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「遠藤くん、こんにちは」
教室で顔を合わせたときのような、気さくで、明るくて、気負いがない挨拶。明らかに速まった鼓動を意識しながら、「こんにちは」とおうむ返しする。白いワンピースとの対比で黒髪が、黒髪との対比で白い肌が、やけに艶めかしく見える。飲み物を探して歩いている間は治まっていた汗が、思い出したように肌のあちこちから噴き出し始めた。
「遠藤くんも来てたんだ。いつから?」
「開園に合わせて、だけど」
「あっ、そうなんだ。私は開園一時間後くらいからなんだけど、全然会わなかったね」
「そうだね。敷地、そこまで広くないんだけど」
もしかすると井内さんは、僕と九条さんが行動を共にする一部始終を、秘密裏に監視していたのでは? 性格的に絶対にあり得ないと思うが、そんな可能性が胸に浮上し、粘性のある雫が首筋を滑り落ちていく。
「えっと、井内さんは遊びに来たんだよね」
「そうだよ。遊びに来る以外の目的で遊園地に来ることって、あまりないんじゃないかな」
「あ……そうだね」
「遠藤くん、わたしに声をかけられて驚いているみたいだけど、そんなに意外かな? 中学生のときから、夏休みになるたびに一回は遊びに来ているんだけど――って、その事情を遠藤くんが知っているわけないよね」
井内さんの微笑みは無邪気そのものだ。
そう、遊びに来ただけ。夏休みだから。毎年来ているから。言い分に不自然さはない。井内さんはありのままの事実を正直に口にした。それは絶対的な真実だ。
ただ、なぜなのだろう、さっきから汗が止まらない。相槌を打つかのような頻度でそれを拭っている僕がいる。
「もちろん一人で来たわけじゃなくて、友達と四人でだよ。クラスが違うから、多分遠藤くんは分からないんじゃないかな。ほら、あそこにいる」
上体を捩じって後方を指差す。建物が作る陰の中に三人の少女が佇んでいて、こちらを窺っている。
「遠藤くんは二人で来たんだよね。誰と来たの? 友達? それとも――」
「えっ? なんで分かったの?」
「だって、飲み物二つ持ってるじゃない」
「あ……そっか。そう、だよね」
「ていうか、連れの人が待っているのに、引き留めてごめんね。またね!」
顔の横で手を振り、駆け足で友人のもとへ帰っていく。
僕は井内さんから視線を切り、九条さんのもとへ引き返す。待たせているから、早く合流したい。それもある。それももちろんあるのだが、それ以上に、井内さんの行動をこの目で見るのが怖かった。
友人と合流したあとで、僕がどんな人間なのかや、挙動がどこか不自然だったこと、第三者に知られたくない誰かと二人で来ているらしいこと――そういった情報を伝えるために、友人たちと顔を寄せ合う。そんな光景は、見たくない。
結局、僕はどこまでも空気なのだ。目立ちたくない。他人と違う行動をとりたくない。九条さんという異質な存在とは平気で付き合えても、そのことを他人に知られるのは嫌だ。二人だけの秘密にしておきたい。
親しい人間との時間を二人占めにしたい欲求は、誰であっても抱くものだろう。しかし、僕の場合はそれだけではない。そう認めざるを得ない。
九条さんを早く楽にしてあげたい、という思いを失念していたことには、彼女が待つベンチが進行方向に見えるまで気がつかなかった。
* * *
「ごめん。自販機の場所度忘れしちゃって、時間かかった」
九条さんのもとに戻っての第一声がそれだった。
「奢ってもらう立場なのに、気にしてないから。もともと飲みたいわけじゃないし」
「そっか。でも、しつこいようだけど、水分補給はしておいた方がいいよ」
「分かってる」
飲料を手渡すと、淡々とプルタブを開けて唇をつける。水分を摂取する必要性が高いのはむしろ、動き回って大量の汗をかいた僕かもしれない。甘く冷たい液体を喉へ流し込むと、心が漸く落ち着きを取り戻し始めた。
九条さんが再び歩き出せる元気を回復してくれたので、井内さんに遭遇した一件はひとまず忘れることができた。
