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雨の帰り道②
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「雨、やみそうにないね」
「そうだね。やんでくれれば、増田に迷惑をかけずに済むんだけど」
「気にしないで。どうせ同じ方向だし、一昨日のお礼の意味もあるから」
「お礼? もうしてもらったけど」
「でも、困った時はお互い様だから」
距離の近さに起因する緊張感、ともすれば気まずくなりがちな傘の下の静けさに抗うように、平間さんと言葉を交わす。そうしている間も、四本の脚は絶えず動かされ、別れるべき地点に至る道のりを着実に消化する。
「増田、肩が濡れてる。もうちょっと真ん中寄れば」
「でも、そうしたら平間さんが――」
「いいって。増田の傘なんだし、図体がでかいんだからはみ出るのは当たり前だ」
その問題については、わたしの左肩と平間さんの右肩を触れ合わせ、互いのもう片方の肩がほんの少し濡れる状態で歩く、という妥協案を採用したことで解決した。それを境に、傘の下は沈黙に包まれた。
どうやら、目下の悩みについて話すしかない状況になったらしい。
でも、やっぱり、話すのには抵抗がある。
逡巡したが、平間さんは誠意をもってわたしの話を聞いてくれるはずだ、という思いがわたしの背中を押した。
「平間さん」
立ち止まるとともに沈黙を破った。二つの理由から、声は微かに震えを帯びた。平間さんが足を止め、こちらを向くまでの間を利用して、唾と緊張と躊躇いを飲み下す。
「あのね、わたし――」
小説を書いているんだけど。
その言葉は喉につかえた。考えてみれば、趣味で小説を書いている事実を自ら明かすのは、これが人生で初めてだ。頬が火照り、沈黙が長引くにつれて体温が上昇していく。
秘めていた事実を自ら打ち明けるのは恥ずかしいし、怖い。恥ずかしいし怖いけれど――。
「あのね、わたし、趣味で小説を書いているんだけど」
なぜ唐突にその事実を打ち明けたのか不可解だ、という顔つきを平間さんはした。ただちに説明した。休み時間も利用しながら恋愛小説を書き進めていたこと。それをクラスメイトに見られ、小説の内容を、そして小説を書いていたこと自体を嘲笑われたこと。その影響で、次第に思うように小説が書けなくなり、とうとう一文字も書けなくなったこと。
「小説、か」
平間さんは感心したように呟いた。
「頭がいい子なのかな、とはなんとなく思っていたけど、そんなものまで書いているなんて。……凄いな」
「成績は真ん中くらいだから、頭がいいわけじゃないよ。小説だって、誰からも褒めてもらったことがないし」
「いや、凄いと思う。小説って要するに、頭に中にあるイメージを、自分が伝えたいことを、文字に変換するわけでしょ。言葉をたくさん知っていて、どの表現がぴったりなのかが分かっていないと書けない。それができている増田は凄いと思うよ」
小説を書いているというだけで、そこまで高い評価を受けるとは思わなかった。嬉しさと照れくささに、はにかみ笑いを浮かべることしかできない。平間さんが手振りで促して歩き出したので、足並みを揃える。
「その福永ってやつは多分、趣味を持っている増田が羨ましくて、嫉妬しているんだと思う」
「嫉妬……?」
「高校生にもなって人をからかうなんて幼稚なことをするのは、打ち込めることがなにもない暇人だからでしょ。ま、無趣味な暇人なのは私も同じだけど」
でも、平間さんは人を傷つけたりしない。
そのことを口にするよりも一瞬早く、平間さんは言った。
「増田。もしよければ、増田が書いた小説、私に読ませてくれないかな?」
全く予期していなかった申し出だった。内容も、そしてタイミングも。
「小説は殆ど読んだことがないから、的外れな感想を言うかもしれない。でも、福永たちみたいに馬鹿にしたりしない。絶対にしない。それだけは約束するよ」
