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戸棚の中のアリス
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リモコンの電源ボタンを押してテレビを点けると、おっぱい丸出しの尼さんが異様にゆっくりと般若心経を唱えている。
「ぎゅわぁー、てゅえぇー、ぎゅわぁー、てゅえぇー、ふゎあぁー、るぅわぁー、ぎゅわぁー、てゅえぇー……」
ウィッグを被せ、セーラー服でも着せておけば、女子高生にしか見えないだろうというような、まだ若い尼さんだ。
俺は唖然として画面を見つめた。
尼さんの背景は焦げ茶色の板壁になっている。信州あたりの山奥に建てられた庵かなにかの中、だろうか。
なぜ信州という地域名が思い浮かんだのかは分からない。庵は必ずしも山中に建っているものではないだろうし、俺はそもそも、庵という施設について詳しいわけではない。
確かなのは、尼さんはおっぱいを丸出しにしているということ。読経の速度は極めてゆっくりだということ。この二つのみだ。
……それにしても。
「大丈夫、なのか……?」
真っ昼間におっぱい丸出しの女性を堂々と放映したりして。
尼さんはあくまでもマイペースに読経している。箸が転がってもおかしい年頃にもかかわらず、羞恥の念は猫の額ほども抱いていないらしい。あまりも平然としているので、心配するのが馬鹿らしくなってきた。
そういえば、俺はなんでテレビを点けたんだっけ?
胸に手を当てて思案モードに入ろうとした瞬間、その下の腹が、ぎゅろろろ、と鳴った。
思い出した。昼飯を食おうとしていたのだ。
確か、レトルトの牛丼の買い置きがあったはずだ。米は炊いてあるので、具を温めればすぐにでも食事に取りかかれる。
電源もチャンネルもそのままに腰を上げ、戸棚の戸を開く。埃っぽい直方体の空間の最下段に、カップラーメンの平たい容器が十個ずつ、合計二十個、塔のように積まれている。
ラーメンも悪くないな、と思ったが、生憎ポットの湯は冷えている。
……それにしても。
「どこに置いたかな、レトルトの牛丼」
カップラーメンタワーの一基を横に退かして奥を覗き込んで、俺は絶句した。
幼女。
幼女が仰向けに横たわっているのだ。
年齢は五歳くらいだろうか。全身が弛緩し切っていて、一見死んでいるように見えるが、不規則に瞬くコバルトブルーの瞳、規則的に上下する胸――どうやら生きているらしい。
……それにしても。
腰に達する長さの金色の髪の毛、白亜の陶器のような肌、水色のエプロンドレス。この外見はまるで、不思議の国の――。
「はわっ!?」
幼女の頭が急に持ち上がったので、俺の肩は不可抗力的に跳ねた。作り物のように整った顔が、なんの感情も湛えられていない青い瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
「……えっと、名前は?」
「アリスよ」
五歳にしては大人びた声で幼女は答えた。
「えっ……マジでアリスって名前なの。格好を見て、不思議な国のアリスっぽいな、とは思ったけど。……まさか、絵本の世界から飛び出してきた的な?」
「そんなわけないでしょう。わたしは物語の中の一登場人物ではなくて、現実世界で生まれ育った人間よ」
抑揚のない声。顔は無表情のままだ。
「じゃあ、何者なんすか? あと、なんで戸棚の中に?」
「あなたに頼みたいことがあるんだけど、わたしの話、聞いてくれる?」
「……無視か」
「あなたの質問に答えたのだから、今度はわたしの番よ。質問ではなくて、確認ということになるけど。あなたに頼みたいことがあるから、わたしの話を聞いてくれる?」
再び問われた瞬間、思い出した。俺は昼飯を食おうとしていたのだった。ついでに言うと、レトルトの牛丼が保管されているのは戸棚の中ではない。冷蔵庫の冷凍室だ。
「悪い。昼飯がまだだから、食ってからにしてくれ。お前も牛丼、食う?」
アリスは物憂げに頭を振った。
「ちょっと待ってろよ。俺、食うの早いから。アホみたいに早いから。小学生のときに友人たちからつけられた綽名が――」
