31 / 37
再生
第三十一話 再生5
しおりを挟む
目を開くと、カーテンの隙間から光が漏れていた。重い身体を起こし、身支度を整える。
「今日は向かわなければ」
再びベッドに沈んでいきそうな神楽小路はドアのノックで現実に引き戻される。返事をすると、芝田が入ってきた。
「……すまない。今日も――」
「君彦様、本日は土曜日でございます。授業はございません」
「そうか」
また言われるまで気づかなかった。桂の電話からさらに三日過ぎていた。きっとまた電話がかかってきていたのかもしれないが。それよりも、その三日間なにをしていたのか。つけっぱなしのパソコン画面を見るのが恐ろしい。
「お客様がお見えです」
「客? 俺にか?」
「ええ、佐野真綾様という女性です」
「佐野真綾だと?」
心臓が跳ね上がる。
「お会いになられますか」
顎に手を添え、少し考えたのち、
「……客間に通してくれ。すぐ行く」
「かしこまりました」
一階下の客間に行くだけでも、体力が少ない今、ふらつきながら向かう。ドアをノックすると、「は、はい!」と裏返った声が聞こえた。久しぶりに聞いた声はどこか安心感があるとともに胸が締めつけられる思いだった。中に入ると、申し訳なさそうに縮こまってソファに座る佐野真綾がいた。神楽小路の顔を見ると、硬いながらも笑顔を見せた。
「なんだか久しぶりだね」
「そんな気もする」
神楽小路は佐野の前のソファに腰かける。沈黙が訪れる。出会った頃よりも気まずく、重い空気の中、紅茶とクッキーが運ばれてきた。佐野はカップを手に取り、紅茶に口をつけた。
「おいしい……! わたしがいつも飲んでる紅茶よりも渋くなくてさっぱりしてる」
一瞬にしていつもの佐野真綾がそこにいた。
「佐野真綾、お前はいつもと変わらんな」
クッキーを嬉しそうに咀嚼してた佐野は慌てて紅茶で流しこんだ。
「ごめんね、おいしそうでつい」
「それより、お前に家を教えた記憶はないが」
「この課題のプリントをどうしても渡したくて。この授業、プリント課題が出たら提出しないとすぐに単位もらえなくなるって聞いたから。大学側からご家族の方に了解いただいて、今日お伺いしたという流れ……です」
電話がかかってきていたのなら、対応したのは芝田だろう。だが芝田が神楽小路に了承を得ず、来訪を許すはずが合い。きっとうつろな状態で自分は許可したのだろう。プリントを受け取り、さっと目を通したあと、テーブルの端に置いた。
「用件はそれだけか」
冷たくそう言うと、佐野の表情は曇る。
「最近体調悪そうだったし、この数日は急に大学に来なくなったし、連絡しても既読つかないし、心配で。何か悩んでるのかなって」
神楽小路は何も言わず、腕を組み、じっと床を見ていた。今、口を開けば、彼女を傷つける言葉を吐くかもしれない。何も言わなければ、さらに彼女が心配する。
ここにきても神楽小路は創作に行き詰っていることを言えなかった。
「だったら、わたしで『人と関わるとどうなるか』試してみるのはどうかな?」
と言って扉をたたいてきた彼女を最初は突き放すようなこともした。それでも佐野は笑顔で神楽小路のそばにいた。
(家族以外の人間を嫌いになるばかりだった俺は「人と好意を持って接する」という感覚がわからなかった。わからなくてもいいとさえ思っていた。だが、神楽小路はもう知っている。すべて佐野真綾が教えてくれた。人と出会うことにより、変わり、戸惑う。しかし理解し、受け入れる。それが「好きだ」ということを。彼女を心配させたくない。傷つけたくない。離したくない)
「神楽小路くん……!」
顔を上げると、佐野が目の前にいた。両膝を床につき、慌てたように神楽小路の頬を伝う涙を指で拭っていた。
「ごめん、ごめんね。体調悪いのに家まで押しかけてしまったから……!」
佐野の目にもみるみるうちに涙がたまり、落ちていく。
「ごめんなさい……! わたし、帰る、だから、泣かないで……」
一生懸命に涙を拭い、濡れた佐野の手を神楽小路は両手で包んで、額に当てた。
「頼む……。そばにいてくれ」
初めて漏れた心の声は小さかったが、大切な人の耳に届くには充分であった。
「今日は向かわなければ」
再びベッドに沈んでいきそうな神楽小路はドアのノックで現実に引き戻される。返事をすると、芝田が入ってきた。
「……すまない。今日も――」
「君彦様、本日は土曜日でございます。授業はございません」
「そうか」
また言われるまで気づかなかった。桂の電話からさらに三日過ぎていた。きっとまた電話がかかってきていたのかもしれないが。それよりも、その三日間なにをしていたのか。つけっぱなしのパソコン画面を見るのが恐ろしい。
「お客様がお見えです」
