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噴水広場①
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『今日の放課後、駅前の噴水広場で原稿を返すから、そのつもりでよろしく』
約束の日の朝、そんな短いメールが平間さんから送られてきた。返却する場所を学校ではなく噴水広場に指定したのは、福永さんたちの存在を意識しての判断だろう。
具体的に広場のどこで待てばいいのか、あるいは待っているのか。人出が多くなる時間帯ということもあり、すんなり落ち合えるか不安だったが、杞憂に終わった。広場のシンボルである大きな噴水、その外縁に沿って設置された木製のベンチに平間さんは腰かけていた。鞄を膝に載せ、その上に両手を置き、周囲を見回している。小走りに駆け寄って合流を果たした。
「ごめんね。待たせちゃった?」
「ううん、今来たところ。……なんて言うと嘘っぽいけど、本当に今来たところだから」
隣に腰を下ろすよう手振りで促したので、それに従う。平間さんは鞄から原稿用紙の束を取り出した。
「この小説の登場人物、モデルはいるの?」
予想していなかった質問だった。小説を殆ど読んだことがない人間が真っ先に作者にぶつける疑問としては、特殊な部類に入る気がした。
「もしかしてだけど、主人公の女の子、増田がモデルだったりする?」
「うん、当たり。よく分かったね。わたしの場合、自分がモデルの人物を主人公にしないと上手く書けないから。それに――」
「それに?」
「現実世界では叶えられない願望を架空の世界で叶えたいっていうのも、小説を書き始めた動機の一つだから」
本音を明かすのは、相手が誰であっても怖いし、恥ずかしい。それでも口にしたのは、口にできたのは、平間さんならば福永さんたちのように嗤ったりしない、と確信していたからだ。
「そうだったんだ。じゃあ、男の子の方は? ヒロインの片想い相手の……」
「晶くんのモデルは特にいないよ。晶くんはわたしが一から――」
「嘘だ」
全く思いがけない、強い口調での否定に、わたしの心と体は瞬時に緊張に包まれた。平間さんはわたしの目を見つめながら、明瞭な発音を意識したような喋り方で、
「晶は、私だ。だって、私の名前は平間晶だから」
「あっ」という声を思わずこぼしてしまった。頬が火照り、熱はあっという間に全身に行き渡る。それにワンテンポ遅れて、顔がひとりでに九十度横を向いた。心臓が激しく拍動している。壊れてしまいそうな気がして、右手を胸に強く押し当てた。それでも高鳴りはやまない。
作中人物である晶のモデルは、平間さん。
そんなはずはない。絶対に有り得ない。なぜならば、わたしが晶という人物を構想したのは、もう半年も前の話。当時、わたしは平間さんの存在は全く知らなかった。
ノートに書いたものを原稿用紙に清書するというのは嘘で、依頼を受けてから、平間晶をモデルにした人物が登場する恋愛小説を書き始め、書き上げた。平間さんはそう解釈したのかもしれないとも考えたが、原稿用紙三十枚を「長い」と言っていた彼女が、わたしがその分量を一夜で書き上げたと考えるだろうか。そもそも、小説の中の晶は男の子だ。
ノートの文章を原稿用紙にそっくりそのまま書き写すのではなく、何箇所か加筆修正したが、あくまで必要最低限。平間晶という人物の要素を作品に取り入れたつもりはないし、無意識に取り入れていたとも思えない。
「どうして、そう思ったの?」
質問相手には目を合わせずに尋ねる。
「上手く言えない。上手く言えないんだけど、とにかくそう思ったんだ。あ、晶は私だって。私と増田が段々仲良くなって、私と増田が――」
明らかに故意だと分かる不自然さで言葉が切られる。
平間さんがなぜ「晶は自分だ」と思ったのか。その理由を探すことが重要なのではない、と不意に悟る。着目すべきは、平間さんが「晶は自分だ」と考えていること、それ自体だ。そして、ヒロインがわたしだと見なしていたことだ。片や片想いし、片や次第に惹かれ、やがてキスを交わすに至る。そんな二人に、自分自身とわたしを見出していたことだ。
作中の晶は平間晶ではないと説明したとしても、きっと無意味だ。
