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バラバラ
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教室に戻ったわたしは、弁当箱と水筒を取り落としてしまった。
わたしの机に福永さんが腰かけ、手にしたなにかを読んでいる。
「あ、来た来た。帰ってきたよ、福永さん」
机を囲むうちの一人がリーダーに告げる。何人かが含み笑いを漏らした。福永さんがわたしの方を向いた。口を三日月の形にして、早くおいでよ、というふうに手招く。わたしは引っ張られるように机へと向かった。
福永さんが読んでいたのは、わたしが書いた小説の原稿だった。昨日平間さんから返してもらい、鞄の中に入れたままにしていた原稿。
「ごめんねぇ。増田さんが書いた小説が読みたかったから、勝手に鞄の中を見ちゃった」
手にしたものをひらめかせて笑う。周りの女子たちもそれに追随する。
「ノートと内容は同じだけど、あれは下書きで、こっちは清書したもの、ってことでいいのかな。この前読んだ時も思ったんだけど、増田さん、やっぱりリアリティなさすぎだよ。主人公も相手の男子も、引っ込み思案な性格で恋愛経験がないっていう設定なのに、たった数日でキスまでしちゃうっていうのは」
「……返して」
「えっ? なに?」
「福永さん、それ、返して。お願いだから」
相手の目を見据え、言葉を絞り出す。福永さんに対する恐怖と怒り。福永さんに今まさに立ち向かっているという高揚感。面と向かって福永さんたちの言動を非難できずにいた弱い自分を不甲斐なく思う気持ち。それらを一まとめに噛みしめながら。
「声、小さすぎてよく聞こえないんだけど、もう一回言ってくれる?」
侮蔑するような顔つきと声に気持ちが挫けそうになるが、目は逸らさない。声を上げることはやめない。
「それ、返して。大事なものだから、返して」
「失敗作なんだし、ノートに下書きを書いてあるんだから、返さなくても別に構わないでしょ」
束を軽く二つに折って片手に持ち、机から降りる。そのまま自席に戻ろうとしたので、咄嗟に手首を掴んで引き留めた。
「いたっ!」
つい力が入ってしまったらしく、福永さんは鋭い目つきで睨んできた。反射的に手を離した直後、まだ目的を達成していないことに気がつく。原稿用紙の束を奪い返し、強く胸に抱き締める。着席しようとしたわたしの腕を福永さんの手が掴む。
「おい、なに無視してんだよ。謝れよ」
威圧的な低い声に、教室の空気は凍りついた。
謝らなきゃ。屈辱的なことをされたからといって、相手に痛い思いをさせていいわけではないのだから。
謝る? 今まで散々酷い目に遭わされたのに、この程度のことをしたくらいで、なぜ謝らなければいけないの?
相反する二つの思いの板挟みになり、体が硬直してしまう。結果的になんのリアクションも示すことができず、それが福永さんは気に食わなかったらしい。
「黙ってんじゃねぇよ!」
右手で強く胸を突かれ、上体が大きく後方に傾く。机の角に右肩を激しくぶつけ、わたしは床に崩れ落ちた。両手から離れた拍子に、原稿用紙をまとめていたクリップが外れ、数十枚の紙片が虚空に舞った。
「なにをやっているの!」
教室に入ってきた誰かが叫んだ。担任の東先生だ。
福永さんのグループの一人が東先生に駆け寄り、なにか話し始めた。福永さんと増田さんがふざけ合いをしていたら、増田さんが足を滑らせて机で肩を打った。そう意味のことを言っている。
「死ねよ、バーカ」
捨て台詞を吐き、福永さんは自席に戻っていく。ぐしゃり、と紙が踏み潰される音がした。わざとだ、思った。授業開始を告げるチャイムが鳴った。
「大丈夫? 打ったところは痛い?」
床に片膝をついての東先生の問いかけに、床にうずくまったわたしは頭を振る。痛みはまだかなり強かったが、やるべきことがある。上体を起こし、散乱した原稿用紙を回収しようとしたが、先生に制止された。
「保健室へ行って診てもらいなさい。悪いことは言わないから」
「その前に、紙を片付けないと……」
「他の子に任せなさい。……ちょっと」
東先生は原稿用紙を回収する役目を、わたしの後ろの席の生徒に命じた。その子は福永さんのグループには属していない。彼女ならば作品を悪いようにはしないだろう。
「大丈夫? 一人で行ける?」
心配そうな顔の東先生の言葉に頷き、立ち上がって歩き出す。
教室を出る際、福永さんが大声でなにか言ったが、なんと言ったのかは聞き取れなかった。
廊下の角を曲がり、福永さんの視界に入らない場所まで来たという確信を持った瞬間、双眸から涙が溢れ出した。驚きのあまり足を止めてしまったほど、勢いよく、大量に。
