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生きている
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病院の個室のベッドに、二十歳前後だろうか、酸素マスクを装着した男性が仰臥している。顔は青白く、頬はこけ、外部からの働きかけによって辛うじて命を繋ぎ止めているように見える。
青年が横になっているベッドの周りには、わたしを含むわたしの一族が集っている。七つ年下の妹から、隣町で暮らしている母方の祖母まで。涙ぐんでいる者、しきりに洟をすすっている者、沈痛な面持ちで俯いている者。一同の表情はおしなべて暗い。
そんな中、わたしだけが狐につままれたような顔をしている。
無理もない。なぜならば、ベッドに眠る青年はわたしなのだから。
なぜわたしが二人いるのだろう。どちらが本物で、どちらが偽物なのだろう。家族はわたしが二人いるにもかかわらず、なぜ平然と悲しんでいるのだろう。二人のわたしのうち、ベッドで眠る方のわたしにばかり注目しているのも不可解だ。
ベッドで眠るわたしは、見たところ命は長くないようだが、彼が死んでしまったらわたしはどうなるのだろう。まさか、わたしも死ぬのだろうか?
無性に怖くなり、ベッドを囲む輪から離脱する。そのまま病室を後にしたが、声をかけてくる者はいない。それどころか、見向きさえしない。やはり、わたしの方が偽物なのか。
エレベーターに乗り込むと、大音量で音楽が流れ出した。世の中にはないわけではないのだろうが、音楽が流れるエレベーターに乗ったのは初めてだったので、驚いた。しかもその音楽というのが、一種独特だ。おどろおどろしくて、でもどこか滑稽で、サイケデリックな印象もあるが、ヒーリング音楽に通じるものも感じられ、都会的とも野暮ったいともつかない。早い話が、語彙と表現力に乏しい人間が説明するのは難しい種類の音楽なのだ。短い間だけとはいえ、密室に一人きりという状況でこれを聞かされると、不安な気持ちになってしまう。
行き先階ボタンをまだ押していないことに気がついた。慌てて操作盤に注目すると、ボタンは既に押されていて、わたしを乗せた箱は停止、ドアが左右に開いた。首を傾げながらエレベーターから降りる。
降り立ったのは、鍾乳洞の中。空気がひんやりとしていて、澄んでいる。天井に豆電球がいくつも設置されているので、明るい。人が辛うじて通れそうな幅と高さの道が前方に続いている。わたしは先へ進んだ。
五分ほど歩くと、分かれ道に差しかかった。少し迷って、右の道を選ぶ。すぐに小部屋のような空間に出た。腰の高さほどの台がいくつか据えられ、その上に大きな硝子ケースが置かれている。
ケースの中を覗き込むと、消しゴムが陳列されていた。ちびて小さくなったもの、鉛筆で落書きされたもの、歪に欠けたもの。美術品と呼べるほど美しくなければ、芸術品と呼べるほど個性的でもないものばかりだ。
各消しゴムの手前には、何桁かの数字が記された紙片が一枚ずつ添えられている。なんの数字だろうかと思案しているうちに、思い出した。この消しゴムは全て、わたしが過去に使用したものだ。
思い返せば、消しゴムを使い切ったことは一度もなかった。途中で失くしてしまうか、使い切る前に新品を使い始めるか、そのどちらかだった。消しゴムの立場からすれば、まだ使えるにもかかわらずに捨てられて、さぞ無念だっただろう。
しかし、こうして丁寧に保管されている。丁寧に保管している誰かがいる。
「生きているからこそ、か」
呟き、鍾乳洞の側面にもたれた。岩の壁は酷く冷たかったが、死を連想させる冷たさではなかった。
青年が横になっているベッドの周りには、わたしを含むわたしの一族が集っている。七つ年下の妹から、隣町で暮らしている母方の祖母まで。涙ぐんでいる者、しきりに洟をすすっている者、沈痛な面持ちで俯いている者。一同の表情はおしなべて暗い。
そんな中、わたしだけが狐につままれたような顔をしている。
無理もない。なぜならば、ベッドに眠る青年はわたしなのだから。
なぜわたしが二人いるのだろう。どちらが本物で、どちらが偽物なのだろう。家族はわたしが二人いるにもかかわらず、なぜ平然と悲しんでいるのだろう。二人のわたしのうち、ベッドで眠る方のわたしにばかり注目しているのも不可解だ。
ベッドで眠るわたしは、見たところ命は長くないようだが、彼が死んでしまったらわたしはどうなるのだろう。まさか、わたしも死ぬのだろうか?
無性に怖くなり、ベッドを囲む輪から離脱する。そのまま病室を後にしたが、声をかけてくる者はいない。それどころか、見向きさえしない。やはり、わたしの方が偽物なのか。
エレベーターに乗り込むと、大音量で音楽が流れ出した。世の中にはないわけではないのだろうが、音楽が流れるエレベーターに乗ったのは初めてだったので、驚いた。しかもその音楽というのが、一種独特だ。おどろおどろしくて、でもどこか滑稽で、サイケデリックな印象もあるが、ヒーリング音楽に通じるものも感じられ、都会的とも野暮ったいともつかない。早い話が、語彙と表現力に乏しい人間が説明するのは難しい種類の音楽なのだ。短い間だけとはいえ、密室に一人きりという状況でこれを聞かされると、不安な気持ちになってしまう。
行き先階ボタンをまだ押していないことに気がついた。慌てて操作盤に注目すると、ボタンは既に押されていて、わたしを乗せた箱は停止、ドアが左右に開いた。首を傾げながらエレベーターから降りる。
降り立ったのは、鍾乳洞の中。空気がひんやりとしていて、澄んでいる。天井に豆電球がいくつも設置されているので、明るい。人が辛うじて通れそうな幅と高さの道が前方に続いている。わたしは先へ進んだ。
五分ほど歩くと、分かれ道に差しかかった。少し迷って、右の道を選ぶ。すぐに小部屋のような空間に出た。腰の高さほどの台がいくつか据えられ、その上に大きな硝子ケースが置かれている。
ケースの中を覗き込むと、消しゴムが陳列されていた。ちびて小さくなったもの、鉛筆で落書きされたもの、歪に欠けたもの。美術品と呼べるほど美しくなければ、芸術品と呼べるほど個性的でもないものばかりだ。
各消しゴムの手前には、何桁かの数字が記された紙片が一枚ずつ添えられている。なんの数字だろうかと思案しているうちに、思い出した。この消しゴムは全て、わたしが過去に使用したものだ。
思い返せば、消しゴムを使い切ったことは一度もなかった。途中で失くしてしまうか、使い切る前に新品を使い始めるか、そのどちらかだった。消しゴムの立場からすれば、まだ使えるにもかかわらずに捨てられて、さぞ無念だっただろう。
しかし、こうして丁寧に保管されている。丁寧に保管している誰かがいる。
「生きているからこそ、か」
呟き、鍾乳洞の側面にもたれた。岩の壁は酷く冷たかったが、死を連想させる冷たさではなかった。
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