平間さんは恐らく、晶のモデルは自分ではないと本当は分かっている。分かっていながら、晶は私だ、と言ったのだ。
約束の日の朝、そんな短いメールが平間さんから送られてきた。返却する場所を学校ではなく噴水広場に指定したのは、福永さんたちの存在を意識しての判断だろう。
具体的に広場のどこで待てばいいのか、あるいは待っているのか。人出が多くなる時間帯ということもあり、すんなり落ち合えるか不安だったが、杞憂に終わった。広場のシンボルである大きな噴水、その外縁に沿って設置された木製のベンチに平間さんは腰かけていた。鞄を膝に載せ、その上に両手を置き、周囲を見回している。小走りに駆け寄って合流を果たした。
「ごめんね。待たせちゃった?」
「ううん、今来たところ。……なんて言うと嘘っぽいけど、本当に今来たところだから」
隣に腰を下ろすよう手振りで促したので、それに従う。平間さんは鞄から原稿用紙の束を取り出した。
「この小説の登場人物、モデルはいるの?」
予想していなかった質問だった。小説を殆ど読んだことがない人間が真っ先に作者にぶつける疑問としては、特殊な部類に入る気がした。
「もしかしてだけど、主人公の女の子、増田がモデルだったりする?」
「うん、当たり。よく分かったね。わたしの場合、自分がモデルの人物を主人公にしないと上手く書けないから。それに――」
「それに?」
「現実世界では叶えられない願望を架空の世界で叶えたいっていうのも、小説を書き始めた動機の一つだから」
本音を明かすのは、相手が誰であっても怖いし、恥ずかしい。それでも口にしたのは、口にできたのは、平間さんならば福永さんたちのように嗤ったりしない、と確信していたからだ。
「そうだったんだ。じゃあ、男の子の方は? ヒロインの片想い相手の……」
「晶くんのモデルは特にいないよ。晶くんはわたしが一から――」
「嘘だ」
全く思いがけない、強い口調での否定に、わたしの心と体は瞬時に緊張に包まれた。平間さんはわたしの目を見つめながら、明瞭な発音を意識したような喋り方で、
「晶は、私だ。だって、私の名前は平間晶だから」
「あっ」という声を思わずこぼしてしまった。頬が火照り、熱はあっという間に全身に行き渡る。それにワンテンポ遅れて、顔がひとりでに九十度横を向いた。心臓が激しく拍動している。壊れてしまいそうな気がして、右手を胸に強く押し当てた。それでも高鳴りはやまない。
作中人物である晶のモデルは、平間さん。
そんなはずはない。絶対に有り得ない。なぜならば、わたしが晶という人物を構想したのは、もう半年も前の話。当時、わたしは平間さんの存在は全く知らなかった。
ノートに書いたものを原稿用紙に清書するというのは嘘で、依頼を受けてから、平間晶をモデルにした人物が登場する恋愛小説を書き始め、書き上げた。平間さんはそう解釈したのかもしれないとも考えたが、原稿用紙三十枚を「長い」と言っていた彼女が、わたしがその分量を一夜で書き上げたと考えるだろうか。そもそも、小説の中の晶は男の子だ。
ノートの文章を原稿用紙にそっくりそのまま書き写すのではなく、何箇所か加筆修正したが、あくまで必要最低限。平間晶という人物の要素を作品に取り入れたつもりはないし、無意識に取り入れていたとも思えない。
「どうして、そう思ったの?」
質問相手には目を合わせずに尋ねる。
「上手く言えない。上手く言えないんだけど、とにかくそう思ったんだ。あ、晶は私だって。私と増田が段々仲良くなって、私と増田が――」
明らかに故意だと分かる不自然さで言葉が切られる。
平間さんがなぜ「晶は自分だ」と思ったのか。その理由を探すことが重要なのではない、と不意に悟る。着目すべきは、平間さんが「晶は自分だ」と考えていること、それ自体だ。そして、ヒロインがわたしだと見なしていたことだ。片や片想いし、片や次第に惹かれ、やがてキスを交わすに至る。そんな二人に、自分自身とわたしを見出していたことだ。
作中の晶は平間晶ではないと説明したとしても、きっと無意味だ。
平間さんは恐らく、晶のモデルは自分ではないと本当は分かっている。分かっていながら、晶は私だ、と言ったのだ。
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