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城址公園
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城址公園内を散歩していると、池のほとりに茶屋がオープンしていた。店頭に四・五人が座れるサイズの長椅子が据えられ、法衣を連想させる紫色の敷物が敷いてある。中は真っ暗で、入口から様子は窺えない。
わたしは子供の頃、この池でよくザリガニ釣りをした。小さく切ったちくわやするめにタコ糸を巻きつけ、池に垂らし、ザリガニがハサミで食らいつくのを待つ。ザリガニは一度獲物を掴むと断乎として放さないため、容易に釣り上げられる、という寸法だ。
懐かしいな、ザリガニ釣り。
そう思ったものの、当時の具体的な思い出は何一つ浮かんでこない。
そもそもわたしは、ザリガニ釣りをしたことがあっただろうか? わたしが物心ついた時には、ザリガニ釣りは既に過去の遊びになっていた気がする。
しばらくその場に佇んでいると、店の中から女が出てきた。年齢は二十半ばくらい。赤紫色と茶色の中間とでも言えばいいのか、なんとも言えない色合いの着物を着ている。
「一名様ですね。奥へどうぞ」
気候もいいし、外の長椅子に腰かけて食べたいと思っていたのだが、あの椅子は飾りのようなものなのだろうか。あるいは、特別な客だけが座ることを許される特等席なのかもしれない。
取り留めもなく考えを巡らせるわたしを置き去りにして、女は店の奥へと消えていく。慌てて後を追った。
飲食店にもかかわらず、廊下は埃っぽかった。窓には格子が狭い感覚で並び、満足に光が差し込まないので、陰気な雰囲気だ。四人用の座敷席に案内されたので、靴を脱いで畳の上に胡坐をかく。
机の中央に、全高三十センチほどの、苺模様の服を着たパンダのぬいぐるみが置いてあった。何気なく手に取ってみる。子供が喜びそうだと思ったが、それにしても、なぜ茶屋にパンダのぬいぐるみが置かれているのだろう。脈絡のなさに、ついつい見入ってしまう。
「みたらし団子と、梅こぶ茶ですね。少々お待ちください」
女は軽く頭を下げ、店の奥へと消えた。わたしが席に着いて以来、言葉を発するどころか、唇を開くことすらしていなかったので、愕然としてしまう。みたらし団子も、梅こぶ茶も、わたしは食べたくないのに。首を傾げ、ぬいぐるみをテーブルの端に置いた。
注文の品を待っている間、わたしは寂しかった。格子に遮られて差し込む光は僅かばかりだし、暇を潰せるようなものは一切置かれていない。子供ならば、パンダのぬいぐるみを相手に十分や十五分時間を潰せるかもしれないが、わたしは最早無邪気さを失っている。
食事を済ませたら、さっさと店を出よう。散歩の途中でこの店に寄ったのは、間違いだった。
不意に人の気配を感じた。振り向くと、先程の女が座敷の前に佇んでいる。茶色い盆を手にしていて、大皿に菓子が盛られている。金平糖をビー玉ほどに拡大し、墨汁で染めたような菓子だ。なんという名前の菓子なのかは不明だが、少なくとも、みたらし団子でも梅こぶ茶でもない。
「姉がいるのをお忘れですか」
息を呑み、女の顔を見た。泣いていた。
「あなたには、三つ歳が離れた姉がいるんですよ。お忘れですか」
女は、どう見てもわたしの姉ではない。
「お忘れですか。本当にお忘れですか」
盆を持つ手が震え始めた。わたしが座っている畳まで揺れているような気がした。
わたしは子供の頃、この池でよくザリガニ釣りをした。小さく切ったちくわやするめにタコ糸を巻きつけ、池に垂らし、ザリガニがハサミで食らいつくのを待つ。ザリガニは一度獲物を掴むと断乎として放さないため、容易に釣り上げられる、という寸法だ。
懐かしいな、ザリガニ釣り。
そう思ったものの、当時の具体的な思い出は何一つ浮かんでこない。
そもそもわたしは、ザリガニ釣りをしたことがあっただろうか? わたしが物心ついた時には、ザリガニ釣りは既に過去の遊びになっていた気がする。
しばらくその場に佇んでいると、店の中から女が出てきた。年齢は二十半ばくらい。赤紫色と茶色の中間とでも言えばいいのか、なんとも言えない色合いの着物を着ている。
「一名様ですね。奥へどうぞ」
気候もいいし、外の長椅子に腰かけて食べたいと思っていたのだが、あの椅子は飾りのようなものなのだろうか。あるいは、特別な客だけが座ることを許される特等席なのかもしれない。
取り留めもなく考えを巡らせるわたしを置き去りにして、女は店の奥へと消えていく。慌てて後を追った。
飲食店にもかかわらず、廊下は埃っぽかった。窓には格子が狭い感覚で並び、満足に光が差し込まないので、陰気な雰囲気だ。四人用の座敷席に案内されたので、靴を脱いで畳の上に胡坐をかく。
机の中央に、全高三十センチほどの、苺模様の服を着たパンダのぬいぐるみが置いてあった。何気なく手に取ってみる。子供が喜びそうだと思ったが、それにしても、なぜ茶屋にパンダのぬいぐるみが置かれているのだろう。脈絡のなさに、ついつい見入ってしまう。
「みたらし団子と、梅こぶ茶ですね。少々お待ちください」
女は軽く頭を下げ、店の奥へと消えた。わたしが席に着いて以来、言葉を発するどころか、唇を開くことすらしていなかったので、愕然としてしまう。みたらし団子も、梅こぶ茶も、わたしは食べたくないのに。首を傾げ、ぬいぐるみをテーブルの端に置いた。
注文の品を待っている間、わたしは寂しかった。格子に遮られて差し込む光は僅かばかりだし、暇を潰せるようなものは一切置かれていない。子供ならば、パンダのぬいぐるみを相手に十分や十五分時間を潰せるかもしれないが、わたしは最早無邪気さを失っている。
食事を済ませたら、さっさと店を出よう。散歩の途中でこの店に寄ったのは、間違いだった。
不意に人の気配を感じた。振り向くと、先程の女が座敷の前に佇んでいる。茶色い盆を手にしていて、大皿に菓子が盛られている。金平糖をビー玉ほどに拡大し、墨汁で染めたような菓子だ。なんという名前の菓子なのかは不明だが、少なくとも、みたらし団子でも梅こぶ茶でもない。
「姉がいるのをお忘れですか」
息を呑み、女の顔を見た。泣いていた。
「あなたには、三つ歳が離れた姉がいるんですよ。お忘れですか」
女は、どう見てもわたしの姉ではない。
「お忘れですか。本当にお忘れですか」
盆を持つ手が震え始めた。わたしが座っている畳まで揺れているような気がした。
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