少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

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「いえ、体調は大丈夫ですよ。散歩をしていてこの場所まで来たのですが、竹林を眺めていたら物音が聞こえてきたものだから、もしや人食い虎かと思いましてね。ケンさんはお仕事をされていたのですか?」
「うん。南那ちゃんのところに届ける竹を。そろそろ予備がなくなるから」
「そうでしたか。私はもう家に帰るつもりだったので、いっしょに行きましょう。直接今宮家まで――いや、竹を竹ひごに加工するから、帰るのはケンさんの自宅になるのかな?」

 首肯。その拍子にこめかみから頬へと滑り落ちた汗を、窮屈そうに肩を動かして拭う。

「だとしても、帰る方向は途中まで同じだからね。さあ、行こう」

 二人は歩き出す。ケンさんの脚の動かしかたは緩慢だが、歩幅が大きく、二人の歩調はぴったりと噛み合った。

「昨日はスイカ、ありがとうございました。二玉もいただいて、恐縮です」

 真一は無難で当たり障りのない話題から入った。

「昨夜、食事のあとにさっそく食べたんですけど、瑞々しくて、甘くて、とても美味しかったです。大満足でした」
「親が遺してくれた畑があって、腐るほどとれるから。喜んでくれたなら僕もうれしい」
「南那ちゃんも喜んでいましたよ。たまに収穫物をいただくと聞きましたが、ケンさんは南那ちゃんにとてもよくしてくれているんですね」
「暇だし、体力があるから。どうせ仕事をするなら、困っている人を助ける。普通のことだから」
「そうかもしれません。でも、その普通のことができない人間が、世の中にはなんと多いことか。私は日本各地を旅しているのですが、普通のことを普通にこなしていれば防げたのかな、と思うような事件や出来事に頻繁に遭遇します。やりたいのにできない人はともかく、目先の利益に目が眩んで、やれるのにやらないのは困りものですよね。普通のことを普通にできているケンさんは、賞賛に値しますよ」
「そう? 僕はただ、できることをやっているだけの人間だから。人と比べると、苦手なことがとても多くて」
「あなたはとても謙虚なかただ。苦手なことは誰にでもあるから、威張らずに謙虚な姿勢で、普通のことを普通に。私が理想としている生きかたに近いかもしれません。私などよりもよっぽどお坊さんに向いていますよ」

 会話のイニシアティブは真一がとった。今宮家での生活の模様。小毬地区や住人の印象。咲子や他の住人相手にもさんざん話してきた話題なので、真一としては新鮮味がないが、コミュニケーションにはなる。

「ねえケンさん。南那ちゃんについて一つ、気になっていることを尋ねてもいいかな?」

 真一は主に小毬に来てからの自らの生活について話したので、南那の話題は切り出しやすかった。ケンさんはうなずいた。
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