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ゲーセンと漫画喫茶で夜まで時間を潰し、アパートに戻ると、庭には相変わらず新幹線が停まっている。
「やる気出せよ、大家」
虚空に向かって吐き捨て、階段を上がる。
さて、リリカはどうしているのか。不安四割、期待六割で自室のドアを開ける。
驚いた。
何に驚いたかって、六畳間が様変わりしているではないか。
フローリングの床を黄色のビニルテープが真っ直ぐに横断し、部屋を二等分している。
部屋の中央に置かれていた卓袱台と窓際に敷かれていた万年床は、共に出入り口近くの壁際に追いやられている。
万年床があった場所には真新しい布団が敷かれ、真横には見慣れない丸テーブルが置かれている。
朝飯の残骸は綺麗に片づけられ、床にコーヒーがこぼれた痕跡は認められない。
リリカは真新しい布団の上で膝を崩し、スマホを弄っていた。その顔には、表情というものがなかった。黙々と指を動かし、一心に画面を見つめていて、俺には見向きもしない。
「おかず、卓袱台の上にあるやつを食べて。ご飯は炊いてあるから」
抑揚のない声が静寂を破った。スマホの画面を見ながらの発言だ。
卓袱台に目を転じる。スーパーのレジ袋が置かれている。中身を確認する。チキン南蛮、牛肉のしぐれ煮、ポテトサラダ。いずれも出来合いの総菜だ。
「わたしはもう食べたから、全部どうぞ。残ったら明日の昼ご飯のおかずにして」
続いての台詞も、リリカは俺の方を見ずに口にした。
家庭内別居。そんな言葉が浮かんだ。
おいおい。冗談はよせよ、リリカ。一回ちょっと激しめの口喧嘩したくらいで、そんな、お前……。
笑いたかったが笑えなかった。
腹の虫が鳴いた。放屁音にも似た情けない音色だった。普段のリリカならば、苦笑を洩らし、冗談を一言二言口にしただろうが、何の反応も示さない。笑うどころか、俺に視線を投げかけることさえも。
六畳間を二分する黄色いビニルテープ。二台の食卓。二組の布団。
何なんだよ、くそっ。
心の中で吐き捨てて便所に行き、便器に溜まった水にぶつけるように放尿する。水を流し、手を洗ってから六畳間に戻りかけて、進路を台所へと変更する。
炊飯器の白米を茶碗に装う。冷蔵庫から取り出したピッチャーからコップに麦茶を注ぐ。自分の箸がどこに置かれているかがすぐには分からず、手間取ってしまった。リリカと同棲を始めて以来、飯の用意を自分でしたのはこれが初めてだ。
卓袱台に茶碗とコップと箸を置き、リリカに背を向けて座る。がつがつと音を立てて飯を食う。俺の行儀の悪さに苦言を呈することも多いリリカだが、何も言わない。視線はスマホの画面から離れない。
食べ終わった後の食器を流し台まで持っていく。いざ洗おうとした途端、面倒くささが込み上げてきた。
何が嬉しくて皿を洗わなきゃならないんだ。アホか。腹の中で悪態をついて台所を後にした。
食後はテレビを点けた。いつも布団の上で一緒に観るリリカが隣にいない。万年床の位置が変わったことでテレビ画面を見る角度が少し変わった。ただそれだけのことなのに、凄まじく違和感を覚える。毎週欠かさず観ているバラエティ番組が放送されているが、視聴に集中できない。自分の布団に俯せに寝そべり、スマホを玩んでいるリリカのことが気になって仕方がない。
番組が終わりを迎えたタイミングで、リリカがスマホを布団の上に置いて腰を上げた。黄色い境界線を跨ぎ、テレビの前を横切って廊下に出て、後ろ姿が視野の外に消える。
リリカのやつ、どこへ行くつもりなんだ。
俺は息を殺して耳を欹てた。ほどなく聞こえてきたのは、便所のドアが開閉される音。
肩の力が抜けた。その場に座り直した後で、リリカの一挙一動に一喜一憂している自分が心底馬鹿馬鹿しくなった。
リリカは戻ってくると、再び布団に寝そべり、スマホ弄りを再開した。俺は黙ってテレビを見続けた。つまらなかった。しかし、他にすることもないので、テレビを見続ける。
やがて入浴時間になり、いつも通りリリカが風呂の湯を入れた。いつもとは違い、リリカが先に入った。二番風呂の湯船には、金色の頭髪と黒色の陰毛が数本浮いていた。
深夜のテレビ番組はどれもこれもつまらない。もう寝てしまいたかったが、リリカがしつこくスマホを弄っているので、部屋の電気を消すのは躊躇ってしまう。
十分以上もぐずぐずした挙げ句、俺は黙って自分の布団に潜り込んだ。直後、部屋が暗闇に包まれた。リリカの方を見ると、スマホの明かりは消えていた。喜怒哀楽、どれにも当てはまるような、どれにも当てはまらないような気持ちになった。
これまでのパターンからすれば、短ければ数時間、長くても二・三日の冷却期間が設けられた後、非がどちらにあるにせよリリカがまず頭を下げ、それを受けて俺も謝り、仲直りのセックスをして一件落着となるはずだ。しかし今回は、その展開は期待できない気がする。冷戦の最中であることを差し引いても、リリカの態度が冷えすぎている。この部屋に留まっているのが奇跡と思えるほどに。
今朝よりも激しい口論をしたことなら、過去に何度もあったのに、今回に限ってなぜそんな態度を取るんだ? 全く意味が分からない。
