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否定してみた
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エレベーターが四階に到着し、ドアが開いた瞬間、ピンク色の塊が目の前を駆け抜けた。反射的に目で追いかけた。
塊の正体は女の子だった。四・五歳だろうか。瞳がぱっちりしていて、白いフリルがあちこちについたピンク色の服を着ている。その年齢の子供特有の甲高い声でわーきゃーと喚きながら廊下を走り回っている。きっと家族か親戚の誰かが入院し、滅多に訪れる機会がない病院という場所を訪れたため、テンションが上がっているのだろう。
彼女のはしゃぎっぷりを目の当たりにしたこの病院に入院する老人は、眉をひそめるだろうか、それとも若さを羨むだろうか。
そんなことを考えながらじいちゃんの病室に入ると、じいちゃんは珍しく目を覚ましていた。両目が開いていたので一目でそうだと分かった。ベッドまで歩を進め、笑顔で片手を上げる。
「やあ、じいちゃん。お見舞いに来たよ。調子はどう?」
「おうあ、うおおあ、おお」
「えっ? なんて?」
「いああ、おうおお、えうお」
なにを言っているのかさっぱり分からない。というか、分かった試しがない。昏睡状態から脱して以来、じいちゃんが喋る時はずっとこんな調子だ。
「えおい、おうあ、お」
じいちゃんは目を覚ましている時、自分の近くに誰かがいると認識すると、それが誰であろうとその人に話しかける。なにか訴えたいことがあるから話しかけるのだろうが、なにを言っているのかは全く分からない。故になにを訴えたいのかも分からない。
とはいえ、僕はじいちゃんの孫で、見舞いが目的で病院まで来たのだ。会話を成立させるべく最大限努力をする義務がある。
「じいちゃん、なに? どしたの?」
「うおお、おう、えうおあ」
「えっ? エウロパ? なに?」
「いお、おえう、ああおお、えお」
「はい? なんて?」
「おいおお、おう」
「なにか欲しいの? 違う? えっ? えっ?」
「あーっ! きちがいだ!」
出し抜けの甲高い声。振り向くと、病室と廊下の境界に四・五歳くらいの女の子が立っていた。さっき廊下を走り回っていた子だ。瞳を爛々と輝かせ、ベッドに仰臥するじいちゃんを凝視している。
女の子はぱたぱたと走って僕の隣まで来た。そしてじいちゃんを指差し、
「きちがいだ、きちがいだ」
とはしゃいだように言った。じいちゃんの目は見開かれたままだが、沈黙してしまった。喋り疲れたのか、闖入者の存在に面食っているのか、それは定かではない。
「このおじいちゃん、うーうー言ってた。イミフメイなこと言ってた」
女の子は顔を上げ、なにか言ってほしそうな顔で僕を見た。思わず写真に撮りたくなるような、無邪気でキュートなにこにこ顔だ。
「きちがいだ。このおじいちゃん、きちがいだ」
言葉を切ってじいちゃんに顔を戻し、
「きちがい」
小声で呟き、再び僕の顔を見つめる。
「ねえ、このおじいちゃん、おじちゃんの家族なの?」
「うん、そうだよ。この人ね、僕のおじいちゃん。僕のお母さんのお父さん」
「おじちゃんは普通の人なのに、おじちゃんのおじいちゃんはなんできちがいの?」
「きちがいじゃないよ。おじいちゃんも僕と同じ、普通の人だよ」
「ウソだあ。だってこのおじいちゃん、さっきまでうーうー言ってた。ミサキ、ちゃんと聞いてたもん」
「おじいちゃんはね、病気で倒れて、それで寝たきりになったの。僕も詳しくは知らないけど、脳味噌が病気になったんだって。脳味噌が病気になったからそういう風にしか喋れないだけで、きちがいだからうーうー言っているわけじゃないよ」
「ノウミソの病気? このおじいちゃん、きちがいじゃないの?」
「うん、きちがいじゃないよ。僕のおじいちゃんはきちがいなんかじゃない」
きっぱりと断言した後で、きちがいの定義が自分の中で曖昧なことに気がつく。
