男は銃を構えた両手を下ろします。教室の中で心臓の動いている生き物は、もはや二人しかいません。一人は、教室のほぼ中央、死体の山に囲まれて佇む男。もう一人は、教室の隅、おびただしい血を髪の毛と服に浴びて立ち尽くしているミクです。
どうしてミクは殺されなかったのだろう、とミクは疑問に思いました。
ミクは体が小さいので、奇跡的に銃弾を避けられたのでしょうか?
それとも、男からしてみれば、生かしておくだけのなんらかの価値があるのでしょうか?
男の右足が動きました。死体を踏み越え、踏みつけながら、真っ直ぐにミクへと向かってきます。ミクには逃げる気力も、逃げ場も残されていないから、間合いを詰め、至近距離から銃を撃って確実に殺すつもりなのだ。そうミクは考えました。
三メートルほどの距離を置いて、男は足を止めました。ミクは男の顔を見つめます。目深に被られたヘルメットの庇が陰を作っていて、男の目鼻立ちや表情は窺い知れません。
不意に、男と目が合ったような気がしました。次の瞬間、驚くべきことが起こりました。
男が、両手の銃を床に投げ捨てたのです。
ミクは目を丸くして男を見返しました。
男はヘルメットのベルトを外し、ヘルメットを脱ぎました。中に収まっていたふんだんな黒髪が解き放たれ、重力に従って一斉に垂れ、毛先が男の胸にかかりました。ヘルメットを静かに床に置き、顔にかかった前髪を両手の指先で左右に分けます。
露わになった男の顔は、男ではなく、若い女のそれでした。
女の左目の下には、横並びになった三つのホクロがあります。
女は、ミクに微笑みかけました。母親が幼い我が子に向かってするような、清らかな、優しさと慈愛に満ち溢れた微笑みです。
「……ありがとう」
ミクは女に向かって言いました。言葉がひとりでに唇からこぼれた、という表現の方が正しいかもしれません。
女は微笑んだまま、穏やかに頭を振りました。両膝に両手をついて上体を屈め、目の高さをミクと同じにします。そして、こう言いました。
「ありがとう、って言ってくれてありがとう。とても嬉しいけど、でも、あなたが私にお礼を言う必要なんてどこにもないよ。だって、あなただっていつかは――」
女が全てを言い終わらないうちに、突然、ミクは激しい目眩に襲われました。視界が霞み、意識が急速に遠のいていきます。
それでもミクは、女が伝えようとした言葉がなんなのかを、女の唇の動きを見て確かめて、それから気を失いました。
* * *
「間宮! 間宮!」
自分の名前を呼ぶ声に、ミクは意識を取り戻しました。顔を上げると、田中先生が眉をひそめてミクを見下ろしています。
ミクは寝惚け眼で周囲を見回しました。
ミクがいるのは教室の中で、クラスメイトたちが迷惑そうにミクに視線を注いでいます。彼らは、全員生存していました。床にも壁にも机にも、着弾した形跡は認められません。
「期末テスト前の大事な時期に居眠りとは、全くどういう神経をしているんだ、お前は。それも俺の授業の最中にとは、いい度胸をしているじゃないか。言い分があるなら言ってみろ。どうなんだ? ええ?」
田中先生はいつも生徒に説教するときのように、相手を心の底から見下した目つきで、くどくどとミクを責め立てます。その様子を傍観している男子生徒の大半は、嘲笑うような表情を浮かべています。女子生徒の大体は、近くの席の女子と顔を寄せ合ってひそひそ話を交わしています。いつもと代り映えのしない、笑い出したくなるくらいにつまらない光景です。
田中先生の説教はまだ続いていますが、ミクは首を反時計回りに回し、窓の方へ向けました。美しく磨かれたガラスの鏡に、ミクの上半身が映し出されています。年齢よりもいくらか幼い印象を受ける顔をした、ちっぽけな少女の上半身が。
……早く大人になりたいなぁ。
左目の下のホクロを指先で撫でながら、心の底からそう願いました。
それはミクが、このつまらない現実の中で見出した、紛れもない希望の光でした。
男は銃を構えた両手を下ろします。教室の中で心臓の動いている生き物は、もはや二人しかいません。一人は、教室のほぼ中央、死体の山に囲まれて佇む男。もう一人は、教室の隅、おびただしい血を髪の毛と服に浴びて立ち尽くしているミクです。
どうしてミクは殺されなかったのだろう、とミクは疑問に思いました。
ミクは体が小さいので、奇跡的に銃弾を避けられたのでしょうか?