しかし、リリカに真意を問い質してみる勇気は湧かなかった。
「やる気出せよ、大家」
虚空に向かって吐き捨て、階段を上がる。
さて、リリカはどうしているのか。不安四割、期待六割で自室のドアを開ける。
驚いた。
何に驚いたかって、六畳間が様変わりしているではないか。
フローリングの床を黄色のビニルテープが真っ直ぐに横断し、部屋を二等分している。
部屋の中央に置かれていた卓袱台と窓際に敷かれていた万年床は、共に出入り口近くの壁際に追いやられている。
万年床があった場所には真新しい布団が敷かれ、真横には見慣れない丸テーブルが置かれている。
朝飯の残骸は綺麗に片づけられ、床にコーヒーがこぼれた痕跡は認められない。
リリカは真新しい布団の上で膝を崩し、スマホを弄っていた。その顔には、表情というものがなかった。黙々と指を動かし、一心に画面を見つめていて、俺には見向きもしない。
「おかず、卓袱台の上にあるやつを食べて。ご飯は炊いてあるから」
抑揚のない声が静寂を破った。スマホの画面を見ながらの発言だ。
卓袱台に目を転じる。スーパーのレジ袋が置かれている。中身を確認する。チキン南蛮、牛肉のしぐれ煮、ポテトサラダ。いずれも出来合いの総菜だ。
「わたしはもう食べたから、全部どうぞ。残ったら明日の昼ご飯のおかずにして」
続いての台詞も、リリカは俺の方を見ずに口にした。
家庭内別居。そんな言葉が浮かんだ。
おいおい。冗談はよせよ、リリカ。一回ちょっと激しめの口喧嘩したくらいで、そんな、お前……。
笑いたかったが笑えなかった。
腹の虫が鳴いた。放屁音にも似た情けない音色だった。普段のリリカならば、苦笑を洩らし、冗談を一言二言口にしただろうが、何の反応も示さない。笑うどころか、俺に視線を投げかけることさえも。
六畳間を二分する黄色いビニルテープ。二台の食卓。二組の布団。
何なんだよ、くそっ。
心の中で吐き捨てて便所に行き、便器に溜まった水にぶつけるように放尿する。水を流し、手を洗ってから六畳間に戻りかけて、進路を台所へと変更する。
炊飯器の白米を茶碗に装う。冷蔵庫から取り出したピッチャーからコップに麦茶を注ぐ。自分の箸がどこに置かれているかがすぐには分からず、手間取ってしまった。リリカと同棲を始めて以来、飯の用意を自分でしたのはこれが初めてだ。
卓袱台に茶碗とコップと箸を置き、リリカに背を向けて座る。がつがつと音を立てて飯を食う。俺の行儀の悪さに苦言を呈することも多いリリカだが、何も言わない。視線はスマホの画面から離れない。
食べ終わった後の食器を流し台まで持っていく。いざ洗おうとした途端、面倒くささが込み上げてきた。
何が嬉しくて皿を洗わなきゃならないんだ。アホか。腹の中で悪態をついて台所を後にした。
食後はテレビを点けた。いつも布団の上で一緒に観るリリカが隣にいない。万年床の位置が変わったことでテレビ画面を見る角度が少し変わった。ただそれだけのことなのに、凄まじく違和感を覚える。毎週欠かさず観ているバラエティ番組が放送されているが、視聴に集中できない。自分の布団に俯せに寝そべり、スマホを玩んでいるリリカのことが気になって仕方がない。
番組が終わりを迎えたタイミングで、リリカがスマホを布団の上に置いて腰を上げた。黄色い境界線を跨ぎ、テレビの前を横切って廊下に出て、後ろ姿が視野の外に消える。
リリカのやつ、どこへ行くつもりなんだ。
俺は息を殺して耳を欹てた。ほどなく聞こえてきたのは、便所のドアが開閉される音。
肩の力が抜けた。その場に座り直した後で、リリカの一挙一動に一喜一憂している自分が心底馬鹿馬鹿しくなった。
リリカは戻ってくると、再び布団に寝そべり、スマホ弄りを再開した。俺は黙ってテレビを見続けた。つまらなかった。しかし、他にすることもないので、テレビを見続ける。
やがて入浴時間になり、いつも通りリリカが風呂の湯を入れた。いつもとは違い、リリカが先に入った。二番風呂の湯船には、金色の頭髪と黒色の陰毛が数本浮いていた。
深夜のテレビ番組はどれもこれもつまらない。もう寝てしまいたかったが、リリカがしつこくスマホを弄っているので、部屋の電気を消すのは躊躇ってしまう。
十分以上もぐずぐずした挙げ句、俺は黙って自分の布団に潜り込んだ。直後、部屋が暗闇に包まれた。リリカの方を見ると、スマホの明かりは消えていた。喜怒哀楽、どれにも当てはまるような、どれにも当てはまらないような気持ちになった。
これまでのパターンからすれば、短ければ数時間、長くても二・三日の冷却期間が設けられた後、非がどちらにあるにせよリリカがまず頭を下げ、それを受けて俺も謝り、仲直りのセックスをして一件落着となるはずだ。しかし今回は、その展開は期待できない気がする。冷戦の最中であることを差し引いても、リリカの態度が冷えすぎている。この部屋に留まっているのが奇跡と思えるほどに。
今朝よりも激しい口論をしたことなら、過去に何度もあったのに、今回に限ってなぜそんな態度を取るんだ? 全く意味が分からない。
しかし、リリカに真意を問い質してみる勇気は湧かなかった。
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