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なんとなく、夏也は迷いに迷い、葛藤に葛藤を重ねたせいで、遅れてやって来るような気がしていた。
しかし、約束の午後十時きっかりに庭を出たわたしが見たのは、蔵の外壁にもたれた兄の姿。
「おう、おせぇぞ。人を呼び出してるんだから、遅刻するなよ」
「今ちょうど十時くらいだと思うけど。ていうか、先に来たのになんで鍵は持ってないわけ」
「うるせぇな。細かいことは気にすんな。ほら、開けろ」
持参した鍵を使って開錠する。兄、妹の順番で中へ。
茣蓙を敷く作業はわたしが行う。一方の夏也は、空間の隅で腕組みをして突っ立ち、久しぶりに足を踏み入れたらしい内部の様子を、どこか懐かしそうに眺め回しているだけ。本来であれば小言の一つでも口にしている場面なのだが、あとのことを考えて自制する。
茣蓙を敷き終わり、小箱の用意も完了して、兄妹は対座する。わたしは正座をして。夏也は胡坐をかいて。
「お兄ちゃん、記憶はどうするの? ここに来たっていうことは――」
「ああ、取り出してくれ。置いておいても邪魔なだけだから、取り出してしまおう。絶対にその方がいい」
わたしとは目を合わさずに、どこかさばさばとそう述べた。
「本当にいいの? 一度取り出しちゃうと、もう戻せないんだよ? 悪い思い出も思い出のうちだし、時間が経てばいい思い出に変わるかもしれないんだよ? それでも取り出すの?」
「何度確認を求められても、俺の意思は変わらねぇよ。さっさとやってくれ」
感情を排して淡々と振る舞う夏也が、なぜかとても大人に感じられて、胸を打たれた。少し悔しい気もした。
「おい、どうしたんだよ、秋奈。なにびびってんだ? 急に自信がなくなった? 疲れが酷くて成功させられる気がしない? どっちにしろ、情けねぇな。たまにはかっこいいところ、見せてみろよ」
「分かった。それじゃあ、取り出したいと思っている記憶の詳細、わたしに教えて」
「しごかれた俺の気持ち、俺の次に理解してるんじゃねぇのかよ」
「理解してるけど、どんな体験をして、どんな気持ちになったのか、具体的なことをもっと頭に入れておきたいっていうか、入れておかなきゃ取り出せるものも取り出せないから。いくら血が繋がった家族といっても、そこを特別扱いするわけにはいかないよ。言いづらいのは分かるけど、成功率を高めるためだと思って協力して」
「……しゃーねーな。分かったよ。言えばいいんだろ、言えば」
状況が違っていれば不快感を覚えたかもしれない、陰鬱なため息。顔を背け、腕組みをして、黙考。
しばらくして、おもむろに髪の毛をかきむしったかと思うと、顔の向きをわたしへと戻した。そして話し始めた。
しかし、約束の午後十時きっかりに庭を出たわたしが見たのは、蔵の外壁にもたれた兄の姿。
「おう、おせぇぞ。人を呼び出してるんだから、遅刻するなよ」
「今ちょうど十時くらいだと思うけど。ていうか、先に来たのになんで鍵は持ってないわけ」
「うるせぇな。細かいことは気にすんな。ほら、開けろ」
持参した鍵を使って開錠する。兄、妹の順番で中へ。
茣蓙を敷く作業はわたしが行う。一方の夏也は、空間の隅で腕組みをして突っ立ち、久しぶりに足を踏み入れたらしい内部の様子を、どこか懐かしそうに眺め回しているだけ。本来であれば小言の一つでも口にしている場面なのだが、あとのことを考えて自制する。
茣蓙を敷き終わり、小箱の用意も完了して、兄妹は対座する。わたしは正座をして。夏也は胡坐をかいて。
「お兄ちゃん、記憶はどうするの? ここに来たっていうことは――」
「ああ、取り出してくれ。置いておいても邪魔なだけだから、取り出してしまおう。絶対にその方がいい」
わたしとは目を合わさずに、どこかさばさばとそう述べた。
「本当にいいの? 一度取り出しちゃうと、もう戻せないんだよ? 悪い思い出も思い出のうちだし、時間が経てばいい思い出に変わるかもしれないんだよ? それでも取り出すの?」
「何度確認を求められても、俺の意思は変わらねぇよ。さっさとやってくれ」
感情を排して淡々と振る舞う夏也が、なぜかとても大人に感じられて、胸を打たれた。少し悔しい気もした。
「おい、どうしたんだよ、秋奈。なにびびってんだ? 急に自信がなくなった? 疲れが酷くて成功させられる気がしない? どっちにしろ、情けねぇな。たまにはかっこいいところ、見せてみろよ」
「分かった。それじゃあ、取り出したいと思っている記憶の詳細、わたしに教えて」
「しごかれた俺の気持ち、俺の次に理解してるんじゃねぇのかよ」
「理解してるけど、どんな体験をして、どんな気持ちになったのか、具体的なことをもっと頭に入れておきたいっていうか、入れておかなきゃ取り出せるものも取り出せないから。いくら血が繋がった家族といっても、そこを特別扱いするわけにはいかないよ。言いづらいのは分かるけど、成功率を高めるためだと思って協力して」
「……しゃーねーな。分かったよ。言えばいいんだろ、言えば」
状況が違っていれば不快感を覚えたかもしれない、陰鬱なため息。顔を背け、腕組みをして、黙考。
しばらくして、おもむろに髪の毛をかきむしったかと思うと、顔の向きをわたしへと戻した。そして話し始めた。
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