「いいから、早くして」
「あ、はい」
俺は速やかに牛丼の準備に取りかかった。
「ぎゅわぁー、てゅえぇー、ぎゅわぁー、てゅえぇー、ふゎあぁー、るぅわぁー、ぎゅわぁー、てゅえぇー……」
ウィッグを被せ、セーラー服でも着せておけば、女子高生にしか見えないだろうというような、まだ若い尼さんだ。
俺は唖然として画面を見つめた。
尼さんの背景は焦げ茶色の板壁になっている。信州あたりの山奥に建てられた庵かなにかの中、だろうか。
なぜ信州という地域名が思い浮かんだのかは分からない。庵は必ずしも山中に建っているものではないだろうし、俺はそもそも、庵という施設について詳しいわけではない。
確かなのは、尼さんはおっぱいを丸出しにしているということ。読経の速度は極めてゆっくりだということ。この二つのみだ。
……それにしても。
「大丈夫、なのか……?」
真っ昼間におっぱい丸出しの女性を堂々と放映したりして。
尼さんはあくまでもマイペースに読経している。箸が転がってもおかしい年頃にもかかわらず、羞恥の念は猫の額ほども抱いていないらしい。あまりも平然としているので、心配するのが馬鹿らしくなってきた。
そういえば、俺はなんでテレビを点けたんだっけ?
胸に手を当てて思案モードに入ろうとした瞬間、その下の腹が、ぎゅろろろ、と鳴った。
思い出した。昼飯を食おうとしていたのだ。
確か、レトルトの牛丼の買い置きがあったはずだ。米は炊いてあるので、具を温めればすぐにでも食事に取りかかれる。
電源もチャンネルもそのままに腰を上げ、戸棚の戸を開く。埃っぽい直方体の空間の最下段に、カップラーメンの平たい容器が十個ずつ、合計二十個、塔のように積まれている。
ラーメンも悪くないな、と思ったが、生憎ポットの湯は冷えている。
……それにしても。
「どこに置いたかな、レトルトの牛丼」
カップラーメンタワーの一基を横に退かして奥を覗き込んで、俺は絶句した。
幼女。
幼女が仰向けに横たわっているのだ。
年齢は五歳くらいだろうか。全身が弛緩し切っていて、一見死んでいるように見えるが、不規則に瞬くコバルトブルーの瞳、規則的に上下する胸――どうやら生きているらしい。
……それにしても。
腰に達する長さの金色の髪の毛、白亜の陶器のような肌、水色のエプロンドレス。この外見はまるで、不思議の国の――。
「はわっ!?」
幼女の頭が急に持ち上がったので、俺の肩は不可抗力的に跳ねた。作り物のように整った顔が、なんの感情も湛えられていない青い瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
「……えっと、名前は?」
「アリスよ」
五歳にしては大人びた声で幼女は答えた。
「えっ……マジでアリスって名前なの。格好を見て、不思議な国のアリスっぽいな、とは思ったけど。……まさか、絵本の世界から飛び出してきた的な?」
「そんなわけないでしょう。わたしは物語の中の一登場人物ではなくて、現実世界で生まれ育った人間よ」
抑揚のない声。顔は無表情のままだ。
「じゃあ、何者なんすか? あと、なんで戸棚の中に?」
「あなたに頼みたいことがあるんだけど、わたしの話、聞いてくれる?」
「……無視か」
「あなたの質問に答えたのだから、今度はわたしの番よ。質問ではなくて、確認ということになるけど。あなたに頼みたいことがあるから、わたしの話を聞いてくれる?」
再び問われた瞬間、思い出した。俺は昼飯を食おうとしていたのだった。ついでに言うと、レトルトの牛丼が保管されているのは戸棚の中ではない。冷蔵庫の冷凍室だ。
「悪い。昼飯がまだだから、食ってからにしてくれ。お前も牛丼、食う?」
アリスは物憂げに頭を振った。
「ちょっと待ってろよ。俺、食うの早いから。アホみたいに早いから。小学生のときに友人たちからつけられた綽名が――」
「いいから、早くして」
「あ、はい」
俺は速やかに牛丼の準備に取りかかった。
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