教室で顔を合わせたときのような、気さくで、明るくて、気負いがない挨拶。明らかに速まった鼓動を意識しながら、「こんにちは」とおうむ返しする。白いワンピースとの対比で黒髪が、黒髪との対比で白い肌が、やけに艶めかしく見える。飲み物を探して歩いている間は治まっていた汗が、思い出したように肌のあちこちから噴き出し始めた。
「遠藤くんも来てたんだ。いつから?」
「開園に合わせて、だけど」
「あっ、そうなんだ。私は開園一時間後くらいからなんだけど、全然会わなかったね」
「そうだね。敷地、そこまで広くないんだけど」
もしかすると井内さんは、僕と九条さんが行動を共にする一部始終を、秘密裏に監視していたのでは? 性格的に絶対にあり得ないと思うが、そんな可能性が胸に浮上し、粘性のある雫が首筋を滑り落ちていく。
「えっと、井内さんは遊びに来たんだよね」
「そうだよ。遊びに来る以外の目的で遊園地に来ることって、あまりないんじゃないかな」
「あ……そうだね」
「遠藤くん、わたしに声をかけられて驚いているみたいだけど、そんなに意外かな? 中学生のときから、夏休みになるたびに一回は遊びに来ているんだけど――って、その事情を遠藤くんが知っているわけないよね」
井内さんの微笑みは無邪気そのものだ。
そう、遊びに来ただけ。夏休みだから。毎年来ているから。言い分に不自然さはない。井内さんはありのままの事実を正直に口にした。それは絶対的な真実だ。
ただ、なぜなのだろう、さっきから汗が止まらない。相槌を打つかのような頻度でそれを拭っている僕がいる。
「もちろん一人で来たわけじゃなくて、友達と四人でだよ。クラスが違うから、多分遠藤くんは分からないんじゃないかな。ほら、あそこにいる」
上体を捩じって後方を指差す。建物が作る陰の中に三人の少女が佇んでいて、こちらを窺っている。
「遠藤くんは二人で来たんだよね。誰と来たの? 友達? それとも――」
「えっ? なんで分かったの?」
「だって、飲み物二つ持ってるじゃない」
「あ……そっか。そう、だよね」
「ていうか、連れの人が待っているのに、引き留めてごめんね。またね!」
顔の横で手を振り、駆け足で友人のもとへ帰っていく。
僕は井内さんから視線を切り、九条さんのもとへ引き返す。待たせているから、早く合流したい。それもある。それももちろんあるのだが、それ以上に、井内さんの行動をこの目で見るのが怖かった。
友人と合流したあとで、僕がどんな人間なのかや、挙動がどこか不自然だったこと、第三者に知られたくない誰かと二人で来ているらしいこと――そういった情報を伝えるために、友人たちと顔を寄せ合う。そんな光景は、見たくない。
結局、僕はどこまでも空気なのだ。目立ちたくない。他人と違う行動をとりたくない。九条さんという異質な存在とは平気で付き合えても、そのことを他人に知られるのは嫌だ。二人だけの秘密にしておきたい。
親しい人間との時間を二人占めにしたい欲求は、誰であっても抱くものだろう。しかし、僕の場合はそれだけではない。そう認めざるを得ない。
九条さんを早く楽にしてあげたい、という思いを失念していたことには、彼女が待つベンチが進行方向に見えるまで気がつかなかった。
* * *
「ごめん。自販機の場所度忘れしちゃって、時間かかった」
九条さんのもとに戻っての第一声がそれだった。
「奢ってもらう立場なのに、気にしてないから。もともと飲みたいわけじゃないし」
「そっか。でも、しつこいようだけど、水分補給はしておいた方がいいよ」
「分かってる」
飲料を手渡すと、淡々とプルタブを開けて唇をつける。水分を摂取する必要性が高いのはむしろ、動き回って大量の汗をかいた僕かもしれない。甘く冷たい液体を喉へ流し込むと、心が漸く落ち着きを取り戻し始めた。
九条さんが再び歩き出せる元気を回復してくれたので、井内さんに遭遇した一件はひとまず忘れることができた。
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