台風と金木犀

阿波野治

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水無斗 一

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 阿澄は自室にひきこもった。
 ごくたまに、陰気な顔を引っ提げて家族の前に姿を見せるが、誰とも口をきこうとしない。
 食事は基本的に、母が自室まで運ぶか、部屋から出たときに冷蔵庫や戸棚から調達するか、そのどちらか。
 トイレと風呂は必要に応じて利用しているようだが、家の外にはいっさい出ない。当然、学校にも行っていない。
 そんな状態が、台風と金木犀の季節からずっと続いている。


***


 日中でも摂氏十度を上回らない日が続くようになったころ、突然、父が県外で一人暮らしをすることが決まった。
 仕事の都合だ、と父は述べた。言葉数は少なく、疑問質問に対する回答は消極的で、説明は充分とはいえなかった。
 水無斗は戸惑った。仕事を理由に家族が離れ離れになるのは、彼にとってはじめての経験だ。しかも、予想外で衝撃的な事態が、阿澄の不登校・ひきこもりに続いて起きた。

「ねえ、お母さん。お母さんまでどこかに行っちゃわないよね? そうしたら僕、一人になっちゃうよ。そんなの、嫌だよ」
 家族会議のあと、皿洗いを再開した母に、水無斗は涙声で不安を訴えた。母は作業の手を止めずにこう答えた。
「大丈夫よ、お母さんはどこにも行かないから。水無斗と阿澄が一人前になるまでは、どこにも行かない。それが無理でも、せめて阿澄が部屋から出てくるまでは」
 安心するには程遠い返答だったが、引き下がるしかなかった。


***


 新年度を迎え、水無斗は小学三年生に進級した。
 阿澄が身近にいない日常に、彼は慣れないなりに慣れつつあった。意地悪をされる心配がない安心感。頼れる人が欠けたさびしさ。その二つを等しい大きさで実感していた。
 後者の感情は日増しに増した。わがままな性格にも、すぐに手荒な真似をするのにもうんざりしているが、姉はいざというとき、あるいは気まぐれを起こしたときは、弟の味方になってくれる。
 疎遠になったことで気がついたが、殴り・殴られるのもコミュニケーションだ。それがゼロになってしまうのは物足りないし、さびしい。

 昔のような傲慢で乱暴な姉でも構わないから、戻ってきてほしい。
 願わくは、台風が日本列島に上陸し、庭の金木犀がオレンジ色の花を咲かせるころまでには。
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