記憶士

阿波野治

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 スクールバッグから紙パックのオレンジジュースと、二種類のサンドイッチが入った小さなレジ袋を取り出す。手結乃の席で弁当を広げる三人に目だけで別れを告げ、多木さんの席へ。

「多木さん。わたしは準備できたけど」
「ん。ちょっと待って」
 上体を折り曲げて鞄から取り出したのは、赤色の包みと象牙色の水筒。「行こう」と目で促しながら起立し、教室を出る。

「どこかおすすめの場所、ある? あたし、いつも一人寂しく教室で食べてるから、よく知らないんだ」
 口火を切ったのは多木さんだ。わたしたちは急ぐでももったいぶるでもない足取りで廊下を進む。

「ぱっと思いついたのは屋上だけど、そもそもドアの鍵開いてんの?」
「屋上はね、開いていることは開いてるんだけど、やっぱり人気スポットだから人が多いよ。一回みんなで行ったことあるけど、居心地はあまりよくなかったかな。怖そうな人も何人かいたし。さすがに『俺たちの縄張りだから出て行け』とは言われなかったけど」
「ああ、そう。じゃあ、どこにすればいいのかな」
「候補ならいくつかあるけど、中庭とかどうかな。植物が多くていい感じだよ。人も多すぎず少なすぎずで、うるさくもなく寂しくもなく。外だと一番おすすめかも」
「……蜂須賀、あんた、あたしと二人きりになりたくないの?」
「へっ?」

 思いがけない指摘に、声が裏返る。疑念に対してというよりも、その反応が不愉快だというように、多木さんは大仰に顔を歪める。わたしは慌てて頭を振り、

「そんなことない。全然そんなことないよ。そういう環境の方がいいかなって、なんとなく思っただけで」
「嘘つけ。昨日あんな目に遭ったんだぜ? 怖さはあって当然だろ、多少なりとも」
「ううん。教室に入ってきた多木さんを見たときは、たしかにちょっと怖い感じはしたけど、すぐに消えた。信じてくれないかもしれないけどね、ほんとにほんとだから。なにを言われるか分からなくて緊張したけど、怖いっていう感じではなかったんだよね。似てるけど全くの別物なの」

 多木さんは最初こそ口を挟みたそうにしていたが、中盤以降は唇を閉ざして主張に耳を傾けてくれた。とりあえず、嘘をついているわけではないと分かってくれたようだ。
 疑う気持ちは理解できる。わたしだって、単なるクラスメイトの一人として普通に接するように、自然体で多木さんに向き合えている自分を、少々奇異に思っているのだから。

 会話は途絶えた。わたしの意見を聞いたことで、なんらかの考えるべきことができたらしい。邪魔してはいけないと思い、口は噤んだままにしておく。

 目的地に着くまでの五分足らずで、不可解だった謎――なぜ多木さんに恐怖を感じないのか――の正答を掴めた気がした。
 暴力という形で感情を発散したあとは、以前のように常識ある態度で接してくれる彼女に、誠実さを感じたからだ。
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