少女と物語と少女の物語

阿波野治

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小説を渡す

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 教室から一刻も早く離れたいという思いから、早足で待ち合わせ場所へ向かう。移動中、福永さんたちにあとをつけられてはいないかと、絶えず後方に注意を向けたが、杞憂に終わった。
 旧校舎裏にはわたしが先に着いた。平間さんが姿を見せたのは、その約一分後。さっそく鞄から原稿用紙の束を取り出そうとしたが、彼女がわたしの顔を食い入るように見つめていることに気がつき、手を止める。

「増田、なにかあったの?」

 言葉をかけられた瞬間、肩が震えた。

「もしかして、昨日言っていた福永とかいうクラスメイトに、またなにかされた?」

 わたしは頷いた。首が勝手に縦方向に動いた、という表現の方が正確かもしれない。平間さんは黙っている。わたしから話すのを待っているのかもしれなかったが、わたしの唇は重かった。
 しばし続いた沈黙は、平間さんの溜息によって破られた。人を不快にさせたり、不安にさせたりする種類の溜息ではなかった。

「ま、無理に話す必要はないんじゃない。誰だって胸に秘めておきたいことはあるよね。――ところで、小説は?」

 小説。その一言にわたしは我に返った。鞄の中からクリップでまとめた原稿用紙の束を取り出し、手渡す。

「ん……。思ったよりも分厚いな」
「そうかな。たったの三十枚だよ」
「三十枚」

 表情は無表情に近かったが、声には驚きの色が含まれていた。

「原稿用紙三十枚分も文章を書くなんて、凄いな。私だったら絶対に無理だ。読み終えるのだって何日かかるか」
「そういえば、貸出期間を決めていなかったね。一日では短いなら、三日とか」
「いや、一週間にしよう。いい加減な読み方はしたくないし、何回か読み返すと思うし」

 書き手にとっては涙が出るほど嬉しい言葉だ。他人に自作を読まれた経験が数えるほどしかないわたしにとっては、照れくさい言葉でもある。言うべきことを言えなかったことや、下校をともにできなかったのは残念だったが、これで一週間、どうにか生きていける気がした。



「相合い傘をしていた、背の高い一年生」という新しい素材を得たことで、福永さんたちはより盛んにわたしを冷やかすようになった。変化はそれだけではない。わたしとの繋がりが発覚したことで、平間さんもからかいの対象に加えられたのだ。

 平間さんが巻き込まれたことで、福永さんたちの発言に対して、恐怖や悲しみよりも憤りの感情を強く抱くようになった。だけど、それを彼女たちにぶつける勇気は伴わなかった。平間さんのためにも声を上げるべきだと自らに強く言い聞かせ、抗議の言葉が出かかったことが何度かあったが、実際に抗議するに至ったことは一度もなかった。
 行き場のない感情は、憤りであれ、屈辱感であれ、無力感であれ、やがてことごとく悲しみへと変化した。ひとたび悲しみに変わってしまえば、長期間溜め込んでおくことは難しい。やがては涙となって溢れ出し、頬を伝う。

 いつからか、わたしを泣かせることが福永さんたちの目標になった。明確な目標を持ったことで、彼女たちの攻撃の手は苛烈さを増した。彼女たちを増長させるだけだと頭では分かっていても、一日に何度も彼女たちの前で涙を流してしまった。
 それでもわたしが福永さんたちから逃げなかったのは、平間さんとの約束があったからだ。

 彼女はわたしの小説を読んで、どんな感想を持つだろう。少し自信がないあの描写は、気合いを入れて書いたあの場面は、彼女にどんな印象を与えただろう。そう想像するだけで、苦しさや悲しみは紛れ、その時が来るのを待つために必要な気力を得られた。
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