塵埃抄

阿波野治

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逃避行

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 妻を殺したので、遺体を旅行鞄に詰め、電車に乗って山へ向かった。
 登山口に幼馴染みの佐伯さんが佇んでいた。その顔は病的に青白い。目の前を横切ると、佐伯さんは私についてきた。
 互いに一言も喋らない。佐伯さんはどこまでもついてくる。佐伯さんがどこかへ行ってしまった後で遺体を埋めよう。そう思いながら歩いているうちに、夜の帳が降りたので、諦めて下山した。
 駅に戻った時には、佐伯さんはいなくなっていた。
 券売機で切符を買おうとしたが、故障している。駅員を呼んだ。駅員は券売機ではなく、私の旅行鞄を点検した。妻の遺体を発見され、私は監獄に収容された。
 長い年月を独房で過ごし、私は猫になった。
 窓の鉄格子をすり抜け、我が家を目指す。
 自宅に辿り着いた。庭を数多の甲虫が這い回っていた。踏み潰さないように注意しながら通過し、家内に足を踏み入れる。
 ダイニングで、死んだはずの妻が食事をしていた。白米に大量の螺子をかけて食べている。
 妻はこちらを向き、頬を緩めた。
「あなた、お帰りなさい。疲れたでしょう。疲労回復には沢庵の海苔巻きがいいわよ、沢庵の海苔巻きがいいわよ、沢庵の海苔巻が――」
 妻の背後から、軽自動車ほどの大きさの甲虫が忍び寄ったかと思うと、顎を大きく開き、彼女の頭部を食いちぎった。
 私は家を飛び出した。庭木の幹を駆け上って屋根まで行く。屋根を駆け、端まで行き着くと隣家の屋根に跳び移り、また屋根を駆ける、ということを繰り返しながら、次第に我が家から遠ざかる。
 走り疲れて足を止めた。地上を見下ろすと、路上に一糸纏わぬ少女が佇んでいる。一筋の鮮血が内股を伝っている。
 目が合うと、少女はくすぐったそうに微笑み、私に向かっておいでおいでをした。
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