わたしと姫人形

阿波野治

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四日目 その10

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 瞬間、わたしは大胆になった。なにも怖くない気がした。欲望に忠実になりたいと思った。
 ためらいはほとんどなかった。重しを体にのせたまま首を持ち上げなければならないという、若干の肉体的制約があっただけで。

 わたしはまぶたを閉ざし、姫の艶やかな薄桃色の唇に、自らの唇を軽く押し当てた。
 姫の全身が強張りに包まれたのが伝わってくる。しかし、それは驚きと困惑に起因する反射的な変化に過ぎなかったらしく、すぐに緩やかにほどけていく。二つの唇は軽く触れ合っているに過ぎないが、多少息苦しさを感じているらしく、鼻息はいっときよりも荒くなった。心苦しさと、嗜虐的な快感が交錯する。
 前者が勝ったのは、たぶん、姫の親である自覚が心に根づいていたからなのだろう。

 唇をそっと遠ざける。まぶたを開くと、驚きに包まれた姫の顔が真正面にあった。
 右手を後頭部に回して引き寄せる。姫は八割以上自らの意思で顔を密着させてきた。顔と肩が形作るL字に顎をのせる形だ。髪の毛を右手で撫でながら、姫のスカートの裾へと左手を伸ばす。丈は膝までしかないから、本人が警戒心を放棄している現状、いとも容易く侵入を果たせそうだ。

 いいの、ナツキ? そんなことをしたら、彼と同じになってしまう。
 いいのよ、ナツキ。彼は男で、わたしは女。それに、わたしたちは家族なのだから。

 指先に、スカートの生地とは似て非なる感触を覚えた。
 次の瞬間、どこか間の抜けた音が玄関から聞こえた。インターフォンが鳴らされたのだ。

「お客さんだね。……誰だろう」
 姫を抱きしめる腕を右腕一本に減らし、左手で座面を押して上体を起こす。先に姫を床に下ろしてやり、自らも立ち上がる。インターフォンが再び鳴ったので、玄関へ走る。
 急かすように鳴らされた三度目のチャイムが、ドアスコープ越しの確認作業を忘れさせた。四度目が鳴らされる予感に焦燥感を覚えながら、鍵を開けてドアを開くと、

「やっほー」
 にこやかな笑みを浮かべて立っていたのは、沢倉マツバさん。マツバさんらしい、少女らしい華やかさにあふれた普段着に身を包んでいる。右手に提げた袋の口から、甘い香りがほのかに漏れ出している。

「ほんとうに来ちゃいました。ケーキを買ってきたから、姫ちゃんと三人でいっしょに食べましょう」
「びっくりした。昨日約束したばかりなのに」
「迷惑、でしたか」
 眉尻を下げ、小動物を思わせる潤んだ瞳で見つめてくる。わたしは慌てて頭を振り、
「迷惑じゃないよ。全然迷惑なんかじゃない。今日来るなんて考えもしなかったから、驚いただけで」
「ほんとですか? それならよかったです!」
 マツバさんは早くも笑顔を取り戻している。声にも陰りは一切なかった。切り替えの早さは彼女の美点の一つだし、笑っている顔のほうがずっと似合っている。
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