木下先生にあれこれ追及されるのが嫌だったので、保健室に辿り着くまでには泣き止みたかった。その目的を達成するために、本来なら三分もあれば到着できる目的地まで、その倍以上の時間をかけて歩いた。
わたしの机に福永さんが腰かけ、手にしたなにかを読んでいる。
「あ、来た来た。帰ってきたよ、福永さん」
机を囲むうちの一人がリーダーに告げる。何人かが含み笑いを漏らした。福永さんがわたしの方を向いた。口を三日月の形にして、早くおいでよ、というふうに手招く。わたしは引っ張られるように机へと向かった。
福永さんが読んでいたのは、わたしが書いた小説の原稿だった。昨日平間さんから返してもらい、鞄の中に入れたままにしていた原稿。
「ごめんねぇ。増田さんが書いた小説が読みたかったから、勝手に鞄の中を見ちゃった」
手にしたものをひらめかせて笑う。周りの女子たちもそれに追随する。
「ノートと内容は同じだけど、あれは下書きで、こっちは清書したもの、ってことでいいのかな。この前読んだ時も思ったんだけど、増田さん、やっぱりリアリティなさすぎだよ。主人公も相手の男子も、引っ込み思案な性格で恋愛経験がないっていう設定なのに、たった数日でキスまでしちゃうっていうのは」
「……返して」
「えっ? なに?」
「福永さん、それ、返して。お願いだから」
相手の目を見据え、言葉を絞り出す。福永さんに対する恐怖と怒り。福永さんに今まさに立ち向かっているという高揚感。面と向かって福永さんたちの言動を非難できずにいた弱い自分を不甲斐なく思う気持ち。それらを一まとめに噛みしめながら。
「声、小さすぎてよく聞こえないんだけど、もう一回言ってくれる?」
侮蔑するような顔つきと声に気持ちが挫けそうになるが、目は逸らさない。声を上げることはやめない。
「それ、返して。大事なものだから、返して」
「失敗作なんだし、ノートに下書きを書いてあるんだから、返さなくても別に構わないでしょ」
束を軽く二つに折って片手に持ち、机から降りる。そのまま自席に戻ろうとしたので、咄嗟に手首を掴んで引き留めた。
「いたっ!」
つい力が入ってしまったらしく、福永さんは鋭い目つきで睨んできた。反射的に手を離した直後、まだ目的を達成していないことに気がつく。原稿用紙の束を奪い返し、強く胸に抱き締める。着席しようとしたわたしの腕を福永さんの手が掴む。
「おい、なに無視してんだよ。謝れよ」
威圧的な低い声に、教室の空気は凍りついた。
謝らなきゃ。屈辱的なことをされたからといって、相手に痛い思いをさせていいわけではないのだから。
謝る? 今まで散々酷い目に遭わされたのに、この程度のことをしたくらいで、なぜ謝らなければいけないの?
相反する二つの思いの板挟みになり、体が硬直してしまう。結果的になんのリアクションも示すことができず、それが福永さんは気に食わなかったらしい。
「黙ってんじゃねぇよ!」
右手で強く胸を突かれ、上体が大きく後方に傾く。机の角に右肩を激しくぶつけ、わたしは床に崩れ落ちた。両手から離れた拍子に、原稿用紙をまとめていたクリップが外れ、数十枚の紙片が虚空に舞った。
「なにをやっているの!」
教室に入ってきた誰かが叫んだ。担任の東先生だ。
福永さんのグループの一人が東先生に駆け寄り、なにか話し始めた。福永さんと増田さんがふざけ合いをしていたら、増田さんが足を滑らせて机で肩を打った。そう意味のことを言っている。
「死ねよ、バーカ」
捨て台詞を吐き、福永さんは自席に戻っていく。ぐしゃり、と紙が踏み潰される音がした。わざとだ、思った。授業開始を告げるチャイムが鳴った。
「大丈夫? 打ったところは痛い?」
床に片膝をついての東先生の問いかけに、床にうずくまったわたしは頭を振る。痛みはまだかなり強かったが、やるべきことがある。上体を起こし、散乱した原稿用紙を回収しようとしたが、先生に制止された。
「保健室へ行って診てもらいなさい。悪いことは言わないから」
「その前に、紙を片付けないと……」
「他の子に任せなさい。……ちょっと」
東先生は原稿用紙を回収する役目を、わたしの後ろの席の生徒に命じた。その子は福永さんのグループには属していない。彼女ならば作品を悪いようにはしないだろう。
「大丈夫? 一人で行ける?」
心配そうな顔の東先生の言葉に頷き、立ち上がって歩き出す。
教室を出る際、福永さんが大声でなにか言ったが、なんと言ったのかは聞き取れなかった。
廊下の角を曲がり、福永さんの視界に入らない場所まで来たという確信を持った瞬間、双眸から涙が溢れ出した。驚きのあまり足を止めてしまったほど、勢いよく、大量に。
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