こちらの世界で、がんばる。

阿波野治

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「そっちしかないだろ。俺とマジのマジで結婚したいからそう言った、ということでいいんだな?」
「うん、そうだよ」
「お前さ、本当に分かってる? 結婚届を出して、式を挙げて、同じ屋根の下で一緒に暮らして、結婚相手以外の異性とセックスするのは駄目、っていう意味だぜ。一口に結婚って言っても、最近はいろいろな形があるみたいだけど、基本的にはだいたいそんな感じだよ。マジで分かってんのか?」
「うん、分かってる。さすがのわたしでも、それくらい分かるよ」
「……なんで急に」
「だって、わたしたち、そうしてもおかしくないくらいラブラブでしょ。だから、そういうのもいいかなーって、ふと思ったから。あっ、もしかして、龍くんは都合が悪い? 頭が悪い女との結婚は両親が認めない、とか」
「いや、大丈夫だと思う。うちの親は割と適当だから。ある程度の年齢になる前にそれなりの相手と結婚したら、それでまあいいんじゃないか、みたいな」
「わたし、それなりの相手なんだ?」
「まあ、そうなんじゃないか」
「そうだったんだ! よっしゃ、最低条件クリア!」

 オーバーリアクション以外のなにものでもない、派手なガッツポーズ。握っているものの存在を失念していたらしく、傘が手からこぼれて地面に落ちた。明るい茶色に染めたセミロングヘアに、張りのある白い肌に、藍色のワンピースに、六月の雨が容赦なく打ちつける。

 慌てふためく俺とは対照的に、あいつはへらへらと弛緩した笑みを浮かべて、回収作業をただ見守るばかり。ほらよ、と手渡すと、ありがとう、とにこやかに礼を言って、再び差す。髪や服や肌がびしょ濡れになってしまったことなど気にも留めずに、不器用に傘を回しながら下手くそな鼻歌を歌う。

 俺はどちらかと言うと、演出に工夫を凝らしたプロポーズは嫌いなタイプだ。仮にあいつの方からプロポーズをするとすれば、さらっと切り出す確率の方が高いだろうな、という想像もしていた。
 そうはいっても、いざ日常会話の中でさり気なく告げられると、告げられた側としては困惑を禁じ得ない。さらっと言うこと自体はまあいいとしても、よりによって、雨が降りしきる中、昼でも夕方でもない中途半端な時間帯に、寂れた住宅地を歩きながら、とんこつラーメンの話をしている最中にかよ、という思いもあった。

「で、龍くんは結婚するの? しないの? どっち?」
「じゃあ……する」
「あっ、よった。じゃあ、今度の日曜はなに食べに行く? ラーメンもいいけど、お寿司もいいな。もちろん、回転するやつね。回るお寿司と回らないお寿司だったら、回らない方がいいって言われているけど、ぶっちゃけ回る方がおいしくない? だって、回る方はいろいろな種類の――」
「おい、結婚の話はどうなった」
「ん? することになったんでしょ? 違った?」
「いや、そうだけど。両親に挨拶とか、届け出を出すとか、いろいろあるだろうが。呑気に飯の話をする気分にはなれねぇよ」
「んー、面倒だから後回しでいいんじゃない?」
「いや、それは駄目だろ」
「なんで?」
「なんでって、それは――」
「面倒くさいと思いながらやっても、非効率的だよ。面倒くさくないと思うときがいずれやって来るだろうから、そのときにやればきっとスムーズにいく。だから今は無理にする必要はない。そうでしょ?」
「……全く、お前は」

 表向きは呆れてみせたが、不愉快な気分ではなかった。当たり前だ。俺はあいつの、そういうところに惹かれたのだ。雰囲気もクソもないプロポーズをする、そういうあいつだからこそ好きなのだ。

 交際を始めてからも、俺はちょくちょく他の女と遊んでいた。あいつはあいつで、過去に付き合ったり、デートなりセックスなりをしたりした男とのエピソードを持ち出して、俺の嫉妬の炎をかき立てるような真似をした。しかし、結婚への合意が交わされた雨の日を境に、誤解を招きかねない行為は一切しなくなった。そう心がけようと話し合って取り決めたからではなく、お互いに自主的に。

 俺たちはきっといい夫婦になれる。
 ――あの日はそう確信していたのだが。
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