「客? 俺にか?」
「ええ、佐野真綾様という女性です」
「佐野真綾だと?」
心臓が跳ね上がる。
「お会いになられますか」
顎に手を添え、少し考えたのち、
「……客間に通してくれ。すぐ行く」
「かしこまりました」
一階下の客間に行くだけでも、体力が少ない今、ふらつきながら向かう。ドアをノックすると、「は、はい!」と裏返った声が聞こえた。久しぶりに聞いた声はどこか安心感があるとともに胸が締めつけられる思いだった。中に入ると、申し訳なさそうに縮こまってソファに座る佐野真綾がいた。神楽小路の顔を見ると、硬いながらも笑顔を見せた。
「なんだか久しぶりだね」
「そんな気もする」
神楽小路は佐野の前のソファに腰かける。沈黙が訪れる。出会った頃よりも気まずく、重い空気の中、紅茶とクッキーが運ばれてきた。佐野はカップを手に取り、紅茶に口をつけた。
「おいしい……! わたしがいつも飲んでる紅茶よりも渋くなくてさっぱりしてる」
一瞬にしていつもの佐野真綾がそこにいた。
「佐野真綾、お前はいつもと変わらんな」
クッキーを嬉しそうに咀嚼してた佐野は慌てて紅茶で流しこんだ。
「ごめんね、おいしそうでつい」
「それより、お前に家を教えた記憶はないが」
「この課題のプリントをどうしても渡したくて。この授業、プリント課題が出たら提出しないとすぐに単位もらえなくなるって聞いたから。大学側からご家族の方に了解いただいて、今日お伺いしたという流れ……です」
電話がかかってきていたのなら、対応したのは芝田だろう。だが芝田が神楽小路に了承を得ず、来訪を許すはずが合い。きっとうつろな状態で自分は許可したのだろう。プリントを受け取り、さっと目を通したあと、テーブルの端に置いた。
「用件はそれだけか」
冷たくそう言うと、佐野の表情は曇る。
「最近体調悪そうだったし、この数日は急に大学に来なくなったし、連絡しても既読つかないし、心配で。何か悩んでるのかなって」
神楽小路は何も言わず、腕を組み、じっと床を見ていた。今、口を開けば、彼女を傷つける言葉を吐くかもしれない。何も言わなければ、さらに彼女が心配する。
ここにきても神楽小路は創作に行き詰っていることを言えなかった。
「だったら、わたしで『人と関わるとどうなるか』試してみるのはどうかな?」
と言って扉をたたいてきた彼女を最初は突き放すようなこともした。それでも佐野は笑顔で神楽小路のそばにいた。
(家族以外の人間を嫌いになるばかりだった俺は「人と好意を持って接する」という感覚がわからなかった。わからなくてもいいとさえ思っていた。だが、神楽小路はもう知っている。すべて佐野真綾が教えてくれた。人と出会うことにより、変わり、戸惑う。しかし理解し、受け入れる。それが「好きだ」ということを。彼女を心配させたくない。傷つけたくない。離したくない)
「神楽小路くん……!」
顔を上げると、佐野が目の前にいた。両膝を床につき、慌てたように神楽小路の頬を伝う涙を指で拭っていた。
「ごめん、ごめんね。体調悪いのに家まで押しかけてしまったから……!」
佐野の目にもみるみるうちに涙がたまり、落ちていく。
「ごめんなさい……! わたし、帰る、だから、泣かないで……」
一生懸命に涙を拭い、濡れた佐野の手を神楽小路は両手で包んで、額に当てた。
「頼む……。そばにいてくれ」
初めて漏れた心の声は小さかったが、大切な人の耳に届くには充分であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
やさしいキスの見つけ方
神室さち
恋愛
諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。
そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。
辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?
何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。
こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。
20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。
フィクションなので。
多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。
当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる