22 / 90
22
しおりを挟む
困惑するわたしの頭に甦ったのは、トイレの個室で多木さんが見せた涙。
片や、青春の只中にいる、心身ともに健全ながらも、むごたらしい被害に遭ったことを告白した少女。
片や、まだ人生の半ばに差しかかるか差しかからないかの齢ながらも、老いさらばえた女性。
あらゆる意味で似てもにつかないはずなのに、二人はどこか似ている。
胸が苦しい。なんらかの感情が、心という器から溢れ出しそうになっている。わたしの辞書の中に、その感情を表す単語は記載されていない。
「ああ、どうしたらいいの……。悲しい……。凄く悲しい……」
「お母さん、待って。たしかに痛みはちょとだけあるけど、そんなに痛くないから。そこまで心配しなくてもいいよ」
「お母さんが駄目になっちゃったから、秋奈が悲しい目に遭うのね。夏也だって、お母さんがなにもできないから、いつもいらいらしているし。こんなお母さんで、本当にごめんね。昔はもっといろんなことができたのにね。夏也や秋奈を笑顔にさせるような、本当にいろんなことが……」
目頭が急激に熱くなる。泣く、と思った。第一波はなんとか抑え込んだが、お母さんが涙を流しながらも、わたしから決して目を離そうとしないことに気がついた瞬間、雫は呆気なく滑り落ちていた。
お母さんの顔が大きく歪む。このままではいけない、と思うものの、どうにも止まらない。
肩を押さえられているせいで窮屈そうながらも、お母さんは両手を広げるような仕草を見せた。その意味するところを、血の繋がった娘であるわたしは瞬時に、なおかつ完璧に理解する。
お母さん!
声の限りに叫びたい衝動をかろうじて抑え込み、お母さんを抱きしめる。壊れ物を扱うように柔らかく、それでいて力強く。お母さんは、わたしの背中に両腕を回してそれに応えてくれた。
なんて細い腕なのだろう。
なんて弱い力なのだろう。
「ごめんね、ごめんね……」
お母さんはうわごとのように謝罪の言葉をくり返す。たまらなく切なかったが、涙の量は緩やかにゼロへと向かっていく。お母さんがこうなってしまった以上は、わたしがしっかりしないといけない。そんな思いが湧いたから。
さりとて、落涙を強いるほどに強い感情が、おいそれと引っ込んでくれるわけではない。
「ごめんね……。秋奈、ごめんね……」
多木さんを酷い目に遭わせて。お母さんを悲しませて。
わたし、生きている意味、あるのかな……。
* * *
瞑想をサボる理由として、精神面の言い訳をわたしは断じて是認しない。元気だったときのお母さんの方針がそうだったから。それが第一の理由。自分の心を鍛えるために瞑想を始めたのだから、それを理由として成立させてしまえば、全てが崩れてしまいかねない。それが第二の理由だ。
その方針のもと、今晩も瞑想に臨んだのだが、どうしても思案に集中できない。
それほどまでに、多木さんの告白は衝撃的だった。詳細は語られていないにもかかわらず衝撃的だった。
公園での出来事がくり返し、くり返し脳内で再生される。暴行を受ける場面は僅かしかなく、泣きながら怒った表情ですごまれる場面が大半を占めた。
『だったら、あたしの記憶を取り出せ。昨日味わった最悪の記憶を、一ミリ残らずきれいに。失敗したら、お前をぶっ殺す!』
わたしは、多木さんの望みを叶えてあげられるのだろうか?
片や、青春の只中にいる、心身ともに健全ながらも、むごたらしい被害に遭ったことを告白した少女。
片や、まだ人生の半ばに差しかかるか差しかからないかの齢ながらも、老いさらばえた女性。
あらゆる意味で似てもにつかないはずなのに、二人はどこか似ている。
胸が苦しい。なんらかの感情が、心という器から溢れ出しそうになっている。わたしの辞書の中に、その感情を表す単語は記載されていない。
「ああ、どうしたらいいの……。悲しい……。凄く悲しい……」
「お母さん、待って。たしかに痛みはちょとだけあるけど、そんなに痛くないから。そこまで心配しなくてもいいよ」
「お母さんが駄目になっちゃったから、秋奈が悲しい目に遭うのね。夏也だって、お母さんがなにもできないから、いつもいらいらしているし。こんなお母さんで、本当にごめんね。昔はもっといろんなことができたのにね。夏也や秋奈を笑顔にさせるような、本当にいろんなことが……」
目頭が急激に熱くなる。泣く、と思った。第一波はなんとか抑え込んだが、お母さんが涙を流しながらも、わたしから決して目を離そうとしないことに気がついた瞬間、雫は呆気なく滑り落ちていた。
お母さんの顔が大きく歪む。このままではいけない、と思うものの、どうにも止まらない。
肩を押さえられているせいで窮屈そうながらも、お母さんは両手を広げるような仕草を見せた。その意味するところを、血の繋がった娘であるわたしは瞬時に、なおかつ完璧に理解する。
お母さん!
声の限りに叫びたい衝動をかろうじて抑え込み、お母さんを抱きしめる。壊れ物を扱うように柔らかく、それでいて力強く。お母さんは、わたしの背中に両腕を回してそれに応えてくれた。
なんて細い腕なのだろう。
なんて弱い力なのだろう。
「ごめんね、ごめんね……」
お母さんはうわごとのように謝罪の言葉をくり返す。たまらなく切なかったが、涙の量は緩やかにゼロへと向かっていく。お母さんがこうなってしまった以上は、わたしがしっかりしないといけない。そんな思いが湧いたから。
さりとて、落涙を強いるほどに強い感情が、おいそれと引っ込んでくれるわけではない。
「ごめんね……。秋奈、ごめんね……」
多木さんを酷い目に遭わせて。お母さんを悲しませて。
わたし、生きている意味、あるのかな……。
* * *
瞑想をサボる理由として、精神面の言い訳をわたしは断じて是認しない。元気だったときのお母さんの方針がそうだったから。それが第一の理由。自分の心を鍛えるために瞑想を始めたのだから、それを理由として成立させてしまえば、全てが崩れてしまいかねない。それが第二の理由だ。
その方針のもと、今晩も瞑想に臨んだのだが、どうしても思案に集中できない。
それほどまでに、多木さんの告白は衝撃的だった。詳細は語られていないにもかかわらず衝撃的だった。
公園での出来事がくり返し、くり返し脳内で再生される。暴行を受ける場面は僅かしかなく、泣きながら怒った表情ですごまれる場面が大半を占めた。
『だったら、あたしの記憶を取り出せ。昨日味わった最悪の記憶を、一ミリ残らずきれいに。失敗したら、お前をぶっ殺す!』
わたしは、多木さんの望みを叶えてあげられるのだろうか?
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる