記憶士

阿波野治

文字の大きさ
11 / 90

11

しおりを挟む
 蔵の戸に取りつけられた南京錠を開錠する。建てつけの悪さを示す音を立てながら戸が開かれ、外と内の世界が接続する。

 中は真っ暗だ。現在は夜の八時を回り、太陽はすでに地平線に没しているが、外よりも暗い。闇は禍々しい艶やかさを帯びていて、人工の明かりが存在しなかった時代の夜のようだ。
 空気はそこはかとなく黴臭い。その情報は、小鼻を蠢かせれば蠢かせるほど遠のいていき、やがて雲散霧消する。全く感じられなくなったのを境に、わたしの語彙では「古めかしい匂い」としか形容のしようがない、快くはないが不快だと断罪もしかねる、どこか威厳を感じさせる匂いを嗅覚が感知する。ほぼ毎日、この空間に足を踏み入れているわたしの鼻とて、その順序に関して例外はない。

 六月という季節を考えれば異常に冷たい空気の中、壁をまさぐるようにして右手を伸ばし、スイッチをオンにする。天井中央に明るさが灯り、瞬時に周囲へと広がって行き渡り、現在わたしが身を置く空間内における明度が確定する。
 床面積は二十畳ほどあるらしいが、天井に達する高さの木製棚が内壁を取り巻いているため、実際よりも狭く感じられる。その天井は、本来ならば二階のそれに迫る高さに展開しているせいで、コンクリート製の床付近は仄暗い。筒状に丸められて立てかけられた茣蓙と、人間が入れそうなサイズの扁平な木箱が、空間の一隅に隣り合って置かれている。

 戸を閉ざし、茣蓙まで歩み寄って麻縄のいましめをほどく。空間の中央に敷き、靴を脱ぎ、戸に背を向けてその上に胡坐をかく。掌を上に向ける形で両手を組み、軽く載せるように膝の上へ。深呼吸を一つして、瞼を閉ざす。

 そして瞑想の時間が始まる。辞書に記載されている瞑想ではなく、わたしにとっての瞑想が。

 空間内があまりにも静かすぎるせいで、戸や壁の分厚さなど幻であるかのように、外界由来の音声が強く主張してくるときがある。体調や気分によっては、嗅ぎ慣れているはずの空気の匂いが無性に鼻につくこともある。
 しかし、じきに気にならなくなる。例外なくそうなる。心頭を滅却して無心になれたから、ではない。思案に対する集中力が確保されたために、種々の情報の存在感が相対的に減退するのだ。

 思うことや考えることは、日によって違う。今日という一日を顧みることもあるし、将来に思いを馳せることもあるし、現在の懸案に頭を捻ることもある。テーマをあらかじめ決めることはない。結果的に単一の事柄について思索した場合でも、混沌の中を手探りした結果だ。意識の流れのまにまになにかについて考えて、行き着く先はわたしにだって分からない。
 時には、なにも考えない状態をただひたすら目指すこともある。そもそもこの夜の瞑想の時間は、無心になることを目的に始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...