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二日連続で時間を巻き戻されたとなると、どんな馬鹿でも、目覚めるとただちに本日の日付を確認する。
ヘッドボードのスマホを確認すると、四月二十九日六時五十二分。さすがの妻も、俺の心の中を読むのは不可能だったらしい。あちらに世界に行くのと比べると圧倒的に簡単にも思えるが、あいつは多分、己の意志であちらへ行ったわけではない。
「おっ」
一階に下りると、ダイニングテーブルの上に、ウルトラマンのイラストがプリントされた包みが置かれていた。うっすらと漂ってくる食べ物の匂いの発生源は、十中八九などという慣用句を用いるまでもなく、ウルトラマンの包み。傍らには黒一色の水筒もある。持ってみると、液体が満杯入っている重みが感じられた。同じ日を三回連続で味わう遠回りを経て、米津国際美術館へ行く許可が漸く下りたというわけだ。
振り回されたことに対する憤りはあったが、振り回される事態に終止符が打たれたことに対する安堵の念がそれを上回った。
しかし、美術館行きの準備が整うに従って、というよりも出発の時刻が近づくにつれて、ゼロだったいらいらがぶり返し、じわじわと勢力を増し始めた。
俺は美術全般に興味がない。一人で行くよりも、榊さんと二人で回った方が絶対に楽しいひとときを過ごせる。なのに、なにが嬉しくて、一人で美術館なんかに行かなきゃいけないんだ?
話をしてみた限り、榊さんは美術に造詣が深いわけではないらしい。ただ、サンタクロースの袋の中身のように多くの話題を持っている人だから、なにを見ても興味深い話に繋げてくれるのではないか、という期待感がある。
たとえば、一個のレモンを写実的に描いた静物画が展示されていたとしよう。俺はその絵の作者である画家の名前は知らないし、芸術的な価値があるとも思えない。一人だったならば、二秒で観賞を切り上げて先へ進んでもおかしくない場面で、榊さんは、学生時代に読んだ梶井基次郎の『檸檬』について語り始める。もしくは、目の前の絵と似た構図の絵に言及する。あるいは、過去に食べたレモンを使ったスイーツに話が飛ぶかもしれない。いずれにせよ、「ただのレモンの絵じゃん」ではきっと終わらないはずだ。
それなのに。
それなのに、妻の嫉妬のせいで、俺一人で行くことになった。絵なんて興味もないのに。レモンの絵を「ただのレモンの絵じゃん」としか評せない人間だというのに。
なんてアホな真似をしてくれたんだ、あいつは。いいだろうが、ご近所さんと一緒に美術館へ行くくらい。興味のない施設を少しでも楽しく見て回ることの、なにがいけないって言うんだよ。
感情をぶちまけたい欲求はあるが、こちらから電話をかけることはできない。妻はこちらの世界の状況を把握しているはずだが、どんな思惑があるのか、電話をかけてこようとはしない。
だからといって、美術館行きを拒んだり、榊さんに一緒に行く道を模索したりすれば、妻はまたもや時を巻き戻すだろう。俺が次に生きなければならないのは、四度目の四月二十八日か、二度目の四月二十九日か。いずれにせよ、何度も同じ一日を過ごして寿命を無駄遣いするなんて、まっぴらごめんだ。
妻の意に反する行為を実施すれば、超常的な力によって是正される。異議を唱えようにも、電話は妻が望むタイミングでしか繋がらない。
……なんだよ、これ。
ヘッドボードのスマホを確認すると、四月二十九日六時五十二分。さすがの妻も、俺の心の中を読むのは不可能だったらしい。あちらに世界に行くのと比べると圧倒的に簡単にも思えるが、あいつは多分、己の意志であちらへ行ったわけではない。
「おっ」
一階に下りると、ダイニングテーブルの上に、ウルトラマンのイラストがプリントされた包みが置かれていた。うっすらと漂ってくる食べ物の匂いの発生源は、十中八九などという慣用句を用いるまでもなく、ウルトラマンの包み。傍らには黒一色の水筒もある。持ってみると、液体が満杯入っている重みが感じられた。同じ日を三回連続で味わう遠回りを経て、米津国際美術館へ行く許可が漸く下りたというわけだ。
振り回されたことに対する憤りはあったが、振り回される事態に終止符が打たれたことに対する安堵の念がそれを上回った。
しかし、美術館行きの準備が整うに従って、というよりも出発の時刻が近づくにつれて、ゼロだったいらいらがぶり返し、じわじわと勢力を増し始めた。
俺は美術全般に興味がない。一人で行くよりも、榊さんと二人で回った方が絶対に楽しいひとときを過ごせる。なのに、なにが嬉しくて、一人で美術館なんかに行かなきゃいけないんだ?
話をしてみた限り、榊さんは美術に造詣が深いわけではないらしい。ただ、サンタクロースの袋の中身のように多くの話題を持っている人だから、なにを見ても興味深い話に繋げてくれるのではないか、という期待感がある。
たとえば、一個のレモンを写実的に描いた静物画が展示されていたとしよう。俺はその絵の作者である画家の名前は知らないし、芸術的な価値があるとも思えない。一人だったならば、二秒で観賞を切り上げて先へ進んでもおかしくない場面で、榊さんは、学生時代に読んだ梶井基次郎の『檸檬』について語り始める。もしくは、目の前の絵と似た構図の絵に言及する。あるいは、過去に食べたレモンを使ったスイーツに話が飛ぶかもしれない。いずれにせよ、「ただのレモンの絵じゃん」ではきっと終わらないはずだ。
それなのに。
それなのに、妻の嫉妬のせいで、俺一人で行くことになった。絵なんて興味もないのに。レモンの絵を「ただのレモンの絵じゃん」としか評せない人間だというのに。
なんてアホな真似をしてくれたんだ、あいつは。いいだろうが、ご近所さんと一緒に美術館へ行くくらい。興味のない施設を少しでも楽しく見て回ることの、なにがいけないって言うんだよ。
感情をぶちまけたい欲求はあるが、こちらから電話をかけることはできない。妻はこちらの世界の状況を把握しているはずだが、どんな思惑があるのか、電話をかけてこようとはしない。
だからといって、美術館行きを拒んだり、榊さんに一緒に行く道を模索したりすれば、妻はまたもや時を巻き戻すだろう。俺が次に生きなければならないのは、四度目の四月二十八日か、二度目の四月二十九日か。いずれにせよ、何度も同じ一日を過ごして寿命を無駄遣いするなんて、まっぴらごめんだ。
妻の意に反する行為を実施すれば、超常的な力によって是正される。異議を唱えようにも、電話は妻が望むタイミングでしか繋がらない。
……なんだよ、これ。
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