台風と金木犀

阿波野治

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阿澄 三

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 三歳の水無斗はイグアナばかり見ている。緑色の大きなその爬虫類は、止まり木にとまって身じろぎ一つしない。
 六歳の阿澄は、売り場の隅に置かれたハムスターのケージを覗き込んでいる。齧歯類が特に好きなわけではなかったが、夜行性にもかかわらず活発に動くので、暇つぶしに眺めるには好都合だった。
 爬虫類と哺乳類の両コーナーは、直線距離にして七・八メートル隔たっている。阿澄は最初こそ、母の言いつけを守って弟を気にかけていたが、ハムスターのケージを見つけたのを機に、自らに課せられた義務をすっかり忘れていた。

 不意に、饐えたような臭いが鼻先を掠めた。振り向くと、ねずみ色の襤褸をまとった老爺が阿澄の隣に佇んでいる。
 神だ、と思った。
 老爺は五歳の阿澄の尻をつるりと撫でた。唇が開き、隙間だらけの黄ばんだ前歯が露出する。

 次の瞬間、怒声が飛んできた。
 阿澄は弾かれたように振り向いた。売り場の出入口で、ぱんぱんに膨らんだレジ袋を両手に提げた母が仁王立ちしている。
 声が轟いた瞬間、老爺は静電気を感じたように尻から手を離した。
 母がつかつかと歩み寄ってくる。反対に、老爺はせかせかと速足でその場から去る。阿澄はそれを見て、老爺がただの変質者だと悟った。

「阿澄! なにか変なことされなかった? 怪我はしてない?」
 ロボロフスキーハムスターがおがくずを掘る音をBGMに、母の言葉と手に慰撫されながら、神には生涯で一度しか会えないものなのだ、と阿澄は理解する。
 台風と金木犀の季節、日曜日の昼下がり、百貨店屋上のペットショップで起きた出来事だった。


* * *


 幼稚園から小学校低学年にかけて、阿澄はおてんばだった。女子よりも男子と遊ぶ機会が多く、屋外で体を動かす遊戯を好んだ。
 彼女の大胆で物怖じしない性格は、女子よりも男子の美意識に敵った。なおかつ、基本的に男子は女子に優しい。度を越して活発な阿澄ですらも、お情けではなく仲間に入れてくれる。
 女子のくせに男子と、などと難癖をつけてくる者も中にはいたが、阿澄はそんな精神年齢の低い輩には一瞥もくれない。己の「好き」に全幅の信頼を寄せ、追い求め、殉じた。

「こんな世界」に産み落とされて間もないころと比べると、ずいぶんと人間らしくなった弟の水無斗に、阿澄が親愛の念を抱くようになったのはこのころだ。
 人見知りの水無斗は常に姉の後ろについて回った。阿澄は自宅にいるときは弟と人形遊びをするなどしたが、友だちに誘われるとほったらかして遊びに出かけた。弟は好きだし、いっしょに遊ぶ時間は楽しいが、同年代の男子たちと遊ぶほうがもっと楽しいからだ。
 阿澄は身勝手な性格に無自覚だった。誰からも苦言を呈されなかったからだ。彼女の周りにいる大人たちは、子どもとはそういう生き物なのだと信じ込んでいた。

 相原家の庭の金木犀が花を咲かせる、台風がそれを散らし、きょうだいはまた一つ歳をとる。そのようにして世界は流れていく。
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