働きたくないから心療内科へ行ったら、色々分からなくなった

阿波野治

文字の大きさ
8 / 14

否定してみた

しおりを挟む
 エレベーターが四階に到着し、ドアが開いた瞬間、ピンク色の塊が目の前を駆け抜けた。反射的に目で追いかけた。
 塊の正体は女の子だった。四・五歳だろうか。瞳がぱっちりしていて、白いフリルがあちこちについたピンク色の服を着ている。その年齢の子供特有の甲高い声でわーきゃーと喚きながら廊下を走り回っている。きっと家族か親戚の誰かが入院し、滅多に訪れる機会がない病院という場所を訪れたため、テンションが上がっているのだろう。

 彼女のはしゃぎっぷりを目の当たりにしたこの病院に入院する老人は、眉をひそめるだろうか、それとも若さを羨むだろうか。
 そんなことを考えながらじいちゃんの病室に入ると、じいちゃんは珍しく目を覚ましていた。両目が開いていたので一目でそうだと分かった。ベッドまで歩を進め、笑顔で片手を上げる。

「やあ、じいちゃん。お見舞いに来たよ。調子はどう?」
「おうあ、うおおあ、おお」
「えっ? なんて?」
「いああ、おうおお、えうお」

 なにを言っているのかさっぱり分からない。というか、分かった試しがない。昏睡状態から脱して以来、じいちゃんが喋る時はずっとこんな調子だ。

「えおい、おうあ、お」

 じいちゃんは目を覚ましている時、自分の近くに誰かがいると認識すると、それが誰であろうとその人に話しかける。なにか訴えたいことがあるから話しかけるのだろうが、なにを言っているのかは全く分からない。故になにを訴えたいのかも分からない。
 とはいえ、僕はじいちゃんの孫で、見舞いが目的で病院まで来たのだ。会話を成立させるべく最大限努力をする義務がある。

「じいちゃん、なに? どしたの?」
「うおお、おう、えうおあ」
「えっ? エウロパ? なに?」
「いお、おえう、ああおお、えお」
「はい? なんて?」
「おいおお、おう」
「なにか欲しいの? 違う? えっ? えっ?」
「あーっ! きちがいだ!」

 出し抜けの甲高い声。振り向くと、病室と廊下の境界に四・五歳くらいの女の子が立っていた。さっき廊下を走り回っていた子だ。瞳を爛々と輝かせ、ベッドに仰臥するじいちゃんを凝視している。
 女の子はぱたぱたと走って僕の隣まで来た。そしてじいちゃんを指差し、

「きちがいだ、きちがいだ」

 とはしゃいだように言った。じいちゃんの目は見開かれたままだが、沈黙してしまった。喋り疲れたのか、闖入者の存在に面食っているのか、それは定かではない。

「このおじいちゃん、うーうー言ってた。イミフメイなこと言ってた」

 女の子は顔を上げ、なにか言ってほしそうな顔で僕を見た。思わず写真に撮りたくなるような、無邪気でキュートなにこにこ顔だ。

「きちがいだ。このおじいちゃん、きちがいだ」

 言葉を切ってじいちゃんに顔を戻し、

「きちがい」

 小声で呟き、再び僕の顔を見つめる。

「ねえ、このおじいちゃん、おじちゃんの家族なの?」
「うん、そうだよ。この人ね、僕のおじいちゃん。僕のお母さんのお父さん」
「おじちゃんは普通の人なのに、おじちゃんのおじいちゃんはなんできちがいの?」
「きちがいじゃないよ。おじいちゃんも僕と同じ、普通の人だよ」
「ウソだあ。だってこのおじいちゃん、さっきまでうーうー言ってた。ミサキ、ちゃんと聞いてたもん」
「おじいちゃんはね、病気で倒れて、それで寝たきりになったの。僕も詳しくは知らないけど、脳味噌が病気になったんだって。脳味噌が病気になったからそういう風にしか喋れないだけで、きちがいだからうーうー言っているわけじゃないよ」
「ノウミソの病気? このおじいちゃん、きちがいじゃないの?」
「うん、きちがいじゃないよ。僕のおじいちゃんはきちがいなんかじゃない」

 きっぱりと断言した後で、きちがいの定義が自分の中で曖昧なことに気がつく。
 きちがいの認定基準って、一体なんなんだろう? 脳味噌の異常? 神経の異常? それとも――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

あべこべな世界

廣瀬純七
ファンタジー
男女の立場が入れ替わったあべこべな世界で想像を越える不思議な日常を体験した健太の話

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

処理中です...