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視線
しおりを挟むログタワーの影が伸びていく。
都市の心臓部とも言えるその建造物は、無数の存在ログを処理し続ける記録中枢。
今日も青白い光を放ちながら、都市の静脈のように情報を流していた。
それを見上げながら歩いていたときだった。
不意に、視線のようなものを感じた。
⸻
ハルは足を止めた。
後ろを振り返る。
都市の喧騒は変わらない。誰もこちらを気に留める様子はない。
――いや。いた。
ひとりだけ。
人の流れからわずかに外れた位置に、
ひとりの少女が立っていた。
制服の上に羽織った紺色のコートが風に揺れている。
その瞳はまっすぐこちらを見ていた。
見ていた。
ハル・シズノの存在を――“見てしまっていた”。
⸻
心臓が一拍、遅れて跳ねる。
(え……?)
いつもと同じような朝。
なのに、まるでその視線だけが現実感を持って、ハルの中に流れ込んできた。
少女は一歩、こちらに歩み寄ってきた。
まっすぐに。ためらいもなく。
⸻
「……あなた、なんで記録が揺れてるの?」
声は静かだった。けれど、確かに届いた。
風に流されるどころか、まるで耳元で囁かれたようにくっきりと残った。
ハルは言葉を失った。
目の前にいるこの少女が、
自分という“存在しないはずの存在”を認識している。
それだけで、喉の奥から何かがこみ上げてきそうだった。
⸻
「……僕のこと、見えるの?」
かすれた声で尋ねる。
少女――クロエ・リヴェルトは、ゆっくり頷いた。
「ええ、はっきり。たぶん……わたしの記録のどこか、おかしいのね」
言いながら、自分の胸元に触れる。そこには都市の記録端末が格納された識別タグがあった。
「検閲官の仕事をしてると、たまにね。
“存在しないものが、どうしても目に入る”ってこと、あるのよ」
⸻
ハルは、ただ黙って見つめるしかなかった。
誰かに「見えている」と言われたのは、何年ぶりだろうか。
いや――生まれて初めてかもしれない。
クロエは小さく微笑んだ。
「あなたのこと、ちょっと気になったの。
……記録されていないのに、ちゃんと“そこにいる”ように見えたから」
⸻
風が吹いた。ログタワーの影が揺れる。
その一瞬、ハルの存在が、都市の記録網に微かに“ノイズ”として記された。
誰も気づかない、けれど確かにそこにあった“存在の余韻”。
それが、この物語の――はじまりの、はじまりだった。
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