記憶士

阿波野治

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 来るべき夏に備えて、早くも業者の手が加わったらしく、中庭は前回訪れたときよりも整然としている印象を受ける。六月初旬の十二時台である現在は、日陰のベンチに座るとちょうどいい気候だ。昼食をとる場にもっぱら教室を選んできたこれまでが、少しもったいない気がした。
 中庭では三組ほどの生徒が食事をとっている。いずれも話し声は控えめで、騒々しさからは遠い。空いているベンチに並んで腰を下ろす。

「多木さんはお弁当の中身、どんな感じ?」
「特に変わったものは入ってないよ。蜂須賀はコンビニで買ったんだ」
「うん。サンドイッチとオレンジジュース。多木さんも見せてよ」
「あたしのは、ほら、こんな感じ」

 包みをほどいて蓋を開いてみせる。エビフライがメインで、野菜を使ったおかずがいくつか入っている。

「どう? メインは冷凍食品だし、それ以外は残り物が殆どだし、全然しょぼいよな」
「そんなことないよ。野菜が多めで、栄養バランスがよさそうで、とっても美味しそう。朝って忙しいのに、たくさんおかずが入ってるし。なんていうか、お母さんの愛情を感じる。あ、作ったのお母さんだよね?」
「そうだけど。……この程度でべた褒めされたら、逆に気持ち悪いな」

 照れくさかったらしく、純然たる微笑と苦笑の中間のような笑みを見せ、弁当箱を自分の膝の上に戻した。さっさと食べよう、というふうに顎をしゃくったので、頷いてサンドイッチの封を開ける。

 会話の流れから何気なく口にした愛情という単語は、金曜日に目の前の少女の身に起きた悲劇を否応にも思い起こさせた。
 多木さんの家族は、星羅が性犯罪の被害に遭った事実は把握しているのだろうか? 恐らく、知らないだろう。昨日友人たちとの会話で、多木さんを評するのに孤高という言葉が用いられたが、彼女にぴったり合っている。積極的に弱みや弱さを表明しない。それが多木星羅という人だ。

 淡い涙の気配を目の奥に感じる。

 わたしはお母さんが病気で、お弁当を作ってもらえないから、多木さんが羨ましい。
 頭に浮かんだそんなセリフは、胸に仕舞っておく。言葉を口にした瞬間、泣いてしまいそうな気がしたから。

 黙って自分の分の昼食を食べる。わたしも、多木さんも。中庭にいる他のグループが静かに話をしながら食事をとる中で、わたしたちは浮いているといえるかもしれない。しかし、わたしはそんな些事は気にしないし、周りの人間もわたしたちのことなど気にも留めない。多木さんだって同じだろう。

 多木さんの横顔は、なんらかの懸案事項について考えているように見える。わたしの方から発言を促すことはしない。気分を害するようなことを言って暴力を振るわれるのが怖いから、ではなくて。

 これまでに何度も、記憶の取り出したいと願う人間と面談してきたが、基本的には相手の方から話すように仕向けた。依頼者はたいてい、記憶士という非現実的な存在の実在を疑っている。なおかつ、記憶の詳細をなるべく明かしたくないと考えている。無理矢理訊き出すような真似をして信頼関係を損ねてしまえば、それ以上前には進めない。記憶を取り出すことが本当に可能なのか疑っていますよね、と切り出すのではなく、記憶士の存在を疑問に思っているのですが、と相手から切り出させること、それが肝要だった。
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