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動物園発
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広いとは決して言えない檻に収容されたアンテロープは、地面に蹲って動かない。
アンテロープは、五十センチほどの角が生えた、全長一メートルほどの肉塊だ。
アンテロープがどのような生き物かを知らないわたしとしては、目の前の動物がアンテロープだと信じるしかないわけだが、眺めれば眺めるほど、本当にアンテロープなのか疑わしくなってくる。そもそも、あの角が生えた肉塊は、生物ですらないのでは?
真相を知りたいと思っていたところに、若いカップルが通り掛かった。早速質問をぶつけようとしたが、思い留まる。
「子供の頃、動物園に遠足に行ったんだけど、動物の糞が臭くて、弁当が食べられなかった。動物園なんて、遠足で行くところじゃない」
男が盛んに動物園を非難し、女は盛んに頷いている。彼らは動物園内にいるにもかかわらず、動物園否定派なのだ。彼らのような人間に、動物園や動物に関する質問をぶつければ、なにをされるか分かったものではない。
アンテロープの檻に背を向け、飼育員が通り掛かるのを待ったが、一人も見かけない。それどころか、客の姿さえも。そう言えば、入園して以来、先程のカップル以外の動物の声を一度も聞いていない。この動物園は、既に滅びてしまったのだろうか。
生者必滅。理解してはいるが、暗澹たる心持ちになってしまった。
なにか明るい光景は見られないか。アンテロープの檻を離れ、それのみを求めて園内を逍遥する。空っぽのペンギンの水槽、中央にそびえる山ばかりが勇ましい猿山、動物の骨が転がったライオンの檻。動物ではなく、死ばかりが展示されている。
帰ろう。こんな光景、もう見たくない。
来た道を引き返そうと、足を止めて体の向きを変えたが、わたしは移動し続けている。おかしいと思い、足元に視線を落とすと、わたしの両足は動く歩道の上に載っていた。歩道に足の裏が固着しているらしく、外せない。
規定されたルート上を移動し、生物の死を目の当たりにし続ける運命から逃れる術などない、ということなのか。
絶望的な気分になったが、対抗策ならばあることにすぐに気がつく。瞼を閉ざせばいい。
早急に対策を講じた。たちまち抑圧していた記憶が甦った。
小学生になったばかりのわたしがプールに入っている。所謂流れるプールだ。海水パンツ姿で、たった一人、水の流れに従ってドーナツ状のコースを歩行しているのだが、底に足を滑らせたのか、後続に押されてバランスを崩したのか、わたしの全身はいきなり水中に沈んだ。スローモーションになった時の流れの中、わたしは一つの顔を見た。プールサイドに佇立する男性。能面のような無表情で、現在進行形で溺れているわたしを眺めている。
わたしの父親だ。
流れるプールで溺れて、それからわたしはどうなったのか。
不意に移動が停止した。瞼を開くと、そこはゴミ埋め立て処分場だった。抜けるような蒼穹を上に、夥しく山積したゴミの山を下にして、わたしは仰向けに横たわっている。
突然、空から大量のゴミが降ってきた。
瞬間的に死を覚悟したが、わたしは死ななかった。大量のゴミがのしかかってきたにもかかわらず、重みを全く感じない。そういえば、これだけの数のゴミの中に身を置いているにもかかわらず、悪臭を一切感じない。
わたしがこの場所に運ばれてきた理由をわたしは悟った。同時に、宇宙の真理をしかと胸に抱き締めたような実感も抱いた。喜びも失望もない。ゴミが積み重なっていくばかりのこの場所で、体が周囲に馴染むまで眠っていたいと思った。
アンテロープは、五十センチほどの角が生えた、全長一メートルほどの肉塊だ。
アンテロープがどのような生き物かを知らないわたしとしては、目の前の動物がアンテロープだと信じるしかないわけだが、眺めれば眺めるほど、本当にアンテロープなのか疑わしくなってくる。そもそも、あの角が生えた肉塊は、生物ですらないのでは?
真相を知りたいと思っていたところに、若いカップルが通り掛かった。早速質問をぶつけようとしたが、思い留まる。
「子供の頃、動物園に遠足に行ったんだけど、動物の糞が臭くて、弁当が食べられなかった。動物園なんて、遠足で行くところじゃない」
男が盛んに動物園を非難し、女は盛んに頷いている。彼らは動物園内にいるにもかかわらず、動物園否定派なのだ。彼らのような人間に、動物園や動物に関する質問をぶつければ、なにをされるか分かったものではない。
アンテロープの檻に背を向け、飼育員が通り掛かるのを待ったが、一人も見かけない。それどころか、客の姿さえも。そう言えば、入園して以来、先程のカップル以外の動物の声を一度も聞いていない。この動物園は、既に滅びてしまったのだろうか。
生者必滅。理解してはいるが、暗澹たる心持ちになってしまった。
なにか明るい光景は見られないか。アンテロープの檻を離れ、それのみを求めて園内を逍遥する。空っぽのペンギンの水槽、中央にそびえる山ばかりが勇ましい猿山、動物の骨が転がったライオンの檻。動物ではなく、死ばかりが展示されている。
帰ろう。こんな光景、もう見たくない。
来た道を引き返そうと、足を止めて体の向きを変えたが、わたしは移動し続けている。おかしいと思い、足元に視線を落とすと、わたしの両足は動く歩道の上に載っていた。歩道に足の裏が固着しているらしく、外せない。
規定されたルート上を移動し、生物の死を目の当たりにし続ける運命から逃れる術などない、ということなのか。
絶望的な気分になったが、対抗策ならばあることにすぐに気がつく。瞼を閉ざせばいい。
早急に対策を講じた。たちまち抑圧していた記憶が甦った。
小学生になったばかりのわたしがプールに入っている。所謂流れるプールだ。海水パンツ姿で、たった一人、水の流れに従ってドーナツ状のコースを歩行しているのだが、底に足を滑らせたのか、後続に押されてバランスを崩したのか、わたしの全身はいきなり水中に沈んだ。スローモーションになった時の流れの中、わたしは一つの顔を見た。プールサイドに佇立する男性。能面のような無表情で、現在進行形で溺れているわたしを眺めている。
わたしの父親だ。
流れるプールで溺れて、それからわたしはどうなったのか。
不意に移動が停止した。瞼を開くと、そこはゴミ埋め立て処分場だった。抜けるような蒼穹を上に、夥しく山積したゴミの山を下にして、わたしは仰向けに横たわっている。
突然、空から大量のゴミが降ってきた。
瞬間的に死を覚悟したが、わたしは死ななかった。大量のゴミがのしかかってきたにもかかわらず、重みを全く感じない。そういえば、これだけの数のゴミの中に身を置いているにもかかわらず、悪臭を一切感じない。
わたしがこの場所に運ばれてきた理由をわたしは悟った。同時に、宇宙の真理をしかと胸に抱き締めたような実感も抱いた。喜びも失望もない。ゴミが積み重なっていくばかりのこの場所で、体が周囲に馴染むまで眠っていたいと思った。
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