わたしの流れ方

阿波野治

文字の大きさ
67 / 77

出生の闇

しおりを挟む
 小型のケージの中で、ハムスターがひまわりの種をせっせと頬袋に詰め込んでいる。次から次へと、ギネス級の早業で詰め込んでいるにもかかわらず、頬はぺったんこなままだ。頬袋はブラックホールに繋がっているに違いない。ハムスターは下等動物だから、その事実に気がついていないだけで。
 不意に人の気配を感じた。右方向に顔を向けると、いつの間にかわたしの父親が佇んでいた。アルバムで見たことがあるから分かる。二十五歳の時の父親だ。母親がわたしを産んだ歳でもあり、現在の私と同じ年齢でもある。無表情でハムスターを見ていたが、おもむろにわたしの方を向くと、
「お前は私の子ではない」
 突き離すような言い方だった。心臓を直に殴られたような衝撃を受けた。
「大事なことだから二度言う。お前は私の子ではない」
 父親は胸の前で両手を打ち鳴らした。ハムスターが垂直に跳び上がった。ケージの天井に頭をぶつけ、元の場所に着地する。直後、口からひまわりの種が次々と吐き出され始めた。凄まじい量だ。瞬く間に小さな体を呑み込み、ケージの床を埋め尽くし、外へ溢れ出す。
 それを境に、父親は二人に分裂した。バーコードヘア、無精髭、ピンク色のTシャツ。二人はケージからこぼれ落ちるひまわりの種を拾っては口に含む。わたしはペット売り場を後にした。
 屋上は無人だった。空間を囲繞するフェンスへと歩を進める。初めは二メートルほどの高さに見えたそれは、いざ間近まで来てみると、わたしの腰ほどまでしかない。
 これならば簡単に乗り越えられる。勇気を奮い立たせさえすれば、容易に飛び降りられる。
 不意に左方向に人の気配を感じた。顔を向けると、五十歳の私の父親が佇んでいる。
「大事なことだから何度でも言う。お前は私の――」
 解析し得ない感情に突き動かされ、父親の襟首を掴む。途端に、父親は胸に抱き締められるほどのサイズに縮んだ。重さもハムスター一匹ほどしかない。そのままフェンスの外に投げ捨てる。父親は真っ逆さまに地上へと落下していく。フェンスに背を向け、屋上を後にした。
 屋上から階下に降りるルートは階段しかない。一つ下の階に降りさえすればエレベーターやエスカレーターがあるが、階段のみを使って地下を目指す。
 四階と五階の間の踊り場に、ピンク色のTシャツを着た老婆と老爺が座っていた。柄のよろしくない若者がするような座り方をしている。わたしの姿を認めた途端、二人は話をするのを止めた。わたしを目で追いかける。
「階段では建物の外には出られないよ」
 目の前を横切った際、そんな言葉が投げかけられた。老爺と老婆、どちらが発した声なのか判別がつかなかった。
 黙々と階段を下り続け、地下に辿り着いた。食料品や土産物を販売するフロアになっていて、客で混雑している。出口を求めてフロアを逍遥する。どの店にも客が長蛇の列を作っていて、商品を買うまでにはかなり時間がかかりそうだ。
 そんな中、一軒だけ、誰も並んでいない店があった。看板が焼け焦げたように黒く変色しているため、なにを販売している店なのかは分からない。調理場の外壁が硝子張りになっているため、中の様子が見えた。
 コック服姿の男が、ボウルに入った黒いものと白いものを手でこねている。顔を紅潮させ、歯を食い縛り、一心不乱にこねているのだが、白と黒は一向に混ざり合わない。男の目は涙に濡れている。
 店の出入り口のドアには紙片が貼りつけられ、「準備が整い次第開店」という文言が綴られている。 
 わたしはその店のドアの前に立った。無論、開店するまで待つつもりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...