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蔵の戸に取りつけられた南京錠を開錠する。建てつけの悪さを示す音を立てながら戸が開かれ、外と内の世界が接続する。
中は真っ暗だ。現在は夜の八時を回り、太陽はすでに地平線に没しているが、外よりも暗い。闇は禍々しい艶やかさを帯びていて、人工の明かりが存在しなかった時代の夜のようだ。
空気はそこはかとなく黴臭い。その情報は、小鼻を蠢かせれば蠢かせるほど遠のいていき、やがて雲散霧消する。全く感じられなくなったのを境に、わたしの語彙では「古めかしい匂い」としか形容のしようがない、快くはないが不快だと断罪もしかねる、どこか威厳を感じさせる匂いを嗅覚が感知する。ほぼ毎日、この空間に足を踏み入れているわたしの鼻とて、その順序に関して例外はない。
六月という季節を考えれば異常に冷たい空気の中、壁をまさぐるようにして右手を伸ばし、スイッチをオンにする。天井中央に明るさが灯り、瞬時に周囲へと広がって行き渡り、現在わたしが身を置く空間内における明度が確定する。
床面積は二十畳ほどあるらしいが、天井に達する高さの木製棚が内壁を取り巻いているため、実際よりも狭く感じられる。その天井は、本来ならば二階のそれに迫る高さに展開しているせいで、コンクリート製の床付近は仄暗い。筒状に丸められて立てかけられた茣蓙と、人間が入れそうなサイズの扁平な木箱が、空間の一隅に隣り合って置かれている。
戸を閉ざし、茣蓙まで歩み寄って麻縄のいましめをほどく。空間の中央に敷き、靴を脱ぎ、戸に背を向けてその上に胡坐をかく。掌を上に向ける形で両手を組み、軽く載せるように膝の上へ。深呼吸を一つして、瞼を閉ざす。
そして瞑想の時間が始まる。辞書に記載されている瞑想ではなく、わたしにとっての瞑想が。
空間内があまりにも静かすぎるせいで、戸や壁の分厚さなど幻であるかのように、外界由来の音声が強く主張してくるときがある。体調や気分によっては、嗅ぎ慣れているはずの空気の匂いが無性に鼻につくこともある。
しかし、じきに気にならなくなる。例外なくそうなる。心頭を滅却して無心になれたから、ではない。思案に対する集中力が確保されたために、種々の情報の存在感が相対的に減退するのだ。
思うことや考えることは、日によって違う。今日という一日を顧みることもあるし、将来に思いを馳せることもあるし、現在の懸案に頭を捻ることもある。テーマをあらかじめ決めることはない。結果的に単一の事柄について思索した場合でも、混沌の中を手探りした結果だ。意識の流れのまにまになにかについて考えて、行き着く先はわたしにだって分からない。
時には、なにも考えない状態をただひたすら目指すこともある。そもそもこの夜の瞑想の時間は、無心になることを目的に始めた。
中は真っ暗だ。現在は夜の八時を回り、太陽はすでに地平線に没しているが、外よりも暗い。闇は禍々しい艶やかさを帯びていて、人工の明かりが存在しなかった時代の夜のようだ。
空気はそこはかとなく黴臭い。その情報は、小鼻を蠢かせれば蠢かせるほど遠のいていき、やがて雲散霧消する。全く感じられなくなったのを境に、わたしの語彙では「古めかしい匂い」としか形容のしようがない、快くはないが不快だと断罪もしかねる、どこか威厳を感じさせる匂いを嗅覚が感知する。ほぼ毎日、この空間に足を踏み入れているわたしの鼻とて、その順序に関して例外はない。
六月という季節を考えれば異常に冷たい空気の中、壁をまさぐるようにして右手を伸ばし、スイッチをオンにする。天井中央に明るさが灯り、瞬時に周囲へと広がって行き渡り、現在わたしが身を置く空間内における明度が確定する。
床面積は二十畳ほどあるらしいが、天井に達する高さの木製棚が内壁を取り巻いているため、実際よりも狭く感じられる。その天井は、本来ならば二階のそれに迫る高さに展開しているせいで、コンクリート製の床付近は仄暗い。筒状に丸められて立てかけられた茣蓙と、人間が入れそうなサイズの扁平な木箱が、空間の一隅に隣り合って置かれている。
戸を閉ざし、茣蓙まで歩み寄って麻縄のいましめをほどく。空間の中央に敷き、靴を脱ぎ、戸に背を向けてその上に胡坐をかく。掌を上に向ける形で両手を組み、軽く載せるように膝の上へ。深呼吸を一つして、瞼を閉ざす。
そして瞑想の時間が始まる。辞書に記載されている瞑想ではなく、わたしにとっての瞑想が。
空間内があまりにも静かすぎるせいで、戸や壁の分厚さなど幻であるかのように、外界由来の音声が強く主張してくるときがある。体調や気分によっては、嗅ぎ慣れているはずの空気の匂いが無性に鼻につくこともある。
しかし、じきに気にならなくなる。例外なくそうなる。心頭を滅却して無心になれたから、ではない。思案に対する集中力が確保されたために、種々の情報の存在感が相対的に減退するのだ。
思うことや考えることは、日によって違う。今日という一日を顧みることもあるし、将来に思いを馳せることもあるし、現在の懸案に頭を捻ることもある。テーマをあらかじめ決めることはない。結果的に単一の事柄について思索した場合でも、混沌の中を手探りした結果だ。意識の流れのまにまになにかについて考えて、行き着く先はわたしにだって分からない。
時には、なにも考えない状態をただひたすら目指すこともある。そもそもこの夜の瞑想の時間は、無心になることを目的に始めた。
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