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事前に約束は交わしていなかったが、締めくくりに乗るという暗黙の了解があったように思う。
「じゃあ、観覧車に乗ろうか」
「そうだね」
だからこそ僕はそのアトラクションを最後まで取っておいたのだし、九条さんは提案を即座に了承したのだろう。
密室で二人きりになったが、意外にも緊張感が爆発的に高まることはない。九条さんがあまりにも平然としているからか。観覧車に乗ったらこんなことをしたい、話したいという、具体的なプランを僕が持っていないからか。フィクションの世界では特別なアトラクションとして描かれることが多いが、現実はこんなものなのかもしれない、とも思う。
ゴンドラに乗り込んでしばらくは、窓越しの景色を言葉少なに楽しんだ。覗く窓は同じときもあれば、別々のときもある。自分の目に留まったものを見てほしくて、問題の方向を指差しながら呼びかけると、九条さんは素直にそちらに注目を移してくれた。対象が存在する方角によっては、大胆に体を寄せてきた。
物理的に近づいたことにより、視覚で景色を捉えながらも、意識は彼女へと惹きつけられた。微かな息づかい。髪の毛から漂ってくる微かな甘い香り。そして、存在感。しゃべる傍ら、それら全てを味わい尽くした。
九条さんは対象を満足がいくまで見ると、すぐに僕から体を遠ざける。面と向かって指摘はしないが、下心を見透かされている気がして、そのたびに自分の卑小さに嫌気が差す。それでも僕は、あれを見て、あそこにあるのはなんだろうと、彼女を振り回すのをやめられなかった。すぐに離れていってしまうのだとしても、呼びかけに応じてくれる。体を近づけてくれる。それが堪らなく嬉しかった。
ゴンドラが上昇するに従って会話の種は枯渇していき、話は途切れがちになったが、気まずさは密室の中には忍び込まない。僕たちは静けさを愛しているし、それに、遊園地で過ごしたかけがえのない時間を反芻するために、この場所ほどうってつけな環境はない。あれを見て、それも見てと、九条さんに指図まがいのことをしていたのは、この時間を味わうための下準備のようなものだったのかもしれない。そんなふうにも思う。
あるいは、さらにその先を見据えているのか。
「今日の遊園地、どうだった? 楽しめた?」
そろそろ頂上かという地点で、僕はおもむろに切り出した。窓外を眺めていた九条さんの顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
「毎回同じことを聞くんだね。脅迫的」
「そうかな? 最後に感想を訊くのは普通だと思うけど」
「冗談だから。楽しかったよ。楽しかったか楽しくなかったかの二択でいえば、明らかに前者」
「ほんと? よかった」
「私、人混みが苦手って言ったでしょ。入園ゲートをくぐった瞬間、ああ、多いな、と思って」
「そうかな」
「私的にはね。でも、それなのに楽しかった。楽しいから嫌なことにも目をつぶれたというよりも、嫌なことがすぐ傍にあるけど気にならなかった感じ。今までこういう体験をしたことがなかったから、楽しいってこういうことなんだなって、身をもって知ることができた」
九条さんのしゃべり方は心なしかゆったりとしていて、今まさに言及している感情を噛みしめているかのようだ。
「九条さんは多分、うるさい場所というよりも、周りに人がたくさんいるのが好きじゃないんだろうね。だから、たとえば僕がしゃべっていても、九条さんにとって気に障らない話題で、こういう二人きりのシチュエーションであれば、全然オッケー。逆にいえば、静かな環境でも人がたくさんいるのは、九条さん的にはアウト。そういうことなんだと思う」
「随分と自信ありげね」
「うん。九条さんと付き合う中で、だんだん分かってきたから。九条さんは感情を表に出さないけど、返した言葉とか見せた仕草なんかで、どんなことを考えているのか、どういう意図でそんな真似をしたのか、みたいなことが。もちろん、百発百中とはいかないけど」
気持ち悪い、とかなんとか、辛辣な言葉をかけられるかとも思ったが、言い返してこない。広いとはいえないゴンドラの中は、安らかな静寂に満たされている。
観覧車は頂を通過し、地上へと向かう。形だけ窓外の景色を眺めながら、これまでにフィクションの世界で見てきた、胸高鳴るシチュエーションが再現されることを、僕は淡く願う。一方で、その可能性は限りなくゼロに近いと理解してもいる。ゴンドラはやがて地上に帰還し、ゲートを潜って遊園地を後にして、路線バスに乗って駅に戻り、解散。僕たちを待っているのは、甘酸っぱさが香る肉体的な触れ合いではなく、その未来だ。
でも、今はそれでも構わない。今日は一日楽しい時間を過ごせた。そして、今後も彼女との親密な付き合いは続いていくのだから。
僕は気がついている。九条さんは僕と一緒に遊ぶようになって以来、僕が九条さんを殺すという予知について、一言も話さなくなったことを。
