わたしと姫人形

阿波野治

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初日 その5

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 一口大にカットしたキャベツとベーコン、石づきを切り落としてほぐしたしめじを炒めながら、真新しい記憶にアクセスする。
 今日は姫が家族の一員になった特別な日だから、お祝いとして夕食にごちそうを出す。
 その発想は、先ほどの会話中に初めて浮かんだ。姫人形を我が家に迎えるにあたって、わたしなりに準備を整えてきたつもりだが、一度も頭を過ぎらなかった。おめでたいことがあったから、食事は豪華なものにする。特殊な考えかたでは決してないのに。

 母親代わりとして、お前は失格だ。
 見知らぬ、しかし聡明であることは間違いない何者かから、指紋が視認できるほどの近さに人差し指を突きつけられてそう告げられたようで、少し気が滅入った。

 家族が増えたことに対する気分の高揚は、今のところそう大きくはない。嬉しい気持ちはたしかに感じているが、言動にはっきりとした影響を及ぼさない程度に過ぎない。
 人形やぬいぐるみをプレゼントされて大喜びした少女時代は、もはや遠い過去のことらしい。
 実感と喜びは、時間が経てば経つほど、咀嚼すれば咀嚼するほど滲み出てくるものなのだ。そう信じたい。

 束の間ぼんやりしてしまったせいで、具材に少し火を通しすぎてしまった。


* * *


 木製テーブルの中央には、ペペロンチーノとシーザーサラダ、二つの大きな器が並んだ。
 姫は不器用な手つきながらも、ペペロンチーノをフォークで巻いて口へ運ぶ。子どもらしく口元を汚しながら、黙々と食べる姿がほほ笑ましい。シーザーサラダも、ペペロンチーノに使われた野菜もちゃんと食べた。好き嫌いは、今日の料理に使った食材の中にはないようだ。
 食べながら、灰島家までの道中について尋ねてみた。好奇心があるからでもあったし、他に適当な話題が思い浮かばないからでもある。 

 姫によると、運転手の女性は今日初めて顔を見た人間で、会話は一言も交わさなかったそうだ。車内での記憶はおぼろげで、トラックがどこから出発したのかも、移動中に自分がどんな気持ちだったのかさえも、覚えていないという。
 購入者との新生活に支障を来さないために、記憶を部分的に喪失させるような処置を施されたのかもしれない、とわたしは推察する。もし本当なのだとすれば、残酷なことだとも思うし、仕方がないことだとも思う。

 姫が道中で唯一記憶しているのは、窓越しに川が流れているのを見たこと。
 目撃したのはどの川だったのだろう? 聴き取り調査でもしてみようか。卵色のパスタをフォークに巻きながら考える。
 この町にはたくさんの川が流れている。わたしが知っている中に、姫が見た川があるとは限らない。そもそも、問題の川はこの町を流れていなかった可能性もある。

 やめておこう。
 心の中でつぶやき、丸めたパスタを口の中へと押しこむ。
 先ほど探検して得た、この家の印象についての話などを聞きながら、料理を口に運ぶ。胃袋が満たされるにしたがって、心が和み、ポジティブになっていく。

 姫のこと。そして、ミクリヤ先生のこと。
 わたしにとって大きな出来事が重なったせいで、自分が思っている以上に心も体も疲れていたのだと、ようやく気がついた。
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