眠り姫とアイスクリーム

56

「ばか！　小さいもので、あっという間に落ちたんだから、ここから肉眼で確認するほうが難しいでしょ。
　――あなたの指輪を捨てたの。窓の外に捨てて、もうどこに行ったかわからない。どこに落ちたかなんて見てないから」
「えっ！　指輪を捨てちゃったの？　大変……！」
　ヘレンは目が覚めるような大声を発したかと思うと、猛然と部屋を飛び出した。普段の彼女からは想像もできない、俊敏な動作だった。

　出入口のドアと窓、二つの経路が開放された部屋で一人、マーガレットは呆然と立ち尽くす。
　しばらくは頭の中が真っ白だったが、だんだん怖くなってきた。自分がとった行動が、自分が考えていたよりもはるかに愚かで、はるかに深くヘレンを傷つけたことに気がついたから。

　マーガレットは指輪を投げ捨てることで、ヘレンを怒らせたかった。
　温厚なヘレンが激怒するほど、指輪は彼女にとって大切なものだと、この目でたしかめたかった。
　怒らせて、それから先の展開は？
　そんなこと、想像もしていなかった。
　ただ、楽観はしていた。ヘレンが怒ったとしても、あくまでも一時的な怒り。出会って以来、一貫して維持してきた友情が根本から揺らぐことはない。そう高をくくっていた。

　捨てるという行為を実行した今となっては、悔やまれてならない。
　わたしはどうして、こんな馬鹿げた、愚かな真似をしてしまったの？　自分をどれだけ責めても責め足りない。
　ヘレンが指輪を大切に思っていることなんて、最初からわかっていたのに……。

　建物の外で物音がした。反射的に窓から半身を乗り出すと、ヘレンが窓の下に現れたところだった。
　顔が持ち上がり、マーガレットを直視した。視線は重ならなかったが、鳥肌が立った。
　ヘレンはその場にしゃがみ、探しものを探しはじめた。
　マーレットの心が痛み出した。見ていられなくなって、窓に背を向ける。それでもまだ痛くて、窓辺から遠ざかる。座ったのは、二脚あるテーブルの椅子のヘレンが座っていなかったほうだ。

　マーガレットの中で、探すのを手伝うという選択肢はなかった。罪の重さを自覚してしまった時点で、消えていた。
　だって、あんなひどい真似をしておいて、どんな顔をしてヘレンのところに行けばいいの？

　ヘレンの性格を考えれば、指輪を見つければ歓声を上げそうだが、声はいつまで経っても聞こえてこない。
　やがて、自由時間の終わりを告げる鐘が鳴った。