わたしは足元に視線を落とす。いかにも申し出を受け入れるか否かを思案しているように装ったが、その実、結論は出ていた。
「あ、あそこが私の家」
平間さんは前方左手を指差す。グレーの屋根にクリーム色の外壁という、ごく普通の一軒家だ。
「送ってくれてありがとう。凄く助かった」
「こちらこそありがとう。長々と話したのに、最後までちゃんと聞いてくれて」
「感謝されるまでもないよ、その程度のこと。そんなことより、小説の件は?」
「ちょっと恥ずかしいけど……。せっかくの機会だから、読んでもらおうかな」
「それはよかった。で、どんな作品を読ませてくれるの? 小説を読み慣れていないから、長かったり難しかったりするのは無理かもしれない」
「わたしの実力ではまだ書けないよ、長いのも難しいのも。短めの恋愛小説があるから、それにするね」
念頭にあったのは、福永さんたちに読まれた小説だ。あれ以来、あの作品は中絶しているが、途切れたのは、ヒロインとその片想い相手がキスを交わしたという、キリがいいところ。原稿用紙に清書すれば、一つの物語として成立するはずだ。手直しをするだけならば、小説を書けなくなったわたしにでもできる。
完成した作品ならば他にもある中で、未完成のそれを読んでもらうことにしたのは、福永さんたちに否定的な評価を下された作品だったからかもしれない。「福永たちみたいに馬鹿にしない」と断言した彼女に読んでもらうことで、自信を回復したかったのかもしれない。「馬鹿にしない」と「称賛する」は必ずしもイコールで結ばれるものではないと、勿論分かってはいたけれど。
「それって、紙の原稿なの?」
「うん。ノートに書いてあるものを原稿用紙に清書するつもり。今日中に仕上げられると思う」
「じゃあ、明日の放課後に渡してもらおうかな。今日みたいに昇降口で」
話はまとまり、わたしたちは別れた。
自分が書きたいことを、文字に書き起こしたもの。平間さんは小説をそう定義した。それを他人に見せる、ということの意味について、取り留めもなく考えながら雨の中を歩いた。
「そうだね。やんでくれれば、増田に迷惑をかけずに済むんだけど」
「気にしないで。どうせ同じ方向だし、一昨日のお礼の意味もあるから」
「お礼? もうしてもらったけど」
「でも、困った時はお互い様だから」
距離の近さに起因する緊張感、ともすれば気まずくなりがちな傘の下の静けさに抗うように、平間さんと言葉を交わす。そうしている間も、四本の脚は絶えず動かされ、別れるべき地点に至る道のりを着実に消化する。
「増田、肩が濡れてる。もうちょっと真ん中寄れば」
「でも、そうしたら平間さんが――」
「いいって。増田の傘なんだし、図体がでかいんだからはみ出るのは当たり前だ」
その問題については、わたしの左肩と平間さんの右肩を触れ合わせ、互いのもう片方の肩がほんの少し濡れる状態で歩く、という妥協案を採用したことで解決した。それを境に、傘の下は沈黙に包まれた。
どうやら、目下の悩みについて話すしかない状況になったらしい。
でも、やっぱり、話すのには抵抗がある。
逡巡したが、平間さんは誠意をもってわたしの話を聞いてくれるはずだ、という思いがわたしの背中を押した。
「平間さん」
立ち止まるとともに沈黙を破った。二つの理由から、声は微かに震えを帯びた。平間さんが足を止め、こちらを向くまでの間を利用して、唾と緊張と躊躇いを飲み下す。
「あのね、わたし――」
小説を書いているんだけど。
その言葉は喉につかえた。考えてみれば、趣味で小説を書いている事実を自ら明かすのは、これが人生で初めてだ。頬が火照り、沈黙が長引くにつれて体温が上昇していく。
秘めていた事実を自ら打ち明けるのは恥ずかしいし、怖い。恥ずかしいし怖いけれど――。
「あのね、わたし、趣味で小説を書いているんだけど」
