眠り姫とアイスクリーム

阿波野治

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 ベッドルームは厳粛な静寂に包まれている。
 シーツがかすかな音を立てた。三つ左のベッドのエリザベスが寝返りを打ったらしい。ただしそう大きくはなく、すぐにまた静けさが空間を支配した。

 マーガレットは少し頭の位置を動かして、枕と後頭部をしっかりと密着させた。さらにはブランケットの位置を少し上に修正し、その端を握る右手に少し力をこめる。
 それからはもう動かない。音も立てない。マーガレットだけではなく、他の二十一人の眠り姫たちも。文字どおり完璧な静寂。

 右も左も向きたくなかった。シャルロッテの美しい寝顔。ヘレンの幸せそうな寝顔。どちらを見ても心が乱されそうだ。
 そもそも、他人を気にしている場合ではない。気にかけるだけの心のゆとりがあるかも怪しい。
 気にかけなければいけないのは、自分自身。

 どうすれば、スムーズに眠れるのか。
 マーガレットは今夜、この積年の課題を克服しなければならない。

 なかなか寝つけず、いつまでもベッドの上でもぞもぞと体を動かしている様子は、客の目には見苦しく映る。シャルロッテのように、静かに、美しく眠る少女にしか客は金を払わない。
 とにかく眠る。始業の鐘が鳴り次第、速やかに眠りに落ちる。
 そのハードルを乗り越えなければ、スタートラインにすら立てない。

 マーガレットはとにかく頭の中を空にしようとした。鏡の壁の向こう側から不愉快な視線がまとわりついてきて、入眠のじゃまをする。それを気にしないようにする。無視する。一秒でも早く眠ろうと努めるのではなく、なにも考えないようにする。そうすることで眠りをたぐり寄せようとした。
 しかし、思うようにいかない。
 どうしても気になってしまう。不快感を無視できない。気がつくと、体をもぞもぞと動かしている。とにかくじっとしているようにと、強い口調でくり返し自分に言い聞かせても、どうしても我慢できない。

 眠くなるどころか、どんどん目が冴えていく。意識がはっきりしたせいで、無意識のうちに考えごとをしてしまう。ひとたびなにかについて考え出すと、眠りはますます遠ざかる。
 だめだ、と思う。眠ろうとすればするほど眠れなくなる――時間内に一睡もできないときと同じパターンだ。
 シャルロッテとの勝負に勝たなければいけない今日という日にかぎって、こんなことになるなんて。
 悔しさがこみ上げてくる。歯を食いしばり、両手をかたく握りしめる。

 今のわたしを見た客は、醜いと思うだろう。醜い眠り姫にお金を払う客なんて、世界中を探しても一人もいない。こんな顔は今すぐにやめるべきだ。
 そんな思いとはうらはらに、膨らむ一方の悔しさのせいで、時間が経てば経つほど表情は険しさを増していく。

 このままだと、わたしは勝負に負ける。
 わたしはこれからずっと、シャルロッテから馬鹿にされつづけるの?
 シャルロッテをいじめるヘレンを、黙って見ていることしかできないの?

 なにかが、ぷつん、と音を立てて切れた。

 突然、マーガレットは奇声を上げた。純真無垢な動物が、予告もなしに不条理な暴力にさらされたかのような、甲高い絶叫。
 起きていた何人かの眠り姫と、目を覚ました眠り姫の何人かが、いっせいに眼差しを注いできたのを感じた。
 心が乱れたマーガレットには、客からの視線、仲間たちからの視線、どちらも途轍もなく不愉快で、途方もなく耐えがたかった。彼女はパニックを起こし、ベッドの上で暴れ出した。
 ベッドルームは騒然となった。

 何人かの眠り姫がベッドから下り、マーガレットのもとに駆けつける。右から左から手が伸び、体を押さえつけてくる。彼女は「うるさい!」と声を荒らげ、手を払いのけようとした。
 直後、浮遊感。
 ベッドから落ちたのだ。
 そう悟った次の瞬間、体に衝撃を感じた。
 電子機器の電源をオフにしたように、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
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