少女と物語と少女の物語

阿波野治

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「増田さん」

 一時間目が終わった直後、この時を待ち侘びていたというように、福永さんたちが私の席にやって来た。
 休み時間になるたびに、彼女が自らのグループの女子を従えて私をからかいに来るのは、あの出来事があって以来の恒例行事だ。親しいわけではないクラスメイトを呼ぶ時の単なる「さん」ではなく、間延びさせて「さぁん」に近い発音で呼ぶのも、にこやかな、それでいて悪意を隠しきれていない笑みを満面に湛えているのも、いつもと変わりない。それでいて、その日の彼女はいつもとは明らかになにかが違っていた。毎日のように彼女と接しているからこそ、その変化を察知できた。
 福永さんがいつもの福永さんではない理由を探り当てるよりも先に、彼女は単刀直入に問うた。

「昨日一緒に下校していた、背の高い一年生、あれは増田さんのなんなの?」

 体内を駆け巡る血潮が凍った。平間さんを巻き込んでしまったという思いに、事実に圧倒され、両手を机の天板に置いた姿勢のまま動けなくなる。
 その反応を見て、福永さんは仲間たちと顔を見合わせ、忍び笑いをした。グループを代表して、福永さんがわたしの顔を覗き込む。憎らしい、おぞましい笑顔。

「相合い傘なんかして、凄く仲良さそうだったよね。あんなにくっついちゃって、友達じゃなくて恋人みたいだった」

 放課後が始まって間もない時間帯の昇降口なのだから、当然、クラスメイトにツーショットを見られる可能性はあった。でも、当時はそこまで気が回らなかった。思いがけない場所で平間さんと出会ったことに浮かれていたせいで。
 福永さんたちは、わたしと「相合い傘をしていた、背の高い一年生」の関係性について、好き勝手な憶測を並べ始めた。

 わたしは腹が立った。彼女たちの不躾さを非難したい欲求を覚えたが、実行に移すのは躊躇った。生半可な抗議では、耳を貸してすらもらえないだろう。強い口調で不快感を表明しても、ムキになっていると見なされ、からかいがエスカレートするだけだ。声を荒らげて怒りを露わにすれば、彼女たちと衝突する事態は免れない。なにをやっても状況は好転しないのではないかという絶望感、それが勇気を挫いたのだ。
 平間さんが嘲笑われているというのに、抗議の声を上げることすらできない、無力な自分――。
 悔しいような、情けないような気持ちで胸がいっぱいになり、瞬く間に両目に涙が溜まる。

「小説の世界で架空の恋人とくっついたり、同性に手を出したり……。増田さん、どんだけ愛情に飢えてるの?」

 嘲りに満ちた笑い声が弾けた。涙が二筋の流れとなって頬を伝った。

「あーあ、泣いちゃった。かわいそう」
「福永さんが虐めるからだよ。酷いことばかり言って」
「えー? そんなにきついこと言った? すぐ泣く増田さんが悪いんだよ」

 笑い声も涙もやまない。チャイムが鳴り、先生が教室に入ってくるまで、福永さんたちはわたしのことを嗤い続けた。



『平間さん、突然ごめんなさい。小説を渡す場所、昇降口から旧校舎裏に変更してほしいんだけど、大丈夫でしょうか。問題があれば返信をください』

 昼休み時間、誰も踏み込んでくるおそれのないトイレの個室内で、そんな内容のメールを彼女に送った。迷惑をかけて申し訳ないという思いはあったが、昨日の二の舞になることを恐れる気持ちが優ったのだ。
 返信はなかった。
 変更しても問題はないから返信を送らなかった、ということなのだろうが、素っ気ない対応に思えて、落胆を禁じ得なかった。
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