なぜ唐突にその事実を打ち明けたのか不可解だ、という顔つきを平間さんはした。ただちに説明した。休み時間も利用しながら恋愛小説を書き進めていたこと。それをクラスメイトに見られ、小説の内容を、そして小説を書いていたこと自体を嘲笑われたこと。その影響で、次第に思うように小説が書けなくなり、とうとう一文字も書けなくなったこと。
「小説、か」
平間さんは感心したように呟いた。
「頭がいい子なのかな、とはなんとなく思っていたけど、そんなものまで書いているなんて。……凄いな」
「成績は真ん中くらいだから、頭がいいわけじゃないよ。小説だって、誰からも褒めてもらったことがないし」
「いや、凄いと思う。小説って要するに、頭に中にあるイメージを、自分が伝えたいことを、文字に変換するわけでしょ。言葉をたくさん知っていて、どの表現がぴったりなのかが分かっていないと書けない。それができている増田は凄いと思うよ」
小説を書いているというだけで、そこまで高い評価を受けるとは思わなかった。嬉しさと照れくささに、はにかみ笑いを浮かべることしかできない。平間さんが手振りで促して歩き出したので、足並みを揃える。
「その福永ってやつは多分、趣味を持っている増田が羨ましくて、嫉妬しているんだと思う」
「嫉妬……?」
「高校生にもなって人をからかうなんて幼稚なことをするのは、打ち込めることがなにもない暇人だからでしょ。ま、無趣味な暇人なのは私も同じだけど」
でも、平間さんは人を傷つけたりしない。
そのことを口にするよりも一瞬早く、平間さんは言った。
「増田。もしよければ、増田が書いた小説、私に読ませてくれないかな?」
全く予期していなかった申し出だった。内容も、そしてタイミングも。
「小説は殆ど読んだことがないから、的外れな感想を言うかもしれない。でも、福永たちみたいに馬鹿にしたりしない。絶対にしない。それだけは約束するよ」
わたしは足元に視線を落とす。いかにも申し出を受け入れるか否かを思案しているように装ったが、その実、結論は出ていた。
「あ、あそこが私の家」
平間さんは前方左手を指差す。グレーの屋根にクリーム色の外壁という、ごく普通の一軒家だ。
「送ってくれてありがとう。凄く助かった」
「こちらこそありがとう。長々と話したのに、最後までちゃんと聞いてくれて」
「感謝されるまでもないよ、その程度のこと。そんなことより、小説の件は?」
「ちょっと恥ずかしいけど……。せっかくの機会だから、読んでもらおうかな」
「それはよかった。で、どんな作品を読ませてくれるの? 小説を読み慣れていないから、長かったり難しかったりするのは無理かもしれない」
「わたしの実力ではまだ書けないよ、長いのも難しいのも。短めの恋愛小説があるから、それにするね」
念頭にあったのは、福永さんたちに読まれた小説だ。あれ以来、あの作品は中絶しているが、途切れたのは、ヒロインとその片想い相手がキスを交わしたという、キリがいいところ。原稿用紙に清書すれば、一つの物語として成立するはずだ。手直しをするだけならば、小説を書けなくなったわたしにでもできる。
完成した作品ならば他にもある中で、未完成のそれを読んでもらうことにしたのは、福永さんたちに否定的な評価を下された作品だったからかもしれない。「福永たちみたいに馬鹿にしない」と断言した彼女に読んでもらうことで、自信を回復したかったのかもしれない。「馬鹿にしない」と「称賛する」は必ずしもイコールで結ばれるものではないと、勿論分かってはいたけれど。
「それって、紙の原稿なの?」
「うん。ノートに書いてあるものを原稿用紙に清書するつもり。今日中に仕上げられると思う」
「じゃあ、明日の放課後に渡してもらおうかな。今日みたいに昇降口で」
話はまとまり、わたしたちは別れた。
自分が書きたいことを、文字に書き起こしたもの。平間さんは小説をそう定義した。それを他人に見せる、ということの意味について、取り留めもなく考えながら雨の中を歩いた。
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