記憶士

阿波野治

文字の大きさ
12 / 90

12

しおりを挟む
 そう多くない自らの成功事例を顧みた限り、記憶を取り出すためのコツは、依頼者の脳髄に固着した悪しき記憶に、外に出てくるようにと真摯に呼びかけることだ。悪しき記憶を一個の人格と見なし、頑なな心を解きほぐし、折れさせ、断念させることで殻の中から出てこさせるために、説得の言葉を重ねることだ。といっても、悪しき記憶は人間ではないから、具体的な説得の言葉を唱えるのではない。意味を成すように言葉を繋げていく作業に気をとられ、本分を見失うおそれがあるから、それだけは絶対にしてはいけない。

 ただ想いを、出てきてほしいという想いを、病原に照射する。目的を達成するその瞬間まで、愚直に照射し続ける。
 そのために最も必要だとわたしが考えているのが、集中力。それを高めるのにうってつけの修行方法が瞑想、というわけだ。

 集中力が究極的に高まった状態、それこそが無心状態だとわたし自身は定義しているが、その高みに達したことは未だかつてない。肉薄できた、という実感を抱いたことすらも。そもそも、到達したとして、「今、わたしは無心である」と自覚できるものなのか。
 疑念を拭えなかったのと、挫折が重なって嫌気が差したのと。二つの理由から、いつからか、集中して思考するだけでよしとするようになった。

 今宵、瞑想開始早々に心に浮上したのは、早く一人前の記憶士になりたい、という一念。
 誰かから記憶を取り出すよう依頼され、不首尾に終わったさいに決まって念頭に浮かぶ考えだ。しかし今日は、小さなプラスとマイナスを考慮に入れても、何事もない平凡な一日だった。

 脈絡のなさに戸惑っていると、ここ一・二か月の間に経験した、お母さんの食事がスムーズにいかなかったときの記憶が脳裏に去来し始めた。一つや二つではなく、十も二十もの記憶が次から次へと。時系列はばらばら、内容も前後で関連性を見出せず、完全なるランダム再生らしい。
 お母さんは今日の夕食を自力で食べた。全くこぼさなかったし、菜の花のおひたし以外のおかずはちゃんと食べてくれた。介護者と被介護者、互いにほぼストレスなく食事を終えられた。それなのになぜ、水を差すような思い出を思い出したのだろう?
 意味不明だったし、不快感も抱いた。しかし、邪念に支配されてしまえば、トレーニングの意味がなくなってしまう。灰色の疑問も、黒い感情も頭の中から追放し、意識の流れに我慢強く身を任せる。

 そうするうちに、想念は唐突に過去に回帰した。すなわち、今日の夕方、母親のもとへ向かっていたさいに夏也に出くわし、いさかいめいたやりとりを交わした過去へと。
 そして、たちどころに気がつく。

『うっせぇな。文句あるなら、俺の頭ん中のババアにまつわる悪しき記憶、お前の力で取り出してみろよ』

「一人前の記憶士になりたい」という思いが胸に浮かんだのは、夏也からかけられたその言葉が原因だったのだと。

 力不足は重々承知している。夏也がお母さんに抱いている憎悪がいかほどかも、夏也の次に理解しているつもりだ。
 だからこそ、なにも言い返せなかった。
 お兄ちゃんがお母さんを恨む気持ちは、どうしようもないのかもしれない。だけど、修行を積み重ねれば、わたしだっていつかは――。

 ままならない現実から目を背けるように、思案に全神経を注いだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...