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そう多くない自らの成功事例を顧みた限り、記憶を取り出すためのコツは、依頼者の脳髄に固着した悪しき記憶に、外に出てくるようにと真摯に呼びかけることだ。悪しき記憶を一個の人格と見なし、頑なな心を解きほぐし、折れさせ、断念させることで殻の中から出てこさせるために、説得の言葉を重ねることだ。といっても、悪しき記憶は人間ではないから、具体的な説得の言葉を唱えるのではない。意味を成すように言葉を繋げていく作業に気をとられ、本分を見失うおそれがあるから、それだけは絶対にしてはいけない。
ただ想いを、出てきてほしいという想いを、病原に照射する。目的を達成するその瞬間まで、愚直に照射し続ける。
そのために最も必要だとわたしが考えているのが、集中力。それを高めるのにうってつけの修行方法が瞑想、というわけだ。
集中力が究極的に高まった状態、それこそが無心状態だとわたし自身は定義しているが、その高みに達したことは未だかつてない。肉薄できた、という実感を抱いたことすらも。そもそも、到達したとして、「今、わたしは無心である」と自覚できるものなのか。
疑念を拭えなかったのと、挫折が重なって嫌気が差したのと。二つの理由から、いつからか、集中して思考するだけでよしとするようになった。
今宵、瞑想開始早々に心に浮上したのは、早く一人前の記憶士になりたい、という一念。
誰かから記憶を取り出すよう依頼され、不首尾に終わったさいに決まって念頭に浮かぶ考えだ。しかし今日は、小さなプラスとマイナスを考慮に入れても、何事もない平凡な一日だった。
脈絡のなさに戸惑っていると、ここ一・二か月の間に経験した、お母さんの食事がスムーズにいかなかったときの記憶が脳裏に去来し始めた。一つや二つではなく、十も二十もの記憶が次から次へと。時系列はばらばら、内容も前後で関連性を見出せず、完全なるランダム再生らしい。
お母さんは今日の夕食を自力で食べた。全くこぼさなかったし、菜の花のおひたし以外のおかずはちゃんと食べてくれた。介護者と被介護者、互いにほぼストレスなく食事を終えられた。それなのになぜ、水を差すような思い出を思い出したのだろう?
意味不明だったし、不快感も抱いた。しかし、邪念に支配されてしまえば、トレーニングの意味がなくなってしまう。灰色の疑問も、黒い感情も頭の中から追放し、意識の流れに我慢強く身を任せる。
そうするうちに、想念は唐突に過去に回帰した。すなわち、今日の夕方、母親のもとへ向かっていたさいに夏也に出くわし、いさかいめいたやりとりを交わした過去へと。
そして、たちどころに気がつく。
『うっせぇな。文句あるなら、俺の頭ん中のババアにまつわる悪しき記憶、お前の力で取り出してみろよ』
「一人前の記憶士になりたい」という思いが胸に浮かんだのは、夏也からかけられたその言葉が原因だったのだと。
力不足は重々承知している。夏也がお母さんに抱いている憎悪がいかほどかも、夏也の次に理解しているつもりだ。
だからこそ、なにも言い返せなかった。
お兄ちゃんがお母さんを恨む気持ちは、どうしようもないのかもしれない。だけど、修行を積み重ねれば、わたしだっていつかは――。
ままならない現実から目を背けるように、思案に全神経を注いだ。
ただ想いを、出てきてほしいという想いを、病原に照射する。目的を達成するその瞬間まで、愚直に照射し続ける。
そのために最も必要だとわたしが考えているのが、集中力。それを高めるのにうってつけの修行方法が瞑想、というわけだ。
集中力が究極的に高まった状態、それこそが無心状態だとわたし自身は定義しているが、その高みに達したことは未だかつてない。肉薄できた、という実感を抱いたことすらも。そもそも、到達したとして、「今、わたしは無心である」と自覚できるものなのか。
疑念を拭えなかったのと、挫折が重なって嫌気が差したのと。二つの理由から、いつからか、集中して思考するだけでよしとするようになった。
今宵、瞑想開始早々に心に浮上したのは、早く一人前の記憶士になりたい、という一念。
誰かから記憶を取り出すよう依頼され、不首尾に終わったさいに決まって念頭に浮かぶ考えだ。しかし今日は、小さなプラスとマイナスを考慮に入れても、何事もない平凡な一日だった。
脈絡のなさに戸惑っていると、ここ一・二か月の間に経験した、お母さんの食事がスムーズにいかなかったときの記憶が脳裏に去来し始めた。一つや二つではなく、十も二十もの記憶が次から次へと。時系列はばらばら、内容も前後で関連性を見出せず、完全なるランダム再生らしい。
お母さんは今日の夕食を自力で食べた。全くこぼさなかったし、菜の花のおひたし以外のおかずはちゃんと食べてくれた。介護者と被介護者、互いにほぼストレスなく食事を終えられた。それなのになぜ、水を差すような思い出を思い出したのだろう?
意味不明だったし、不快感も抱いた。しかし、邪念に支配されてしまえば、トレーニングの意味がなくなってしまう。灰色の疑問も、黒い感情も頭の中から追放し、意識の流れに我慢強く身を任せる。
そうするうちに、想念は唐突に過去に回帰した。すなわち、今日の夕方、母親のもとへ向かっていたさいに夏也に出くわし、いさかいめいたやりとりを交わした過去へと。
そして、たちどころに気がつく。
『うっせぇな。文句あるなら、俺の頭ん中のババアにまつわる悪しき記憶、お前の力で取り出してみろよ』
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力不足は重々承知している。夏也がお母さんに抱いている憎悪がいかほどかも、夏也の次に理解しているつもりだ。
だからこそ、なにも言い返せなかった。
お兄ちゃんがお母さんを恨む気持ちは、どうしようもないのかもしれない。だけど、修行を積み重ねれば、わたしだっていつかは――。
ままならない現実から目を背けるように、思案に全神経を注いだ。
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