塵埃抄

阿波野治

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物語

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 自宅近くのコンビニに足を運ぶと、無料の求人誌を置いてある棚の上に、一羽のカラスがとまっていた。棚の前で足を止め、まじまじと見つめる。カラスは私の顔を見返したが、すぐにそっぽを向き、羽繕いを始めた。
 間近で見たカラスは、イメージしていたよりも大きかったが、恐ろしいとは感じなかった。艶やかな黒色の羽は黒猫の体毛を思わせ、小さく円らな瞳からは悪意は読み取れない。
 コンビニの店先にいて、人が近づいても逃げないカラスなど、初めて見た。そうでもしないことには生きていけない環境になった、ということだろうか。カラスも大変だ。
「そうでもないよ」
 突然、カラスが喋った。若い男の声だった。
「大変は大変だけど、大変な中でも喜びを見つけて、楽しくやっているよ。……こんな物語がある。主人公は八十過ぎの老爺で、病院に入院したばかり。医者から病名は知らされていないが、もう長くはないと薄々感づいている。家族は滅多に見舞いに来ない。老爺は暗い気持ちで己の過去を振り返る。戦争、失業、妻との死別……。色々あったが、辛い時期にも必ずよい思い出があったことに気がつく。だから老爺は、見舞いに来た孫にこう言うんだ。『人は私の人生を憐れむが、人間はどんな状況にあっても喜びを見出すものだ。死を目前に控え、誰からも相手にされなくても、お前が会いに来てくれるだけで私は嬉しい』とね」
 その物語は、カラスの創作なのではないか。物語を創作することこそが、彼の言う「大変な中の喜び」なのではないか。
 そう思ったが、指摘するのは彼に悪い気がしたし、彼は人の心が読めるようなので、指摘する意味はないはずだ。彼に背を向け、店の自動ドアを潜った。
 買い物を終えて店を出ると、カラスの姿はなかった。
 彼が今後創る物語に登場人物として出演できたなら、それに優る喜びはない。
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