こちらの世界で、がんばる。

阿波野治

文字の大きさ
52 / 63

52

しおりを挟む
「幸せに暮らしていると分かってからは、夫の境遇を受け入れて日々を送りました。どういうわけか、周りのみんなは私が未婚だと認識するようになって。それが凄く寂しかったんですけど、夫からは『毎日一回、会話をする機会が持てるんだから、それで構わないじゃないか』という意味の言葉をかけられて。その通りだと思ったので、一応納得してはいるんですけどね。
 毎日一回というのは、毎日夜の十時半ごろに電話がかかってきて、日付が変わるまでの間なら夫と話ができるんです。それが決まりらしくて、それ以外の時間も、それ以上の時間も無理なんです。
 私は夫と話をするのが好きだから、最初は物足りない気持ちが強かったんですけど、今はもう慣れましたね。できれば自由に話したいという思いは、もちろん常に頭の片隅にあるんですけど」

 榊さんと夫は、一日一回、一回あたり約一時間半の通話しか許されていないという。しかし、俺の妻の場合は、かけるタイミングも話をする時間も自由だ。この違い、どう解釈すればいいのだろう。
 そして、気になることがもう一つ。

「あの、榊さん。一つ質問が」
「なんでしょうか」
「榊さんの旦那さん、もしかして、超能力が使えるんじゃないですか。たとえば、通話以外の形で、俺たちがいる世界になんらかの影響を及ぼす類の」
「超能力……」

 榊さんは大きく首を傾げた。考え込むような顔つきをしばし見せていたが、

「いえ、それはないですね。隔たった世界から、携帯電話を介してコミュニケーションがとれるのが超能力、と言えるかもしれませんけど、それ以外は特に」
「そうですか。……すみません。なんとなく、そうじゃないかと思ったので」

 変なことを言ってごめんなさい、先を続けてください、というふうに小さく頭を下げる。榊さんも同じように頭を下げた。

 榊さんの夫は、榊さんのことを心から想っている。加えて、通話時間が限られていることを考えれば、それを補う意味でも、携帯電話越しの通話以外の方法で榊さんに好意を示してもおかしくないはずだ。それなのにそれをしないということは、やらないのではなくてできない、ということなのだろう。

 俺の妻は、食材さえ用意しておけば弁当を作ってくれるし、時間だって戻せる。この差はなんなんだ?
 榊さんの夫の方が、あちらの世界に行ってからの期間が長い。超能力は、努力という手段で会得できるものではなくて、才能の差、ということなのだろう。個人によって、走る速さが違ったり、料理を作るのが上手な人がいれば下手な人もいたり、機種変更をした携帯電話の操作に慣れるまでの時間がまちまちだったりするように。

「夫は、自分が特殊な状況に置かれているにもかかわらず、私のことばかり心配するんです。さっき話した、周りの人が私を未婚だと認識していることについて伝えたときも、自分のことは『こうして夏葉と夫婦らしく会話できているんだから、他の人にどう思われようが構わないよ』と笑い飛ばして。でも私に対しては、『真実をみんなに説明できないのは辛いだろうね』と気づかってくれて」

 榊さんの顔を注視したが、予想に反して、目に光るものはなかった。ただ、感情が静かに昂ぶっているのは確からしく、心持ち早口になっている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

処理中です...