きちがいの認定基準って、一体なんなんだろう? 脳味噌の異常? 神経の異常? それとも――。
塊の正体は女の子だった。四・五歳だろうか。瞳がぱっちりしていて、白いフリルがあちこちについたピンク色の服を着ている。その年齢の子供特有の甲高い声でわーきゃーと喚きながら廊下を走り回っている。きっと家族か親戚の誰かが入院し、滅多に訪れる機会がない病院という場所を訪れたため、テンションが上がっているのだろう。
彼女のはしゃぎっぷりを目の当たりにしたこの病院に入院する老人は、眉をひそめるだろうか、それとも若さを羨むだろうか。
そんなことを考えながらじいちゃんの病室に入ると、じいちゃんは珍しく目を覚ましていた。両目が開いていたので一目でそうだと分かった。ベッドまで歩を進め、笑顔で片手を上げる。
「やあ、じいちゃん。お見舞いに来たよ。調子はどう?」
「おうあ、うおおあ、おお」
「えっ? なんて?」
「いああ、おうおお、えうお」
なにを言っているのかさっぱり分からない。というか、分かった試しがない。昏睡状態から脱して以来、じいちゃんが喋る時はずっとこんな調子だ。
「えおい、おうあ、お」
じいちゃんは目を覚ましている時、自分の近くに誰かがいると認識すると、それが誰であろうとその人に話しかける。なにか訴えたいことがあるから話しかけるのだろうが、なにを言っているのかは全く分からない。故になにを訴えたいのかも分からない。
とはいえ、僕はじいちゃんの孫で、見舞いが目的で病院まで来たのだ。会話を成立させるべく最大限努力をする義務がある。
「じいちゃん、なに? どしたの?」
「うおお、おう、えうおあ」
「えっ? エウロパ? なに?」
「いお、おえう、ああおお、えお」
「はい? なんて?」
「おいおお、おう」
「なにか欲しいの? 違う? えっ? えっ?」
「あーっ! きちがいだ!」
出し抜けの甲高い声。振り向くと、病室と廊下の境界に四・五歳くらいの女の子が立っていた。さっき廊下を走り回っていた子だ。瞳を爛々と輝かせ、ベッドに仰臥するじいちゃんを凝視している。
女の子はぱたぱたと走って僕の隣まで来た。そしてじいちゃんを指差し、
「きちがいだ、きちがいだ」
とはしゃいだように言った。じいちゃんの目は見開かれたままだが、沈黙してしまった。喋り疲れたのか、闖入者の存在に面食っているのか、それは定かではない。
「このおじいちゃん、うーうー言ってた。イミフメイなこと言ってた」
女の子は顔を上げ、なにか言ってほしそうな顔で僕を見た。思わず写真に撮りたくなるような、無邪気でキュートなにこにこ顔だ。
「きちがいだ。このおじいちゃん、きちがいだ」
言葉を切ってじいちゃんに顔を戻し、
「きちがい」
小声で呟き、再び僕の顔を見つめる。
「ねえ、このおじいちゃん、おじちゃんの家族なの?」
「うん、そうだよ。この人ね、僕のおじいちゃん。僕のお母さんのお父さん」
「おじちゃんは普通の人なのに、おじちゃんのおじいちゃんはなんできちがいの?」
「きちがいじゃないよ。おじいちゃんも僕と同じ、普通の人だよ」
「ウソだあ。だってこのおじいちゃん、さっきまでうーうー言ってた。ミサキ、ちゃんと聞いてたもん」
「おじいちゃんはね、病気で倒れて、それで寝たきりになったの。僕も詳しくは知らないけど、脳味噌が病気になったんだって。脳味噌が病気になったからそういう風にしか喋れないだけで、きちがいだからうーうー言っているわけじゃないよ」
「ノウミソの病気? このおじいちゃん、きちがいじゃないの?」
「うん、きちがいじゃないよ。僕のおじいちゃんはきちがいなんかじゃない」
きっぱりと断言した後で、きちがいの定義が自分の中で曖昧なことに気がつく。
きちがいの認定基準って、一体なんなんだろう? 脳味噌の異常? 神経の異常? それとも――。
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