アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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ジャバウォック来訪

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 おっぱい丸出しの若い尼さんが極めて遅い速度で経を唱える模様を視聴しながら食べるレトルトの牛丼は、レトルトの牛丼の味がした。
 食事をしている間、アリスは戸棚の中で空き瓶のように静かに横たわっていた。牛丼の匂いを嗅いだことで気が変わり、「一口ちょうだい」と要求してくるのではないかと身構えていたが、無駄口一つ叩かなかった。話しかけてきたときのように、頭を持ち上げて無表情で見つめてくることもない。
 なんというか、掴みどころがないやつだ。出会ってまだ十数分なのだから、掴みどころがないのが当たり前なのかもしれないが。

 食べ終わっても、尼さんはおっぱい丸出しで経を唱えている。いい加減飽きてきたし、アリスとの会話の邪魔にもなるので、電源を切る。

「なあ、アリス。俺に頼みたいことって――」

 発言を遮るようにインターフォンが鳴った。

「誰か来た。悪いけど、ちょっと待ってて」
「ええ」

 あっさりと了承。また急かされるかと思ったが、存外鷹揚だ。……よく分からんやつだ。

 玄関ドアの内鍵を開け、ドアを開くと、冷気が素早く頬を掠めて屋内に侵入した。

「……?」

 振り返ったが、廊下の突き当たりの白い壁が見えるばかりだ。
 多少緊張を覚えながらドアを開け放ち、外の様子を窺う。
 誰もいない。見えるのは、向かいの金沢さん宅の、悪趣味な芥子色の外壁ばかり。

『ほら、うちの名字、金沢でしょ? 金でしょ? ゴールドでしょ? だから壁は金色にしたの。ゴールドにしたの』

 いつだったか、金沢のおばさんは俺にそう話してくれたことがあった。

『だって、ほら、うちの名字、金沢でしょ? 金でしょ? ゴールドでしょ? だから金色にしたの。ゴールドにしたの。だって金沢って金でしょ? ゴールドでしょ?』

 それにしても、訪問者はどこに消えたのだろう。ピンポンダッシュも二十一世紀になるとここまで進化した、ということなのか。
 なんか、戸棚の中にアリスを見つけて以降、変な出来事ばかり起きてない? いや、おっぱい丸出し尼さんのスロー読経の方が先か。

「……ま、いっか」

 話を聞かなきゃいけないし。とりあえず、リビングに引き返す。

「おい、アリス。お前が言っていた頼みたいことって――」

 俺は絶句した。
 ビキニ姿の少女が、カーペットの上に突っ立っているのだ。
 俺と同年代だろうか。肩までの長さの髪の毛は緑。ビキニの色も緑。かなり大きなおっぱいの持ち主だ。頭頂に真っ白な紙風船を載せ、ビニール紐かなにかで顎に括りつけている。全身になんらかの液体を塗りたくっているらしく、ぬるぬる・てかてかしている。
 ビキニ少女は笑いを堪えたような顔つきで俺を見つめる。

「……えっと。おたく、どなた?」
「あたしのおっぱいのカップサイズ、いくらだと思う?」

 ……無視か。

「当ててみてよ。そういうの、得意なんじゃないの?」
「当てたらいいことでもあるの?」
「さあ、どうぞ」

 また無視だ。質問に質問で答えたからか? なんにせよ、話が通じない相手なのは確かだろう。だからといって要求を突っぱねれば、大変なことが起きる気がする。無理難題をつけられたわけではないし、ここはとりあえず、

「カップサイズ、ねぇ」

 少女のおっぱいを食い入るように見つめる。少なくともEはありそうだ。F、G、H――それともIか? ……分かるか、こんなもん。
 制限時間が設定されていないのが不気味だ。考えている最中にいきなり、胸の前で両腕をXの形にして「ぶっぶー!」とか言いそうで怖い。

「――分かった。エッチなおっぱいだから、Hカップ!」
「ぶっぶー!」

 ビキニ少女は胸の前で両腕を交差させた。

「正解はJカップでしたー。んー、残念!」
「えっ、そんなにある? 確かに大きいけど……」
「だってあたし、ジャバウォックだよ? ジャバウォックの頭文字はJ。だからJカップ。小学生でも解ける問題じゃん」
「は? ジャバ……なに?」

 ビキニ少女は不敵に口の端を歪めると、自らのおっぱいの谷間に右手を突っ込んだ。取り出したのは、一本のマイク。コードレス。

「ではでは、ここで一曲歌わせてもらいます。聴いてください。――般若心経」

 マイクを片手に、ビキニ少女は般若心経を熱唱し始めた。丸出しの尼さんとは違い、普通の速度で。
 意味が分からない。全く分からない。
 アリスに眼差しで助けを求めたが、戸棚の中で横になったままだ。無視しているのか、なんなのか。いずれにせよ、全く頼りにならない。ていうか、意味不明な事態に遭遇したからといって、幼女に頼るってどうよ?

「あー、もう! なんなんだよ、さっきから」

 舌打ちをしてビキニ少女に顔を戻す。
 おっぱい丸出しだろうとビキニ姿だろうと、般若心経を唱える権利は日本国憲法で保障されている。しかし、やかましいのはいただけない。
 ここは俺の家だ。世帯主は親父だが、親父が死んだら遺産として俺に権利が渡るのだから、実質的に俺の家のようなものだ。少なくとも、ビキニ少女の家や、カラオケボックスや、信州の山奥の庵の中ではない。
 ――というわけで。

「こら!」

 俺はビキニ少女を怒鳴りつけた。

「アホ! 小娘! アホ! やめろ! うるさい! 歌うな! アホ! アホ!」

 読経はやまない。行為に夢中になるあまり、俺の声が聞こえていないらしい。
 このままではまずい。ご近所に、というか、向かいの金沢さんに迷惑がかかる。

 熱唱する少女を睨みつけているうちに、頭に括りつけられた紙風船が目に留まる。
 河童は頭頂の皿が弱点と言われているが、ビキニ少女は紙風船が弱点なのでは? 紙風船を叩き割れば、黙らせられるのでは? 他に案は思いつかないし、試してみる価値はある。

 河童にとっての皿に当たる物体を割ろうとすれば、当然阻止しようとするはずだ。ビキニ少女が手にしているコードレスマイクは、立派な凶器となるだろう。
 反撃を食らうのは、当たり前だが、嫌だ。怖いし、痛いし、できることなら勘弁被りたい。読経に夢中になっているから大丈夫だと己に言い聞かせても、不安は消えない。
 武器が欲しい。棒状の、マイクの全長とビキニ少女の腕の長さを足したよりも長い、なんらかの武器が。
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