「じゃあ、観覧車に乗ろうか」
「そうだね」
だからこそ僕はそのアトラクションを最後まで取っておいたのだし、九条さんは提案を即座に了承したのだろう。
密室で二人きりになったが、意外にも緊張感が爆発的に高まることはない。九条さんがあまりにも平然としているからか。観覧車に乗ったらこんなことをしたい、話したいという、具体的なプランを僕が持っていないからか。フィクションの世界では特別なアトラクションとして描かれることが多いが、現実はこんなものなのかもしれない、とも思う。
ゴンドラに乗り込んでしばらくは、窓越しの景色を言葉少なに楽しんだ。覗く窓は同じときもあれば、別々のときもある。自分の目に留まったものを見てほしくて、問題の方向を指差しながら呼びかけると、九条さんは素直にそちらに注目を移してくれた。対象が存在する方角によっては、大胆に体を寄せてきた。
物理的に近づいたことにより、視覚で景色を捉えながらも、意識は彼女へと惹きつけられた。微かな息づかい。髪の毛から漂ってくる微かな甘い香り。そして、存在感。しゃべる傍ら、それら全てを味わい尽くした。
九条さんは対象を満足がいくまで見ると、すぐに僕から体を遠ざける。面と向かって指摘はしないが、下心を見透かされている気がして、そのたびに自分の卑小さに嫌気が差す。それでも僕は、あれを見て、あそこにあるのはなんだろうと、彼女を振り回すのをやめられなかった。すぐに離れていってしまうのだとしても、呼びかけに応じてくれる。体を近づけてくれる。それが堪らなく嬉しかった。
ゴンドラが上昇するに従って会話の種は枯渇していき、話は途切れがちになったが、気まずさは密室の中には忍び込まない。僕たちは静けさを愛しているし、それに、遊園地で過ごしたかけがえのない時間を反芻するために、この場所ほどうってつけな環境はない。あれを見て、それも見てと、九条さんに指図まがいのことをしていたのは、この時間を味わうための下準備のようなものだったのかもしれない。そんなふうにも思う。
あるいは、さらにその先を見据えているのか。
「今日の遊園地、どうだった? 楽しめた?」
そろそろ頂上かという地点で、僕はおもむろに切り出した。窓外を眺めていた九条さんの顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
「毎回同じことを聞くんだね。脅迫的」
「そうかな? 最後に感想を訊くのは普通だと思うけど」
「冗談だから。楽しかったよ。楽しかったか楽しくなかったかの二択でいえば、明らかに前者」
「ほんと? よかった」
「私、人混みが苦手って言ったでしょ。入園ゲートをくぐった瞬間、ああ、多いな、と思って」
「そうかな」
「私的にはね。でも、それなのに楽しかった。楽しいから嫌なことにも目をつぶれたというよりも、嫌なことがすぐ傍にあるけど気にならなかった感じ。今までこういう体験をしたことがなかったから、楽しいってこういうことなんだなって、身をもって知ることができた」
九条さんのしゃべり方は心なしかゆったりとしていて、今まさに言及している感情を噛みしめているかのようだ。
「九条さんは多分、うるさい場所というよりも、周りに人がたくさんいるのが好きじゃないんだろうね。だから、たとえば僕がしゃべっていても、九条さんにとって気に障らない話題で、こういう二人きりのシチュエーションであれば、全然オッケー。逆にいえば、静かな環境でも人がたくさんいるのは、九条さん的にはアウト。そういうことなんだと思う」
「随分と自信ありげね」
「うん。九条さんと付き合う中で、だんだん分かってきたから。九条さんは感情を表に出さないけど、返した言葉とか見せた仕草なんかで、どんなことを考えているのか、どういう意図でそんな真似をしたのか、みたいなことが。もちろん、百発百中とはいかないけど」
気持ち悪い、とかなんとか、辛辣な言葉をかけられるかとも思ったが、言い返してこない。広いとはいえないゴンドラの中は、安らかな静寂に満たされている。
観覧車は頂を通過し、地上へと向かう。形だけ窓外の景色を眺めながら、これまでにフィクションの世界で見てきた、胸高鳴るシチュエーションが再現されることを、僕は淡く願う。一方で、その可能性は限りなくゼロに近いと理解してもいる。ゴンドラはやがて地上に帰還し、ゲートを潜って遊園地を後にして、路線バスに乗って駅に戻り、解散。僕たちを待っているのは、甘酸っぱさが香る肉体的な触れ合いではなく、その未来だ。
でも、今はそれでも構わない。今日は一日楽しい時間を過ごせた。そして、今後も彼女との親密な付き合いは続いていくのだから。
僕は気がついている。九条さんは僕と一緒に遊ぶようになって以来、僕が九条さんを殺すという予知について、一言も話さなくなったことを。
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