それとも、男からしてみれば、生かしておくだけのなんらかの価値があるのでしょうか?
男の右足が動きました。死体を踏み越え、踏みつけながら、真っ直ぐにミクへと向かってきます。ミクには逃げる気力も、逃げ場も残されていないから、間合いを詰め、至近距離から銃を撃って確実に殺すつもりなのだ。そうミクは考えました。
三メートルほどの距離を置いて、男は足を止めました。ミクは男の顔を見つめます。目深に被られたヘルメットの庇が陰を作っていて、男の目鼻立ちや表情は窺い知れません。
不意に、男と目が合ったような気がしました。次の瞬間、驚くべきことが起こりました。
男が、両手の銃を床に投げ捨てたのです。
ミクは目を丸くして男を見返しました。
男はヘルメットのベルトを外し、ヘルメットを脱ぎました。中に収まっていたふんだんな黒髪が解き放たれ、重力に従って一斉に垂れ、毛先が男の胸にかかりました。ヘルメットを静かに床に置き、顔にかかった前髪を両手の指先で左右に分けます。
露わになった男の顔は、男ではなく、若い女のそれでした。
女の左目の下には、横並びになった三つのホクロがあります。
女は、ミクに微笑みかけました。母親が幼い我が子に向かってするような、清らかな、優しさと慈愛に満ち溢れた微笑みです。
「……ありがとう」
ミクは女に向かって言いました。言葉がひとりでに唇からこぼれた、という表現の方が正しいかもしれません。
女は微笑んだまま、穏やかに頭を振りました。両膝に両手をついて上体を屈め、目の高さをミクと同じにします。そして、こう言いました。
「ありがとう、って言ってくれてありがとう。とても嬉しいけど、でも、あなたが私にお礼を言う必要なんてどこにもないよ。だって、あなただっていつかは――」
女が全てを言い終わらないうちに、突然、ミクは激しい目眩に襲われました。視界が霞み、意識が急速に遠のいていきます。
それでもミクは、女が伝えようとした言葉がなんなのかを、女の唇の動きを見て確かめて、それから気を失いました。
* * *
「間宮! 間宮!」
自分の名前を呼ぶ声に、ミクは意識を取り戻しました。顔を上げると、田中先生が眉をひそめてミクを見下ろしています。
ミクは寝惚け眼で周囲を見回しました。
ミクがいるのは教室の中で、クラスメイトたちが迷惑そうにミクに視線を注いでいます。彼らは、全員生存していました。床にも壁にも机にも、着弾した形跡は認められません。
「期末テスト前の大事な時期に居眠りとは、全くどういう神経をしているんだ、お前は。それも俺の授業の最中にとは、いい度胸をしているじゃないか。言い分があるなら言ってみろ。どうなんだ? ええ?」
田中先生はいつも生徒に説教するときのように、相手を心の底から見下した目つきで、くどくどとミクを責め立てます。その様子を傍観している男子生徒の大半は、嘲笑うような表情を浮かべています。女子生徒の大体は、近くの席の女子と顔を寄せ合ってひそひそ話を交わしています。いつもと代り映えのしない、笑い出したくなるくらいにつまらない光景です。
田中先生の説教はまだ続いていますが、ミクは首を反時計回りに回し、窓の方へ向けました。美しく磨かれたガラスの鏡に、ミクの上半身が映し出されています。年齢よりもいくらか幼い印象を受ける顔をした、ちっぽけな少女の上半身が。
……早く大人になりたいなぁ。
左目の下のホクロを指先で撫でながら、心の底からそう願いました。
それはミクが、このつまらない現実の中で見出した、紛れもない希望の光でした。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル
ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。
しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。
甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。
2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる