僕は君を殺さない

阿波野治

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 僕の左手は、いくつかの小石とそれに付着した土を握り締めたままだ。躊躇いはあったが、すぐに振り切った。一個に然るべき処置を施し、一個を残して足元に捨て、残った一個を車を目がけて投げつける。小指の先端ほどのそれは放物線を描き、ボンネットの中央に直撃して音を奏でた。
 後部座席のドアに手をかけた九条さんの父親は、肩越しに振り向いた。顔に湛えられているのは、漣一つ立っていない無表情。体を回して僕に向き直る。

「これは驚いた。賞賛に値する気力の持ち主という他ないが――果たして、君にとってよい選択かどうか」

 その言葉を無視し、大地を踏み締めて九条さんの父親との距離を詰める。足を止めたのは、敵の正面約五メートルの地点。

「無駄口を叩く体力もないのか。それとも、私と同じで、無駄なことをするのが好きではないのか。どちらにせよ、私が君に言えることは、ただ一つ。これ以上邪魔をすれば、君の肉体は取り返しがつかない状態になるよ」

 この警告も無視し、ジーンズの右ポケットに右手を突っ込む。鶏卵よりも一回り大きな石。僕の貴重な武器。

「ポケットの膨らみは、河原で拾った石かな。なんとも心もとない武器だが、現状、調達可能な中で最強の武器ではあるだろうね。さあ、ポケットから手を出して、車から離れて。さもないと、たとえ君が攻撃を仕掛けてこなくても、私の方から攻撃することになるよ。それで構わないのかな?」

 僕は無言を返す。九条さんの父親は表情一つ変えずに頷く。歩み寄ってくる。ポケットの中の僕の右手に注意を払いながら、隙のない足取りで。
 敵は恐らく、最後にもう一度、僕の意思を確かめようとしたのだろう、手を伸ばせば触れられる距離で足を止めた。蹴りを放つのでも、拳を振るうのでもなく、己の顔を僕の顔へと近づける。

 その瞬間を狙って、口に含んでいた小石を吹きつけた。
 弾丸はものの見事に眉間を直撃した。

 敵は呻き、攻撃を食らった部位を手で押さえる。体勢は大きく崩れている。頭部は、殴りつけるのに好都合な高さまで下りてきている。ポケットから取り出した石を振り上げ、敵が防御態勢を取るよりも一瞬も二瞬も早く、渾身の力で後頭部へと振り下ろす。鈍重な衝突音。濁ったような呻き。堪らずといったふうに片膝をつく。間髪を入れずに、もう一撃。九条さんの父親は地面に突っ伏した。無防備な後頭部が眼下にある。もう一発、二発。それから先は、体は半ば自動的に動いた。

「死ね! 死ね! 死ねぇっ!」

 溢れ出す感情に任せて吐き散らす声は、紛れもなく自分のもの。それでいて、別人が発しているような気がする。全身が熱い。石を強く握りすぎている右手。土の食感が不愉快な口腔。激しく動いたことでぶり返した脇腹の疼痛。痛みや違和感や不快感はあちこちで生じているのに、体は支障なく動いている。打撃は恐ろしく正確で、集中攻撃を食らっている部分は窪んでいるように見える。九条さんの父親は、最初こそもがくように四肢を動かしていたが、いつからか完全に動かなくなった。

 僕は敵の死を一途に願う一匹の怪物と化し、凶器を振り下ろした。振り下ろして、振り下ろして、振り下ろし続けた。

 猛攻は、石が右手から離れたことで終わった。唐突な、どこか呆気ない終幕だった。握力が失われたのでも、自らの意思で手放したのでもない。血で滑って手中から抜け落ちたのだ。
 石を見下ろすと、広範囲にわたって赤く汚れていて、灰色が露出している面積の方が少ないくらいだ。右手に視線を移すと、こちらも真っ赤に染まっている。九条さんの父親の後頭部も同じような有り様だ。実物なんて一度も見たことはないのに、ザクロの実みたいだ、と思う。

 実質以上に疲れた体に鞭打ち、九条さんの父親の体をひっくり返す。白目を剥き、口の片端から一筋の血が垂れている。一瞬躊躇って、胸に手を宛がう。鼓動は、確認できない。
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