少女と物語と少女の物語

阿波野治

文字の大きさ
15 / 19

バラバラ

しおりを挟む
 教室に戻ったわたしは、弁当箱と水筒を取り落としてしまった。
 わたしの机に福永さんが腰かけ、手にしたなにかを読んでいる。

「あ、来た来た。帰ってきたよ、福永さん」

 机を囲むうちの一人がリーダーに告げる。何人かが含み笑いを漏らした。福永さんがわたしの方を向いた。口を三日月の形にして、早くおいでよ、というふうに手招く。わたしは引っ張られるように机へと向かった。
 福永さんが読んでいたのは、わたしが書いた小説の原稿だった。昨日平間さんから返してもらい、鞄の中に入れたままにしていた原稿。

「ごめんねぇ。増田さんが書いた小説が読みたかったから、勝手に鞄の中を見ちゃった」

 手にしたものをひらめかせて笑う。周りの女子たちもそれに追随する。

「ノートと内容は同じだけど、あれは下書きで、こっちは清書したもの、ってことでいいのかな。この前読んだ時も思ったんだけど、増田さん、やっぱりリアリティなさすぎだよ。主人公も相手の男子も、引っ込み思案な性格で恋愛経験がないっていう設定なのに、たった数日でキスまでしちゃうっていうのは」
「……返して」
「えっ? なに?」
「福永さん、それ、返して。お願いだから」

 相手の目を見据え、言葉を絞り出す。福永さんに対する恐怖と怒り。福永さんに今まさに立ち向かっているという高揚感。面と向かって福永さんたちの言動を非難できずにいた弱い自分を不甲斐なく思う気持ち。それらを一まとめに噛みしめながら。

「声、小さすぎてよく聞こえないんだけど、もう一回言ってくれる?」

 侮蔑するような顔つきと声に気持ちが挫けそうになるが、目は逸らさない。声を上げることはやめない。

「それ、返して。大事なものだから、返して」
「失敗作なんだし、ノートに下書きを書いてあるんだから、返さなくても別に構わないでしょ」

 束を軽く二つに折って片手に持ち、机から降りる。そのまま自席に戻ろうとしたので、咄嗟に手首を掴んで引き留めた。

「いたっ!」

 つい力が入ってしまったらしく、福永さんは鋭い目つきで睨んできた。反射的に手を離した直後、まだ目的を達成していないことに気がつく。原稿用紙の束を奪い返し、強く胸に抱き締める。着席しようとしたわたしの腕を福永さんの手が掴む。

「おい、なに無視してんだよ。謝れよ」

 威圧的な低い声に、教室の空気は凍りついた。
 謝らなきゃ。屈辱的なことをされたからといって、相手に痛い思いをさせていいわけではないのだから。
 謝る? 今まで散々酷い目に遭わされたのに、この程度のことをしたくらいで、なぜ謝らなければいけないの?
 相反する二つの思いの板挟みになり、体が硬直してしまう。結果的になんのリアクションも示すことができず、それが福永さんは気に食わなかったらしい。

「黙ってんじゃねぇよ!」

 右手で強く胸を突かれ、上体が大きく後方に傾く。机の角に右肩を激しくぶつけ、わたしは床に崩れ落ちた。両手から離れた拍子に、原稿用紙をまとめていたクリップが外れ、数十枚の紙片が虚空に舞った。

「なにをやっているの!」

 教室に入ってきた誰かが叫んだ。担任の東先生だ。
 福永さんのグループの一人が東先生に駆け寄り、なにか話し始めた。福永さんと増田さんがふざけ合いをしていたら、増田さんが足を滑らせて机で肩を打った。そう意味のことを言っている。

「死ねよ、バーカ」

 捨て台詞を吐き、福永さんは自席に戻っていく。ぐしゃり、と紙が踏み潰される音がした。わざとだ、思った。授業開始を告げるチャイムが鳴った。

「大丈夫? 打ったところは痛い?」

 床に片膝をついての東先生の問いかけに、床にうずくまったわたしは頭を振る。痛みはまだかなり強かったが、やるべきことがある。上体を起こし、散乱した原稿用紙を回収しようとしたが、先生に制止された。

「保健室へ行って診てもらいなさい。悪いことは言わないから」
「その前に、紙を片付けないと……」
「他の子に任せなさい。……ちょっと」

 東先生は原稿用紙を回収する役目を、わたしの後ろの席の生徒に命じた。その子は福永さんのグループには属していない。彼女ならば作品を悪いようにはしないだろう。

「大丈夫? 一人で行ける?」

 心配そうな顔の東先生の言葉に頷き、立ち上がって歩き出す。
 教室を出る際、福永さんが大声でなにか言ったが、なんと言ったのかは聞き取れなかった。

 廊下の角を曲がり、福永さんの視界に入らない場所まで来たという確信を持った瞬間、双眸から涙が溢れ出した。驚きのあまり足を止めてしまったほど、勢いよく、大量に。
 木下先生にあれこれ追及されるのが嫌だったので、保健室に辿り着くまでには泣き止みたかった。その目的を達成するために、本来なら三分もあれば到着できる目的地まで、その倍以上の時間をかけて歩いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...