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深い穴の底
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わたしは今、深い穴の底にいる。深すぎて光は届かず、周囲の状況は掴めない。従って、ここが本当に穴の底か否かは定かではないのだが、深い穴の底に違いない、とわたし自身は思っている。
「出してくれ!」
わたしは唐突に叫ぶ。まるで台本に「唐突に叫ぶ」と記されているからそうした、というように。
「出してくれ! わたしを、この穴から、今すぐに出してくれ!」
叫び終わった瞬間、わたしは予備校の席に着いて授業を受けている。
思い出した。わたしは、願望を叫ぶだけで願いを実現させる能力を有しているのだった。
「これは、こうであるからしてぇ!」
モヒカンヘアの、サングラスをかけた、アロハシャツ姿の男性講師が、白いチョークで黒板を無闇に叩いている。
「こうであるからしてぇ! こうであるからしてぇ!」
授業の途中から参加したから、なにが「こうであるからして」なのか、さっぱり分からない。それになにより、うるさい。なぜそうも激しくチョークで黒板を叩く必要があるのか。さらに言えば、アロハシャツとサングラスとモヒカンヘアというコーディネートも意味不明だ。出来損ないのチンピラではあるまいし。
「これはぁ、こうでぇ、こうでぇ、こうであるからしてぇ!」
うるさくて敵わない。左隣に座っている受講生に目で助けを求める。清楚な、予備校という場に似つかわしくない少女で、読書をしている。授業で使う教科書ではなく、カバーがかかった文庫本だ。
「やっと第一章を読み終わったわ」
少女はよく通る声で言った。誰の顔も見ていなかったが、明らかに誰かに呼びかける口調だった。
「栞を挟んで、そろそろ授業に戻らないと。……あら、栞がどこにもないわ。家に忘れてきたのかしら」
栞は落ちていないかと机の上を目で探す。その挙動は演技がかっている。
「迷惑をかけるのは心苦しいけど、ないものは仕方がないわ。――栞ちゃん」
左隣の席に座る女子に呼びかける。栞と呼ばれたその女子が振り向いた瞬間、少女は彼女をひょいとつまみ上げ、両の掌で挟んで真っ平にした。真っ平になった彼女を文庫本に挟み、何食わぬ顔で黒板の字をノートに写し始める。
「人殺しだ! この女、人を殺したぞ!」
叫んだ直前、願いを実現させる能力を有していることを思い出し、こう付け加えた。
「警察を呼べ! 罪人を牢屋にぶち込め!」
男性講師がチョークで黒板を叩くのを止め、わたしの席までやって来た。そしてチョークでわたしの机の天板を無闇に叩いた。
「俺が警察だよ、罪人。望み通り、牢屋にぶち込んでやるよ」
そういうわけで、わたしは今、深い穴の底にいる。
「出してくれ!」
わたしは唐突に叫ぶ。まるで台本に「唐突に叫ぶ」と記されているからそうした、というように。
「出してくれ! わたしを、この穴から、今すぐに出してくれ!」
叫び終わった瞬間、わたしは予備校の席に着いて授業を受けている。
思い出した。わたしは、願望を叫ぶだけで願いを実現させる能力を有しているのだった。
「これは、こうであるからしてぇ!」
モヒカンヘアの、サングラスをかけた、アロハシャツ姿の男性講師が、白いチョークで黒板を無闇に叩いている。
「こうであるからしてぇ! こうであるからしてぇ!」
授業の途中から参加したから、なにが「こうであるからして」なのか、さっぱり分からない。それになにより、うるさい。なぜそうも激しくチョークで黒板を叩く必要があるのか。さらに言えば、アロハシャツとサングラスとモヒカンヘアというコーディネートも意味不明だ。出来損ないのチンピラではあるまいし。
「これはぁ、こうでぇ、こうでぇ、こうであるからしてぇ!」
うるさくて敵わない。左隣に座っている受講生に目で助けを求める。清楚な、予備校という場に似つかわしくない少女で、読書をしている。授業で使う教科書ではなく、カバーがかかった文庫本だ。
「やっと第一章を読み終わったわ」
少女はよく通る声で言った。誰の顔も見ていなかったが、明らかに誰かに呼びかける口調だった。
「栞を挟んで、そろそろ授業に戻らないと。……あら、栞がどこにもないわ。家に忘れてきたのかしら」
栞は落ちていないかと机の上を目で探す。その挙動は演技がかっている。
「迷惑をかけるのは心苦しいけど、ないものは仕方がないわ。――栞ちゃん」
左隣の席に座る女子に呼びかける。栞と呼ばれたその女子が振り向いた瞬間、少女は彼女をひょいとつまみ上げ、両の掌で挟んで真っ平にした。真っ平になった彼女を文庫本に挟み、何食わぬ顔で黒板の字をノートに写し始める。
「人殺しだ! この女、人を殺したぞ!」
叫んだ直前、願いを実現させる能力を有していることを思い出し、こう付け加えた。
「警察を呼べ! 罪人を牢屋にぶち込め!」
男性講師がチョークで黒板を叩くのを止め、わたしの席までやって来た。そしてチョークでわたしの机の天板を無闇に叩いた。
「俺が警察だよ、罪人。望み通り、牢屋にぶち込んでやるよ」
そういうわけで、わたしは今、深い穴の底にいる。
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